FC2ブログ
次のページ
今日の東京駅丸の内口
東京
chariot

今日午後の東京駅丸の内口の様子です。

観光客が戻っていないせいか、人影はまばらです。

とIMG_0024

とIMG_0028


オリンピックが1年延長になったので、カウントダウン時計も、「あと416日」になっています。

とIMG_0011


丸の内北口のホール

とIMG_0017


丸ビル近くの地下通路
平日ではありますが、かなり人通りは少ないです。

とIMG_0036


JPタワー1階ホール
元気なロックンロールが流れていましたが、あまり人はいません。

とIMG_0033


JPタワーの2・3階にあるインターメディアテク(IMT)もまだ休館が続いていました。

とIMG_0030


今日は東京の新型コロナ感染者がまた増えたので、これから収まってくれるのか
心配なところです。


【2020/06/02 21:01】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブルーインパルスの飛行と上野の写真
本郷・上野
chariot

今日、5月29日に、航空自衛隊のブルーインパルスが新型コロナウイルスに対応する
医療従事者などへの敬意と感謝を示すために、都心上空を飛行しました。

東京大学医学部附属病院近くで撮影しました。
入間基地を飛び立った6機のブルーインパルスは白煙を流しながら、板橋方向から
飛来しました。

ブIMG_0103


左方向に旋回します。

ブIMG_0105

ブIMG_0106


今度は葛飾方向から都心に向かいます。
右奥に順天堂医院が見えます。

ブIMG_0107


この近辺は東京大学医学部附属病院、東京医科歯科大学医学部附属病院、
順天堂医院、都立駒込病院など、新型コロナウイルスに対応している病院が
幾つもあります。

それぞれの持ち場で闘っておられる医療従事者などの皆さんには頭の下がる
思いがします。

おまけに、上野を散歩した写真を乗せます。

上野郵便局のパンダポストです。

うIMG_0072 - コピー


上野で活躍するパンダたちです。
右上にはマッサージしてもらっているパンダもいます。
人気者だけにストレスもあるのでしょう。

うIMG_0073 - コピー


不忍池の畔にタチアオイが咲いていました。

うIMG_0086


夕暮の不忍池には蓮の葉が広がっていました。

うIMG_0109

うIMG_0112


【2020/05/29 21:08】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
お茶の水の鉄腕アトムのデザインマンホール蓋
お茶の水
chariot

JR御茶ノ水駅から明大通りを下った明治大学の辺りに、鉄腕アトムのマンホールの蓋が
ありました。

アIMG_0051

アIMG_0050


ウランちゃんやお茶の水博士の蓋も並んでいました。

アIMG_0053

アIMG_0078


これは、今年の2月に千代田区の設置したデザインマンホール蓋で、千代田区の花の
桜もあしらってあります。
鉄腕アトムはお茶の水博士に育てられ、お茶の水小学校に通ったという設定にちなんで
設置したとのことです。

実際のお茶の水小学校は平成5年(1993)に錦華小学校、小川小学校、西神田小学校を
統合して、錦華小学校の校舎を利用して創立された小学校で、
アトムたちの活躍した昭和時代にはまだありませんでした。

なお、お茶の水小学校は現在、建て替え工事中です。

アIMG_0037

アIMG_0036


小川小学校跡地は小川広場に、西神田小学校跡地は高層住宅複合施設の
西神田コスモス館になっています。


アニメ、「鉄腕アトム」のテーマ曲はJR高田馬場駅の出発メロディーにもなっています。
これは、鉄腕アトムが高田馬場にある科学省で誕生したという設定と、手塚プロダクションが
高田馬場にあることによるものです。

また、手塚治虫や赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄らが集った豊島区南長崎の
トキワ荘は1982年に解体されましたが、豊島区によって南長崎花咲公園に、外観を復元した
「マンガの聖地としまミュージアム」が建てられ、今年中の開館を予定しています。

「鉄腕アトム」 手塚プロダクション
手003


2019年に閉店した浅草の喫茶店、「アンヂェラス」には鉄腕アトムの作者、手塚治虫の
色紙がありました。

ア2

アIMG_0050 - コピー


【2020/05/16 19:49】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
新緑の絵と風景
新緑
chariot

新緑の写真や木々の緑を描いた作品を集めてみました。

 与謝蕪村 「新緑杜鵑図」 江戸時代・18世紀 文化庁 重要文化財
 美を紡ぐimg818 (12)

広々とした新緑の木々の上をホトトギスが飛ぶ、気持ちの良い絵です。
木の葉は池大雅風の点描です。

シャルル=フランソワ・ドービニー 「ヴァルモンドワの下草」 
 1872年 カミーユ・ピサロ美術館、ポントワーズ

樹011

ヴァルモンドワはパリの北西にある、セーヌ川の支流オワーズ川沿いの町で、
ドービニーは幼少期をここで過ごしています。
森の緑の鮮やかさが際立つ作品です。

リュドヴィク・ピエット 「フォッセの祭り、ポントワーズ」
 1877年 カミーユ・ピサロ美術館、ポントワーズ

樹009

大きな作品で、日の当たる並木道は大勢の人で賑わい、遠くの平野を
汽車が白煙を上げて横切り、画面は祝祭気分があふれています。
リュドヴィク・ピエット (1826-1878)はドガと親しく、第1回と第2回の印象派展に
出展しています。

クロード・モネ 「ヴェトゥイユの河岸からの眺め、ラヴァクール(夕暮れの効果)」 
 1880年頃 個人蔵

樹007

大きな作品で、大きな木陰や紅を帯びた空、その色を映す川面が
夕暮れ時を表しています。
ヴェトゥイユ(ヴェタイユ)はパリの北西50㎞にあるセーヌ川沿いの町で、
ラヴァクールは対岸にあります。

武山和夫 「みどりの平均律 II」
二0067

2012年の第66回二紀展に出展された作品です。

山本桂右 「薫風」 
山本001

新緑の八坂五重の塔です。
飛んでいるのは鳶でしょうか。
エアコンの室外機や干してある洗濯物まで見えます。


2020年の東京大学構内
みIMG_0002

2018年の丸の内仲通り
イIMG_0554 - コピー

2017年の根津美術館
ねIMG_0553 - コピー

2013年の東京ドームシティ
トウ0078

2012年の上野公園
上0088

2010年の横浜、山下公園通り
よ21_0489

  
  わが背子が衣はるさめふるごとに野辺の緑ぞ色まさりける

                                紀貫之

【2020/05/09 19:57】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
お茶の水、本郷の病院の歴史
お茶の水・本郷
chariot

今は新型コロナウイルスに対して、各病院が奮闘中でもあり、お茶の水、本郷の
3つの大学病院について書いてみます。

お茶の水にある順天堂大学医学部附属順天堂医院は順天堂の第2代堂主、
佐藤尚中(1827-1882)が明治6年(1873)に下谷練塀町に医院を開いた
ことに始まります。
明治8年(1875)に現在地に移転しました。

じIMG_0051


病院1階のホールには「順天堂」の額が置かれています。
天保14年(1843)、佐藤泰然(1804-1872)が佐倉に医院兼蘭学塾の順天堂を
開いた時に、「順天堂」と命名した姫路藩医山田安朴の揮毫したものです。

じIMG_0124


戊辰戦争で、新政府軍の奥羽追討出張病院(野戦治療所)に掲げられた旗です。

じIMG_0123

赤い旗は順天堂第3代堂主の佐藤進(1845-1921)が頭取を務めた白河口の
治療所の旗です。
白河口の戦いは新政府軍と奥羽越列藩同盟軍による白河小峰城の争奪戦です。

白い旗は順天堂で佐藤泰然に学んだ関寛斎(1830-1912)が頭取を務めた平潟口の
治療所の旗です。
平潟口の戦いは新政府軍の常陸国平潟への上陸に続く戦いです。

戊辰戦争での旧幕府軍の病院を指揮したのは順天堂の創設者、佐藤泰然の子、
松本良順(1832-1907)です。
松本良順は14代将軍、徳川家茂の侍医を努め、後に初代陸軍軍医総監となっています。

森林太郎(鴎外)も陸軍軍医総監を努めており、その後任が藤田嗣治の父、
藤田嗣章です。
パリの画壇で活躍していた藤田嗣治が第二次世界大戦の勃発により日本に戻り、
陸軍美術協会理事長に就任して、戦争画の制作に没頭したのは、父が陸軍軍医総監
だったことによる使命感もあったためとされています。

藤田嗣治 「サイパン島同胞臣節を全うす」 1945年 東京国立近代美術館(無期限貸与)
藤田002


順天堂医院の隣の東京医科歯科大学医学部附属病院は1928年に一ツ橋に
設立された東京高等歯科医学校が1930年に東京女子高等師範学校の跡地に
移転されたものです。
現在は正面に特別なテントが設置されています。

左が東京医科歯科大学、右が湯島聖堂です。

ニIMG_0031


附属病院前には2019年に「近代教育発祥の地」の碑が置かれました。

ニIMG_0047


東京大学総合研究博物館小石川分館は元は1876年に本郷に建てられた
東京医学校の建物で、現存している東京大学で一番古い建築です。
後に小石川植物園に移築され、今は博物館として利用されています。
明治初期の擬洋風建築で、昔は塔に時計が付いていました。

小0062

東京大学医学部と附属病院は蘭方医たちによって1858年に神田お玉ヶ池に
種痘所を設置したことに始まります。
その後、西洋医学所、医学所と改称され、明治4年(1971)には大学東校となります。
さらに何度か改称の後、東京医学校となり、明治9年(1976)に旧加賀前田藩上屋敷の
跡地である本郷の現在地に移転しています。

本郷の東京大学医学部の建物です。

医学部


医学部附属病院です。

びIMG_0718


2014年に国立科学博物館で、江戸時代の医療を解説する「医は仁術」展が開かれました。
江戸時代の日本の医療従事者の熱意、工夫の伝わる、大変印象深い展覧会でした。

「医は仁術」展の記事です。

「腑分」 前田青邨 1970年 山種美術館
院005

江戸時代の腑分(ふわけ、解剖のこと)の場面です。
腑分をする者を中心に、蘭書を手に見入る者、おそるおそる覗く者、
合掌する者など、さまざまな様子が描かれています。
抑えた色彩によって、静かな興奮を表しています。


司馬遼太郎の「胡蝶の夢」は幕末維新期の蘭方医の活躍を著したものですが、
彼らから見れば、現在のお茶の水、本郷に並ぶ大病院の様は夢のようでもあり、
当時の医療への努力を現在から見れば、夢を見ているようでもあります。

右は東京医科歯科大学病院、その左3つは順天堂医院です。

びIMG_0717


【2020/05/01 19:21】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
プロフィール

chariot

Author:chariot
美術館・博物館めぐりとカフェの記事を書いています。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード


| ホーム | 次ページ>>