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「19世紀パリ時間旅行―失われた街を求めて―」 練馬区立美術館
中村橋
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練馬区立美術館では、「19世紀パリ時間旅行―失われた街を求めて―」が開かれています。
練馬区独立70周年記念展で、会期は6月4日(日)までです。

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フランス文学者の鹿島茂氏(1949-)による「失われたパリの復元」(「芸術新潮」連載)を基に、
19世紀のパリについての資料や作品を展示する展覧会です。

ビュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」 
 油彩・鉛筆・カンヴァス 1875年頃 島根県立美術館

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会場の最初に置かれています。
パリのパンテオンの装飾壁画の縮小版です。
聖ジュヌヴィエーヴはパリの守護聖人で、451年のフン族の攻撃から
パリを守ったとされています。
パリのパンテオンは元は聖ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、
1792年に竣工しています。
故郷のナンテールで、聖ジェルマンに見出された場面で、対角線構図で
配された群像の中心に幼いジュヌヴィエーヴが立っています。
手前の水面はセーヌ川を表しています。

パリはナポレオン3世の第二帝政期(1852-70)にセーヌ県知事のオスマン男爵によって
パリ大改造(1853-70)が行なわれています。
広い直線通りを何本も通すなど道路網を整備し、衛生環境を改善するなどして、
現在のパリの景観を形作っています。
一方で下層民の住居は強制的に破壊され、住民はパリ周辺部へ追いやられています。

アドルフ・マルシアル=ポテモン 「ロラン=ブラン=ガージュ通り(袋小路)」 
エッチング・紙 1864年 鹿島茂コレクション

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版画集「いにしえのパリ」(1866年)の一部です。
アドルフ・マルシアル=ポテモン(1828-1883)は大改造前のパリの街並みのほぼすべてを
版画に写した、「いにしえのパリ」を制作しており、今では貴重な資料となっています。

エミール・バヤール 「コゼット」 木版画 1879-1882年
パリ5

パリ6

ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した「レ・ミゼラブル」のユーグ版の挿絵版画です。
コゼットはまだ幼いのに、小間使いとして働かされています。
「レ・ミゼラブル」の舞台のパリは大改造前の時代です。

フランソワ・ポンポン 「コゼット」 ブロンズ 1888年 群馬県立館林美術館
桶を重そうに持ち上げるコゼットの像です。
フランソワ・ポンポンは単純化された動物の像で有名な彫刻家ですが、初期の作品で、
ロダンのようなロマン主義的な雰囲気があります。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「森の散歩道(ル・クール夫人とその子供たち)」 
 油彩、カンヴァス 1870年  公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館に寄託)

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パリ郊外のブローニュと思われる森を散歩する、友人の建築家、
シャルル・ル・クールの家族を描いています。
初期の作品で、コロー風の落着いた色彩です。
ブローニュの森もパリ大改造時にロンシャン競馬場を建設するなど、
整備が進められています。

アンリ・ルソー 「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」 
 油彩・カンヴァス 1896-98年 ポーラ美術館
 
パリ1

右奥のトロカデロ宮殿(1937年に取壊し)は1878年のパリ万博のメイン会場、
エッフェル塔は1889年のパリ万博の入場口として建設されています。
手前はアンヴァリッド橋で、1854年に翌年のパリ万博に合わせてこの形に
架け替えられています。
アンリ・ルソーは大改造後のパリに生きています。

ポール・シニャック 「ポン・ヌフ」 水彩・紙 1927年 茨城県近代美術館
パリ3

ポン・ヌフはシテ島をまたいでセーヌ川に架かる橋で、「新しい橋」という意味ですが、
竣工は1607年で、パリで一番古い橋です。 
シテ島はパリ発祥の地であり、パリ市の標語、「パリはたゆたえども沈まず」は
この島に由来しています。
また、シテ島に住む者を表す、「シトワイアン」はやがて「市民」(英語のシティズン)という
意味を持つようになります。
大改造前は貧民窟になっていたシテ島は整備が進み、住民は追い払われています。

モーリス・ユトリロ 「モンマルトルのキュスティーヌ通り」 
 油彩・カンヴァス 1938年 松岡美術館

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キュスティーヌ通りはモンマルトルのサクレ・クール寺院の北東側にあります。
大改造によって出現した整然とした街並みです。
定規をよく使っていたユトリロには直線的な街路は描きやすかったかも知れません。
展覧会の中で一番新しい作品で、この絵の翌年に第2次世界大戦が始まり、
1940年にはパリはナチスドイツ軍に占領されています。
そして、戦後は芸術・文化の中心はフランスなどのヨーロッパからアメリカに
移っています。

他に、オノレ・ドーミエの社会風刺版画や、ピエール・ボナールのリトグラフ、
「パリ生活の諸相」(1895-99年)、浮世絵風の版画で知られるアンリ・リヴィエールの
「エッフェル塔36景」(1902年)なども展示されています。
大改造前からベル・エポックの時代まで、19世紀のパリの雰囲気が伝わる、
とても興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。

次回の展覧会は、「生誕110年記念 漆の画家 太齋春夫展」です。
会期は6月9日(金)から7月14日(金)までです。

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【2017/05/23 20:21】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「赤門―溶姫御殿から東京大学へ」 東京大学総合研究博物館本館
本郷三丁目
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東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では特別展示、
「赤門―溶姫御殿から東京大学へ」が行なわれています。
会期は5月28日(日)まで、入場は無料で、休館日は月曜日です。

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本郷邸開設400年周年、東京大学設立140周年を記念しての展示です。

東京大学本郷キャンパスの赤門は、文政10年(1827)に、11代将軍徳川家斉の息女、
溶姫(やすひめ、ようひめ:1813-1869)が加賀前田家13代藩主斉泰(1811-1884)に
輿入れするにあたって建てられた門です。

赤門表


徳川将軍の息女を迎えるということで、加賀藩は約5200坪の御殿(御住居のちに御守殿)を
新築しており、赤門(正式名は御守殿門)もこの時建てられています。
将軍の息女の嫁ぎ先であることを表すため、朱色に塗られ、赤門の名の由来となっています。

藩邸の御殿部分の図面
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この両側に家臣の住居があります。

女中部屋
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名前が書いてあり、相部屋だったようです。

溶姫御殿の瓦
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葵紋が入っていて、火災の跡が無いことから、安政2年(1855)の安政江戸地震で
被災したものと思われます。

出土した双葉葵紋の食器
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徳川家から来た女中であることを表しているようです。

九谷焼の小杯
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加賀藩の支藩で九谷焼を産する大聖寺藩から溶姫御殿付女中への献上品と考えられます。

屋号の刻まれた徳利
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当時のデリバリー食器で、いろいろな店の屋号が刻んであります。
溶姫御殿と他の御殿では主に出入りしている店が違っているようです。
出入り業者も徳川家から付いてきたきたのでしょうか。

貝殻や魚骨
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高級食材のカモやアワビ、当時は下魚だったマグロもあります。

蚊遣り豚
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今でも使えそうです。

鏡、かんざし、銭
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便槽に落ちていたものです。
便槽の土からは鉛が検出され、女中たちが鉛を含んだ白粉を使っていたことが分かります。

赤門の修繕見積書
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明治36年の東京帝国大学赤門の修繕見積書で、営繕掛に出されています。

加賀藩邸は慶応4年(1868)に本郷春木町からの出火でその大部分を焼失しています。
この年、溶姫は幕末維新の混乱を避けるために移っていた金沢で亡くなり、
加賀藩は新政府軍に属して出兵し、長岡藩と戦っています。

東京大学本郷キャンパスに残る加賀藩邸の遺構についての記事です。

展示のHPです。


【2017/05/20 19:35】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
迎賓館赤坂離宮の一般公開
四谷
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迎賓館赤坂離宮の一般公開に行ってきました。
公開スケジュールは内閣府のHPで発表されています。
入館料大人1000円、本館の参観受付は10時から16時までです。
5月25日から30日までは予約無しで本館・主庭を参観できます。

入館の時には手荷物の検査があり、飲物や傘はそれをバッグなどに
完全に収納しておくようにとのことです。

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迎賓館は東宮御所として建設され、明治42年(1909)に完成した、ネオバロック様式の建築です。

正門前の並木道
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本館正面
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主庭側から見た本館と噴水
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迎賓館赤坂離宮の概要
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迎賓館赤坂離宮の変遷
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本館内は撮影禁止なので、以下はパンフレットなどの写真です。

中央階段
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階段の床にはイタリア産、壁にはフランス産の大理石が張られ、シンデレラ姫が
駆け下りて行きそうです。

2階大ホール
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小磯良平の油彩画、左「絵画」、右「音楽」(1974)が飾られています。
迎賓館の改修時に飾られた作品で、小磯良平は壁に取り付けられた自分の作品を見て、
地塗りが暗すぎたのではないかと、戸惑ったそうです。

彩鸞の間
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ナポレオン1世の帝政時代に流行したアンピール様式(帝政様式)に拠っています。
来客が最初に案内される控えの間や、条約の調印式などに利用されます。

羽衣の間
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迎賓館の中で最も大きな部屋で、オーケストラボックスもあり、舞踏会場として
設計されていました。
壁には楽器をなどをあしらった石膏の浮彫りが飾られています。

花鳥の間
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公式の晩餐会の催される部屋で、壁は木曽産のシオジ材を使った重厚な雰囲気です。
シャンデリアはフランス製で、重さは約1,125㎏もあるそうです。
壁には渡辺省亭の花鳥図の原画による濤川惣助の楕円形の無線七宝が30枚、
嵌め込まれています。

「尉鶲(ジョウビタキ)に牡丹」
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係員の方にいろいろ質問している来館者もいました。
休憩室には飲物の自動販売機があり、写真集なども販売されていました。

2008年に大規模改修を終えたどの部屋も、建築したばかりのようにまばゆく輝き、
隅々まで装飾が行き届いていて、見飽きることがありません。
是非一度、参観されることをお奨めします。

内閣府のHPです。


【2017/05/18 20:22】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「没後150年 坂本龍馬」展 両国 江戸東京博物館
両国
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江戸東京博物館では特別展、「没後150年 坂本龍馬」展が開かれています。
会期は6月18日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、ご注意ください。

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坂本龍馬(1835-1867)の没後150年を記念しての企画で、特に直筆の手紙が数多く展示され、
龍馬の息遣いまで伝わってくる展覧会です。

長崎市風頭公園にある坂本龍馬の銅像の樹脂原型です。

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「坂本龍馬湿式写真」 慶応2年または3年頃(1866~1867) 
 高知県立歴史民俗資料館

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4月29日から5月1日までの限定展示で、それ以外の期間は複製が展示されます。
名刺ほどの小さなセピア色のガラス板の中に、よれた袴を着け、ブーツを履き、
懐手をした、いかにも龍馬らしい立姿が浮かんで見えます。

「北辰一刀流長刀兵法目録」(部分) 坂本龍馬宛 
 千葉定吉筆 安政5年(1858) 高知・龍馬歴史館
 
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江戸の千葉道場での修行で得た、長刀の免状です。
千葉周作・定吉・重太郎の他、龍馬の許婚といわれる佐那など、定吉の娘3人の
名前の並んだ、珍しい形の免状です。

「龍馬書簡 文久三年六月二十九日」 坂本乙女宛 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
坂本龍馬は筆まめな人で、多くの手紙を残しています。
文久3年(1863)に、龍馬の母親代わりとなって龍馬を世話した姉の乙女に出した手紙で、
長州藩の下関での外国艦隊砲撃事件などについて書いてあります。
「日本を今一度せんたくいたし申候」の文言が3行目、4行目に見えます。
片仮名で「ニッポン」とルビが振ってあります。

「龍馬書簡 慶応二年十二月四日」 坂本乙女宛 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
寺田屋事件で負傷した坂本龍馬は西郷隆盛の奨めで、妻のおりょうを連れて鹿児島に
湯治に行っています。
日本最初の新婚旅行とも呼ばれる旅で、高千穂峰に登った時の様子を絵入りで
書き送っています。

「近世珍話」 3巻のうち下巻 前川五嶺 慶応3年(1867) 京都国立博物館
元治元年(1864)の禁門の変を記録した絵巻物です。
血に染まった長州藩兵たちの遺体を荷車に積んで墓地に運び込んでいる場面もあります。

「紫糸威鎧」 島津斉彬所用 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
古典的な大鎧の形をした、見事な鎧で、丸に十の字の島津家家紋と替紋の五三桐の金具が付き、
前立てには島津家が崇敬した稲荷神を表す狐が据えられています。
禁門の変で戦い、敵対関係となっていた薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結ぶ仲立ちをしたのが
坂本龍馬の功績の一つです。

「梅椿図(血染掛軸)」 板倉槐堂 慶応3年(1867) 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
淡海(板倉)槐堂(1823-1879)は文人で、勤王の志が篤く、坂本龍馬や
中岡慎太郎を支援しています。
龍馬が京都の宿舎にしていた近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺された時、
座敷に掛けられていて、下の方に飛び散った血が付いています。
上に書かれているのは海援隊士の長岡謙吉(1834-1872)による追悼文です。

「書画貼交屏風(血染屏風)」 江戸時代 18世紀 京都国立博物館 重要文化財
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6月6日から6月18日までの展示です。
龍馬たちが暗殺された近江屋の座敷にあった屏風です。
左下の猫の絵の辺りに、染みが残っていて、遭難した時の血痕といわれています。

「刀 銘 吉行」 坂本龍馬佩用 江戸時代(17~18世紀) 京都国立博物館
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坂本龍馬が脱藩に際して、兄の権平から貰い受けた刀で、龍馬が暗殺された時も
所持していたと言われています。
反りがほとんど無く、刃紋も真っ直ぐです。
これは大正時代に火災に遭い、反りを失って、研ぎ直しにより刃紋も変わったもので
あることが最近の調査で分かっています。
吉行は江戸時代初期の刀工で、土佐藩に招かれて移住しています。

「刀 銘 国廣」 渡辺篤佩用 桃山時代 17世紀 個人蔵 京都国立博物館寄託
渡辺篤(1844-1915)は幕府の京都見廻組に属し、坂本龍馬たちの暗殺に加わったとされています。

「刀 銘 兼元」 林田貞堅佩用 室町時代 16世紀 京都・霊明神社
慶応4年(1868)に京都御所に向かっていた英国公使パークスの一行を襲撃した林田貞堅
(朱雀操)が使った刀です。
林田貞堅と三枝蓊(しげる)の2名で襲撃しますが、警護していた薩摩藩士の中井弘が応戦し、
土佐藩士の後藤象二郎も駆け付けて林田を斬り、林田は中井に首を刎ねられ、三枝も捕えられて、
後日斬首されています。
林田の刀の刃側には20近く、棟側には5つの傷があるとのことで、所々に大きな刃こぼれが見えます。

霊明神社は幕末の志士たちと関係が深く、坂本龍馬と中岡慎太郎もここに葬られました。
林田貞堅と三枝蓊もここに葬られています。
明治になり、墓地一帯は京都霊山護国神社に譲られています。

「刀 無銘」 中井弘佩用 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
応戦した中井の刀で、娘婿の原敬によって京都国立博物館に寄贈されています。
こちらも刃こぼれが幾つも残り、戦闘の激しさを物語っています。
林田の刀と中井の刀では林田の方が刀身が長そうですが、斬り合いでは後藤の助太刀もあって、
中井が勝っています。
斬り結んだ双方の刀が並んでいるというのは極めて珍しいことです。

「装飾洋刀」 中井弘佩用 ヴィクトリア時代(1868) 京都国立博物館
中井と後藤にはその功績を讃えて、ヴィクトリア女王からサーベルが贈られています。
刀身にもびっしり装飾が彫られ、功績を記した文も彫られています。

中井弘(1839-1894)は後に滋賀県知事、貴族院議員、京都府知事を務めています。
また、「鹿鳴館」の名付け親でもあります。
後藤象二郎(1838-1897)は同じ土佐の坂本龍馬と関係が深く、後に土佐を代表する政治家と
なっています。

攘夷運動は明治維新の原動力の一つですが、攘夷を実行して首を晒される者がいる一方で、
それと闘って明治に活躍する者がおり、歴史とは不思議な巡り合わせで出来ています。


江戸東京博物館の所蔵する、幕府軍艦の備品類も展示されています。
こちらは撮影可能です。

第二長崎丸(長崎丸二番)備品
イギリスから購入した輸送船で、戊辰戦争時に新政府に抗して旧幕府艦隊を率いて脱走した
榎本武揚の指示により庄内藩の支援のため派遣されますが、秋田沖の飛島勝浦港で
座礁沈没しています。

沈没前に持ち出された望遠鏡や砂時計、バロメーターなどです。
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錫の保温器やスポード社製食器もあります。
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日の丸は嘉永7年(1854)に幕府により日本船であることを表す船舶旗として採用されています。
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「海上安全万代寿」 河鍋暁斎 文久3年(1863) 香川・琴平海洋博物館
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3枚続きの大判錦絵で、幕府がイギリスから購入し、輸送船として使用した順動丸を描いています。
勝海舟は4代将軍徳川家茂の京都から江戸への帰還の時に順動丸に乗せて航海し、
坂本龍馬も乗せたことがあります。
戊辰戦争時には旧幕府海軍の船として箱館から新潟港に物資を運びましたが、
慶応4年(1868)に寺泊で新政府軍の攻撃を受け、自沈しています。

「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」 
 川村清雄 明治18年(1885) 江戸東京博物館

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5月21日までの展示で、以後は複製が展示されます。
会場の最後に置かれています。
勝海舟(1823-1899)は坂本龍馬の師であり、海軍の功労者でもあります。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの撮った勝海舟の写真を元に、
江戸開城を果たした時の姿として描いています。
向こうには、洋装に陣笠を被った旧幕臣が抜き身を持って斬りかかろうと
しているのが見えます。

他にも幕末維新関係の資料が数多く揃った、とても興味深い展覧会ですが、
来館者も多く、混雑することがありそうです。

2010年に同じ江戸東京博物館で開かれた、「龍馬伝」の記事です。

展覧会のHPです。


次回の特別展は、「戦国! 井伊直虎から直政へ」です。
会期は7月4日(火)から8月6日(日)までです。

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【2017/05/16 19:51】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「幕府祈願所 霊雲寺の名宝」展示 東京国立博物館
上野
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上野の東京国立博物館本館特別2室では6月4日(日)まで、平常展示の企画として、
「幕府祈願所 霊雲寺の名宝」が展示されています。

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霊雲寺は文京区湯島にある真言宗の寺院で、元禄4年(1691)に覚彦浄厳
(かくげんじょうごん:1639~1702)を開基とし、幕府の祈願所として創建されています。
浄厳は河内の生まれで、高野山に学び、真言教学やサンスクリット(梵語)を修め、
戒律の大切さを説き、庶民への布教にも努めています。
5代将軍徳川綱吉や柳沢吉保の帰依を受け、開いたのが霊雲寺です。

「小石川谷中本郷絵図」 戸松昌訓編 万延2年(1861)刊
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幕末の頃の江戸の絵図で、西を上にしていて、中心に加賀前田家の江戸屋敷
(現在の東京大学本郷キャンパス)があります。
下の青い部分は上野不忍池です。
左の青い四角が霊雲寺、右の青い丸が浄厳の墓所のある妙極院です。

「弥勒曼荼羅図」 鎌倉時代・13世紀 霊雲寺蔵 重要文化財
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弥勒菩薩を中心にした曼荼羅です。
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「諸尊集会図」 鎌倉時代・13世紀 霊雲寺蔵 重要文化財
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大日如来を中心にした五如来、十菩薩、五天、五明王童子を描いたという
珍しい様式の曼荼羅です。

「両界曼荼羅図」 江戸時代・17世紀 霊雲寺蔵
金剛界
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胎蔵界
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浄厳独自の解釈による曼荼羅ということで、諸尊の名前も書き込まれています。
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「十六羅漢図」 鎌倉時代・14世紀 霊雲寺蔵 重要文化財
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北宋の画家、李龍眠に倣った羅漢図で、元は京都の大徳寺に伝来していました。

「梵書阿字」 浄厳筆 江戸時代・17世紀 霊雲寺蔵
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「阿」の字はすべての音声、文字、教えの基本だそうです。

「不動明王像」 徳川綱吉筆 元禄8年(1695) 霊雲寺蔵
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綱吉の寄進した不動明王像で、葵の紋の付いた立派な箱に入っています。

「江戸名所図会」 齋藤長秋著 江戸時代・天保7年(1836)  東京国立博物館
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宝井其角の句が添えられています。

大悲心院 花を見はべりて

  灌頂の闇よりいでてさくら哉 其角

霊雲寺での結縁灌頂を受けた後、目隠しを取った後の晴れと心の闇の晴れを詠んでいます。
芭蕉の高弟の宝井其角(1661-1707)も浄厳の灌頂を受けていたことが分かります。

霊雲寺の境内には桜の巨木があり、春には白みがかった花を咲かせます。

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【2017/05/13 18:01】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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Author:chariot
東京のビルの多い街で暮らしています。

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