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「ランス美術館展」 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
新宿
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新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館では、「ランス美術館展」が開かれています。
会期は6月25日(木)までです。

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ランスはフランス北東部にある都市で、歴代フランス国王が戴冠式を行なった大聖堂で有名です。
展覧会ではランス美術館の所蔵する17世紀から20世紀にかけての絵画作品、約70点が
展示されています。
特に晩年にフランスに帰化したレオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品が多く、フジタがランスに
建設した「平和の聖母礼拝堂」の壁画のための素描も展示されています。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(および工房) 「マラーの死」 1793年 7月13日以降 
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フランス革命の歴史を書いた本によく載っている絵です。
ベルギー王立美術館にある絵と同じ画面で、人気があったので工房で何点か制作されています。
ジャン=ポール・マラー(1743–1793)はジャコバン派の革命家で、皮膚病の治療のため
風呂に入っていたところを、対立するジロンド派の女性に殺されています。

ウジェーヌ・ドラクロワ 「ポロニウスの亡骸を前にするハムレット」 1854-56年
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ハムレットが叔父のデンマー王クローディアスと間違えてオフェーリアの父
ポロニウスを殺してしまった場面です。
奥では母である王妃ガートルードが驚き嘆いています。
ロマン派の特徴の、動きのある対角線の画面です。

カミーユ・コロー 「川辺の木陰で読む女」 1865-70年
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コロー独特の、銀灰色の水辺と樹々、点景として描かれた人物の世界です。

ポール・ゴーギャン  「バラと彫像」 1889年 油彩、カンヴァス
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ブルターニュのル・ブルデュの宿屋で描いた作品で、マルティニークで制作した
丸彫り彫刻が置いてあります。
この彫刻は宿屋の主人に借金のかたとして取られてしまったそうです。

カミーユ・ピサロ 「オペラ座通り、テアトル・フランセ広場」 1898年
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ピサロがパリの街の連作に取り組むようになったのは画商のポール・デュラン=リュエルの
奨めによるもので、モネの積み藁やルーアン大聖堂を描いた連作の成功の影響とのことです。
テアトル広場に面したホテルの窓からの景色でパリ改造計画の一つとして建設され、
1975年に竣工したオペラ座と、その正面から伸びるオペラ座通りが見えます。
オペラ座通りを中心にした作品は15点描かれています。

モーリス・ドニ 「魅せられた人々」 1907年
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家族旅行でヴェネツィアの沖のリド島を訪れた時に見た光景をヒントにしているそうで、
海の向こうに教会の円屋根が見えます。
ギリシャ彫刻の彫像のような人物の並ぶ、薔薇色に輝く古典古代の世界です。

ランス美術館はレオナール・フジタの作品を数多く所蔵していて、展覧会でも
油彩やテンペラは13点、展示されています。

レオナール・フジタ 「猫」 1963年
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黒を背景にした、猫尽くしの図です。

レオナール・フジタ 「マドンナ」 1963年
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1959年公開の映画、「黒いオルフェ」のヒロインを演じた、アフリカ系アメリカ人の
マルペッサ・ドーン(1934-2008)がモデルです。
「黒いオルフェ」はテーマ曲の「カーニヴァルの朝」でも有名です。
マリアの周りをアフリカ系の顔のケルビム(天使の一種)が囲み、中世絵画の
趣きがあります。
西洋の美の系譜に異文化の薫りを混ぜるのをフジタは得意としていたとのことで、
フジタの乗りやすい性格も表れています。
アフリカにあったフランスの植民地の多くはこの絵の頃までに独立を果たしています。
フジタは1959年にランス大聖堂でカトリックの洗礼を受けています。

レオナール・フジタ 「授乳の聖母」 1964年
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「授乳の聖母」はキリスト教絵画の画題ですが、聖母子と一緒に、ライオン、狼、
それに珍奇な動物のカンガルーやコアラの親子が描かれています。
マリアが手にしているのはゴシキヒワの巣で、膝元のアザミとともにキリストの受難の
象徴とされています。
聖母子も動物も母子ということでは同じというのは、西洋とは異なる発想のように思います。

レオナール・フジタ 「平和の聖母礼拝堂」フレスコ画のための素描
 「死せるキリストを嘆く人々 十字架降下」 1965年5月12日 

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木炭などで描かれた、十字架から降ろされたキリストの遺骸に取り付いて
嘆く女性たちです。
腕を垂れたキリストの姿は15世紀フランスの画家、アンゲラン・カルトンの
「アヴィニヨンのピエタ」を思わせます。

晩年のフジタはランスに礼拝堂を建てることを思い立ち、シャンパン醸造業の社長、
ルネ・ラルーの援助で、1966年に「平和の聖母礼拝堂」を完成させています。
会場にはステンドグラスとフレスコの壁画のための素描類、10点も展示されています。
どれも80歳で描いたとは思えない、気迫に満ちた描写で、とても見応えがあり、
礼拝堂建設がフジタの画業の集大成だったことが分かります。
レオナール・フジタは礼拝堂の完成の2年後に亡くなっています。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は「生誕140年 吉田博展 山と水の風景」です。
会期は7月8日(土)から8月27日(日)までです。

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【2017/05/30 20:25】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「桜茶寮」 両国 江戸東京博物館
両国
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「桜茶寮」は両国の江戸東京博物館の7階にあります。
所在地は墨田区横網1-4-1です。

一番上の窓ガラスの部分が「桜茶寮」です。

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入館券が無くても利用できます。
江戸時代風に木戸から入ります。

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130席と広く和風のつくりで、全席禁煙、窓が大きく明るい店内です。
和食レストランで、弁当、丼、うどんなどの他、甘味やドリンクがあります。
BGMは箏によるポピュラーでした。

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開店時間は11時なので、9時30分開館の展覧会を観てから入ると
ちょうど良さそうです。

窓から国技館が見えます。

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季節の甘味セット760円はリンゴのタルトでした。
ドリンクはコーヒー・紅茶・エスプレッソから選ぶので、エスプレッソにしました。

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両国を含め東京は関東大震災や空襲で大きな被害を受けています。
街の景色はそれを感じさせない、賑わいを見せています。


江戸東京博物館では6月18日(日)まで特別展、「没後150年 坂本龍馬」展が
開かれているところです。

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「没後150年 坂本龍馬」展の記事です。


【2017/05/28 19:14】 お店 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「花*Flower*華―琳派から現代へ―」 広尾 山種美術館
恵比寿
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山種美術館では企画展、「花*Flower*華―琳派から現代へ―」が開かれています。
会期は6月18日(日)までです。

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山種美術館の所蔵する花の絵を展示する展覧会で、季節の順に展示され、
それぞれの花の解説文も添えられています。

「春」

「醍醐」 奥村土牛 1972年
百003

奈良の薬師寺で行なわれた、小林古径の七回忌の法要の帰りに見た、
醍醐寺三宝院の枝垂桜に感激し、その後10年越しで完成させた作品です。
この作品も、静かに咲いて静かに散る桜の姿と、亡き小林古径の姿を
重ね合わせて描いたとのことです。
幹と支柱の縦線、土塀の横線を基本にして、幹を真中に据え、画面上を
桜で埋め尽くし、土塀の連なりで奥行きを見せています。
花弁の重なりは濃く薄く描かれて、立体感があり、塗りを重ねた幹の色は
桜の経てきた年月を感じさせます。

千住博 「夜桜」 2001年 
冨士005

覆いかぶさる夜桜を、下から見上げた視線で捉えています。
黒々とした夜空の中、ライトに照らされたような紅く細かい点を
びっしり重ねた桜は、現実の夜桜を見ているようで、伝統的な
日本画とは異なる凄みがあります。

「憶昔(おくせき)」 小倉遊亀 1968年
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古九谷の徳利に山吹の花を取り合わせています。
小林古径が愛蔵し、作品にも描かれた品で、後に小倉遊亀に譲られています。
花と陶磁器の取り合わせも、小林古径の清雅な気品に対して小倉遊亀は
ふっくらと艶やかです。

「夏」

「梅雨晴」 山口蓬春 1966年
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日の光を受けて輝く、みずみずしい紫陽花です。
山口蓬春の作品はモダンで明快です。
山種美術館の開館記念に描かれたとのことです。

「秋」

酒井抱一 「菊小禽図(部分)」 19世紀(江戸時代)
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小鳥の重さで菊の枝が大きくしなり、小鳥が今にも飛び立ちそうで、
飛び立った後の赤い菊花の揺れまで予感させ、抱一の感覚の
繊細さを見せています。

「冬」

酒井抱一 「月梅図」 19世紀(江戸時代)
この作品のみ撮影可能です。
下に伸びる紅梅と伸び上がる白梅の組合わせで、月は梅の香の香る夜を表しています。


四季の花をまとめて描いた作品も展示されています。

鈴木其一 「四季花鳥図」 19世紀(江戸後期)
右隻(部分)
 
百002

春夏の図で、向日葵、朝顔、燕子花、オモダカ、菜の花、立葵などと一緒に
鶏のつがいと雛が描かれています。

左隻
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秋冬の図で、薄、菊、女郎花、竜胆、ナナカマド、ワレモコウなどの下に
つがいのオシドリが居ます。
さまざまの草花を活け花のように手際よくまとめ、濃密に描き出した画面は
とても豪華です。

「百花」(部分) 田能村直入 1869年
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100種類の花を描き留めるようにとの明治政府の命で、春夏秋冬の花を
長い巻物に描いています。
今で言うボタニカルアートで、溢れるような花の生命をびっしりと描き込んで
います。

上村松篁 「日本の花・日本の鳥」 1970年
右隻
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左隻
東山013

扇面屏風の形で、右隻に紅白梅、白牡丹、桔梗などの花、左隻に鶉、山鳩、鴛鴦などの
鳥を端正な画風で描いています。

加山又造 「華扇屏風」 1966年 
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右隻
金銀012

左隻
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季節の花を描いた扇面を貼り並べた扇面散らし屏風です。
継ぎ紙、色の異なる銀箔、野毛、銀泥などを駆使した、琳派風の
とても工芸的な作品で、隣に並んだ上村松篁の端正な作風に比べ、
妖しさがあります。


第二展示室は牡丹を描いた作品8点が展示されています。

鈴木其一 「牡丹図」 1851年
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白、薄紅、赤と色を変え、蕾から盛り、しおれ始めまでを
一つの絵の中に収めています。
この作品は中国画風の細密な写実で、琳派とは少し雰囲気が異なっています。

渡辺省亭 「牡丹に蝶図」 1893年 
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この作品のみ個人蔵です。
咲き始め、満開、散り際の牡丹は時間を表し、満開の花は重みで首を垂れ、
クロアゲハが留まり、地面には花弁が散っています。
手前の方は鮮やかな色合いで、奥の方の葉は薄墨で描かれ、画面に奥行きを
見せています。

他に鈴木其一、菱田春草、小倉遊亀などの作品が展示され、同じ牡丹の描き方の
違いを見比べることが出来ます。


花は日本画の重要な画題だけあって、多くの画家がさまざまに描いてます。
今まで観たことの無い作品も多く、洋画も数点あって、楽しめる展覧会です。

山種美術館のHPです。


次回の展覧会は特別展、没後50年記念「川端龍子-超ド級の日本画-」です。
会期は6月24日(土)から8月20日(日)までです。

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【2017/05/27 19:53】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「睡蓮の庭」 西武池袋本店9階屋上 2017/5
池袋
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西武池袋本店9階屋上にある「睡蓮の庭」に行ってきました。
2015年4月にオープンした「食と緑の空中庭園」にあって、
モネのジヴェルニーの庭を模しています。
空中庭園には大勢のお客さんが来ていていて、
「睡蓮の庭」の写真などを撮っていました。
ちょうど、バラの盛りでした。

クロード・モネ
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スイートチャリオット
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サンライトロマンティカ
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バラのアーチ
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睡蓮も咲いています。
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手前に柳の下がった、モネの絵と同じ景色です。
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参考
「睡蓮」 1903年 ブリヂストン美術館
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以前の「睡蓮の庭」の記事です。

横浜のそごう美術館では、5月28日(日)まで『ルドゥーテの「バラ図譜」展』が
開かれているところです。

「『ルドゥーテの「バラ図譜」展』の記事です。


【2017/05/26 19:46】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」 三井記念美術館
三越前
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日本橋の三井記念美術館では特別展、創建1250年記念、「奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」が
開かれています。
会期は6月11日(日)までです。
5月14日までの前期と16日からの後期で、一部展示替えがあります。

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7月29日から9月24日には、あべのハルカス美術館、10月20日から12月10日は山口県立美術館に
巡回し、展示品にも異同があります。

西大寺は孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願による天平神護元年(765年)の創建と
される官寺で、南都七大寺の一つに数えられています。
平安時代に衰微しますが、鎌倉時代に叡尊によって復興されています。

展覧会では西大寺とその一門の寺院に伝わる仏像や絵画、工芸品が展示されています。

「興正菩薩坐像」 善春作 鎌倉時代・弘安3年(1280) 西大寺 国宝
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2016年に国宝に指定されています。
叡尊(1201-1290)は真言密教を学び、戒律を重んじて、真言律宗の祖となり、民衆の救済にも
力を尽くしています。
その功績から、没後には興正菩薩の尊号を贈られています。
像は80歳の寿像で、写実的に造られ、こめかみの血管も表現され、長く伸びた眉が目を惹きます。

「金銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤)」 
 鎌倉時代 西大寺 重要文化財

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精巧な細工の法具で、蓮の花弁の跳ね上がっているところまで表現されています。
手前の五鈷杵に手擦れの跡があり、祈祷の際には特に五鈷杵が使用されているようです。

「金銅透彫舎利容器」 鎌倉時代 西大寺 国宝
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高さ37㎝で、透かし彫りを施した円筒の中に蓮台の形をした舎利容器が納められています。
どの部分も極めて精巧に作られ、見事な出来栄えです。
叡尊は戒律を通じて釈迦への回帰を強めたことから、真言律宗の寺院では仏舎利
(釈迦の遺骨)を重んじています。

「塔本四仏坐像のうち、釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像」 
  奈良時代 西大寺 重要文化財

釈迦如来坐像
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阿弥陀如来坐像
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木芯乾漆で、8世紀末の作と思われ、西大寺創建時に東西いずれかの塔に安置されていた
ようですが、当初の尊名は不明ということです。
東京展では釈迦如来坐像と阿弥陀如来坐像が展示されています。

「愛染明王坐像」 善円 鎌倉時代・宝治元年(1247) 西大寺 重要文化財
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5月14日までの展示です。
像高30㎝ほどの小さな像ですが、赤い彩色が残り、憤怒の形相を見せています。
叡尊の発願による制作で、善円は奈良を中心に活躍した仏師の一派、善派の一人です。

「文殊菩薩騎獅及び四侍者像のうち 文殊菩薩坐像」 
 鎌倉時代・正安4年(1302) 西大寺 重要文化財

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文殊菩薩が獅子に乗り、4人の侍者を連れて海を渡るという、渡海文殊の形は鎌倉時代に
多く制作されています。
叡尊の没後、弟子たちの発願で造像されており、叡尊が文殊菩薩を信仰していたことを
表しています。
東京展では善財童子立像・最勝老人立像とともに展示されています。

叡尊は文殊菩薩、聖徳太子、観音菩薩、弥勒菩薩、さらに伊勢神宮や三輪明神への信仰を
持っていたようで、西大寺や系列の寺院にはさまざまな像があります。

「釈迦如来立像」 院保他 鎌倉時代・徳治3年(1308) 
 横浜・称名寺(金沢文庫保管) 重要文化財

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横浜の称名寺は真言律宗の寺院で、金沢北条氏の菩提寺です。
北条氏など東国への布教は、叡尊の弟子で社会的弱者の救済に務めた忍性(1217-1303)が
行なっています。
院保は仏師の院派の一人で、院派は真言律宗と関係を持っています。
院派の仏像は中国風を取り入れているとのことで、特異な顔立ちです。

「吉祥天立像」 鎌倉時代 浄瑠璃寺 重要文化財
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6月5日から11日まで、7日間のみの短い展示です。
浄瑠璃寺は明治時代に真言律宗の寺院になっています。
像高90㎝ほどで、厨子に納められ秘仏とされていたので、彩色がそのまま残り

魅力にあふれた姿を拝むことが出来ます。

茶室の如庵には、西大寺の大茶盛式で使われる巨大な茶碗と茶筅が置かれています。

大茶盛式は延応元年(1239)から続く行事で、叡尊が八幡神社に献茶したお下がりを
人びとに振る舞ったことに始まったということです。
飲酒を禁じた叡尊は酒盛りの代わりに茶盛を奨め、当時は高価だった茶による医療も
実施しています。
私も以前、春の大茶盛式に参加したことがあります。
茶碗は重く、隣の人に助けてもらわないと飲めないので、まさしく叡尊の説いた一味和合の
精神が生かされています。

5月3日(水・祝)と5月19日(金)には大茶盛式を体験することが出来ます。
場所は向かいのコレド室町3の3階「橋楽亭」です。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は特別展、「地獄絵ワンダーランド」です。
会期は7月15日(土)から9月3日(日)までです。


【2017/05/25 22:35】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「19世紀パリ時間旅行―失われた街を求めて―」 練馬区立美術館
中村橋
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練馬区立美術館では、「19世紀パリ時間旅行―失われた街を求めて―」が開かれています。
練馬区独立70周年記念展で、会期は6月4日(日)までです。

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フランス文学者の鹿島茂氏(1949-)による「失われたパリの復元」(「芸術新潮」連載)を基に、
19世紀のパリについての資料や作品を展示する展覧会です。

ビュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」 
 油彩・鉛筆・カンヴァス 1875年頃 島根県立美術館

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会場の最初に置かれています。
パリのパンテオンの装飾壁画の縮小版です。
聖ジュヌヴィエーヴはパリの守護聖人で、451年のフン族の攻撃から
パリを守ったとされています。
パリのパンテオンは元は聖ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、
1792年に竣工しています。
故郷のナンテールで、聖ジェルマンに見出された場面で、対角線構図で
配された群像の中心に幼いジュヌヴィエーヴが立っています。
手前の水面はセーヌ川を表しています。

パリはナポレオン3世の第二帝政期(1852-70)にセーヌ県知事のオスマン男爵によって
パリ大改造(1853-70)が行なわれています。
広い直線通りを何本も通すなど道路網を整備し、衛生環境を改善するなどして、
現在のパリの景観を形作っています。
一方で下層民の住居は強制的に破壊され、住民はパリ周辺部へ追いやられています。

アドルフ・マルシアル=ポテモン 「ロラン=ブラン=ガージュ通り(袋小路)」 
エッチング・紙 1864年 鹿島茂コレクション

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版画集「いにしえのパリ」(1866年)の一部です。
アドルフ・マルシアル=ポテモン(1828-1883)は大改造前のパリの街並みのほぼすべてを
版画に写した、「いにしえのパリ」を制作しており、今では貴重な資料となっています。

エミール・バヤール 「コゼット」 木版画 1879-1882年
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パリ6

ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した「レ・ミゼラブル」のユーグ版の挿絵版画です。
コゼットはまだ幼いのに、小間使いとして働かされています。
「レ・ミゼラブル」の舞台のパリは大改造前の時代です。

フランソワ・ポンポン 「コゼット」 ブロンズ 1888年 群馬県立館林美術館
桶を重そうに持ち上げるコゼットの像です。
フランソワ・ポンポンは単純化された動物の像で有名な彫刻家ですが、初期の作品で、
ロダンのようなロマン主義的な雰囲気があります。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「森の散歩道(ル・クール夫人とその子供たち)」 
 油彩、カンヴァス 1870年  公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館に寄託)

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パリ郊外のブローニュと思われる森を散歩する、友人の建築家、
シャルル・ル・クールの家族を描いています。
初期の作品で、コロー風の落着いた色彩です。
ブローニュの森もパリ大改造時にロンシャン競馬場を建設するなど、
整備が進められています。

アンリ・ルソー 「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」 
 油彩・カンヴァス 1896-98年 ポーラ美術館
 
パリ1

右奥のトロカデロ宮殿(1937年に取壊し)は1878年のパリ万博のメイン会場、
エッフェル塔は1889年のパリ万博の入場口として建設されています。
手前はアンヴァリッド橋で、1854年に翌年のパリ万博に合わせてこの形に
架け替えられています。
アンリ・ルソーは大改造後のパリに生きています。

ポール・シニャック 「ポン・ヌフ」 水彩・紙 1927年 茨城県近代美術館
パリ3

ポン・ヌフはシテ島をまたいでセーヌ川に架かる橋で、「新しい橋」という意味ですが、
竣工は1607年で、パリで一番古い橋です。 
シテ島はパリ発祥の地であり、パリ市の標語、「パリはたゆたえども沈まず」は
この島に由来しています。
また、シテ島に住む者を表す、「シトワイアン」はやがて「市民」(英語のシティズン)という
意味を持つようになります。
大改造前は貧民窟になっていたシテ島は整備が進み、住民は追い払われています。

モーリス・ユトリロ 「モンマルトルのキュスティーヌ通り」 
 油彩・カンヴァス 1938年 松岡美術館

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キュスティーヌ通りはモンマルトルのサクレ・クール寺院の北東側にあります。
大改造によって出現した整然とした街並みです。
定規をよく使っていたユトリロには直線的な街路は描きやすかったかも知れません。
展覧会の中で一番新しい作品で、この絵の翌年に第2次世界大戦が始まり、
1940年にはパリはナチスドイツ軍に占領されています。
そして、戦後は芸術・文化の中心はフランスなどのヨーロッパからアメリカに
移っています。

他に、オノレ・ドーミエの社会風刺版画や、ピエール・ボナールのリトグラフ、
「パリ生活の諸相」(1895-99年)、浮世絵風の版画で知られるアンリ・リヴィエールの
「エッフェル塔36景」(1902年)なども展示されています。
大改造前からベル・エポックの時代まで、19世紀のパリの雰囲気が伝わる、
とても興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。

次回の展覧会は、「生誕110年記念 漆の画家 太齋春夫展」です。
会期は6月9日(金)から7月14日(金)までです。

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【2017/05/23 20:21】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
喫茶店「ショパン」 神田須田町 2017/5
淡路町
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喫茶店「ショパン」に行ってきました。
「かんだやぶそば」の向かいで、千代田区神田須田町1-19-9にあります。

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昭和8年(1933)創業という老舗で、以前は同じ通り沿いの別の場所にありましたが、
30年以上前にこちらに越して来て、同じ内装で営業しています。

奥に鏡を張った大きな紅いシートの店内はほの暗く、ショパンの曲が流れ、
とても落着いた雰囲気です。

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奥のマントルピースの上にはステンドグラスと鏡の付いた大きな飾り棚が据えられています。

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ブレンドコーヒー500円です。

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昔ながらの大変濃く、懐かしい味です。

アンプレス450円です。

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3回も塗ったバターの塩味の効いたトーストに甘い餡を挟んだホットサンドで、
濃いコーヒーとよく合います。

古風な佇まいを今に残す、大変貴重なお店で、雑誌やTVで取材されることもよくあります。

2008年に「ショパン」に行った時の記事です。


【2017/05/21 19:42】 お店 | トラックバック(0) | コメント(2) |
神田祭神輿宮入 2017年
御茶ノ水・新御茶ノ水
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今年は神田明神の神田祭は2年に1度の本祭に当たります。


14日に行なわれた神輿宮入を見てきました。
この日は各町会の大小200基を超える神輿が宮入を行ないます。

東神田三丁目
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神田佐久間三丁目
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神田佐久間四丁目
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江戸神社(神田市場)の千貫神輿の宮入です。
音頭取が3人も乗っている大きな神輿で、宮入の一番の見所です。
神田明神下から坂を上がって来る様は壮観でした。

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門前の鳥居に向かうところです。

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2015年の神田祭神輿宮入の記事です。


【2017/05/21 19:16】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「赤門―溶姫御殿から東京大学へ」 東京大学総合研究博物館本館
本郷三丁目
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東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では特別展示、
「赤門―溶姫御殿から東京大学へ」が行なわれています。
会期は5月28日(日)まで、入場は無料で、休館日は月曜日です。

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赤門4-13-2017_001

本郷邸開設400年周年、東京大学設立140周年を記念しての展示です。

東京大学本郷キャンパスの赤門は、文政10年(1827)に、11代将軍徳川家斉の息女、
溶姫(やすひめ、ようひめ:1813-1869)が加賀前田家13代藩主斉泰(1811-1884)に
輿入れするにあたって建てられた門です。

赤門表


徳川将軍の息女を迎えるということで、加賀藩は約5200坪の御殿(御住居のちに御守殿)を
新築しており、赤門(正式名は御守殿門)もこの時建てられています。
将軍の息女の嫁ぎ先であることを表すため、朱色に塗られ、赤門の名の由来となっています。

藩邸の御殿部分の図面
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この両側に家臣の住居があります。

女中部屋
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名前が書いてあり、相部屋だったようです。

溶姫御殿の瓦
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葵紋が入っていて、火災の跡が無いことから、安政2年(1855)の安政江戸地震で
被災したものと思われます。

出土した双葉葵紋の食器
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徳川家から来た女中であることを表しているようです。

九谷焼の小杯
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加賀藩の支藩で九谷焼を産する大聖寺藩から溶姫御殿付女中への献上品と考えられます。

屋号の刻まれた徳利
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当時のデリバリー食器で、いろいろな店の屋号が刻んであります。
溶姫御殿と他の御殿では主に出入りしている店が違っているようです。
出入り業者も徳川家から付いてきたきたのでしょうか。

貝殻や魚骨
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高級食材のカモやアワビ、当時は下魚だったマグロもあります。

蚊遣り豚
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今でも使えそうです。

鏡、かんざし、銭
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便槽に落ちていたものです。
便槽の土からは鉛が検出され、女中たちが鉛を含んだ白粉を使っていたことが分かります。

赤門の修繕見積書
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明治36年の東京帝国大学赤門の修繕見積書で、営繕掛に出されています。

加賀藩邸は慶応4年(1868)に本郷春木町からの出火でその大部分を焼失しています。
この年、溶姫は幕末維新の混乱を避けるために移っていた金沢で亡くなり、
加賀藩は新政府軍に属して出兵し、長岡藩と戦っています。

東京大学本郷キャンパスに残る加賀藩邸の遺構についての記事です。

展示のHPです。


【2017/05/20 19:35】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「Me’s CAFE & KITCHEN at METoA Ginza」
銀座
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「Me’s CAFE & KITCHEN at METoA Ginza」は東急プラザ銀座の1階にあります。
場所は中央区銀座5-2-1です。

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METoA Ginzaは三菱電機グループのイベントスペースで、1階から3階まであり、
「Me’s CAFE & KITCHEN」は1階に併設されています。
白を基調にした店内は大テーブルを中心にして60席ほど、三菱DIATONEの
スピーカーからポップスが流れていました。

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水はデカンタに入って、置いてあります。

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オーストラリアカフェ&レストランで、ニュージーランドの
「オールプレス・エスプレッソ」のコーヒーを使っています。

フラットホワイト626円はきれいなラテアートが出来ています。

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エディブルフラワーを乗せたキャラメルバナナパウンドケーキ626円は上品な甘さで、
ほのかにバナナの味がして、美味しいです。

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メニューには見た目にもきれいなドリンクもあって、活きの良さを感じるお店です。


【2017/05/19 23:07】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
迎賓館赤坂離宮の一般公開
四谷
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迎賓館赤坂離宮の一般公開に行ってきました。
公開スケジュールは内閣府のHPで発表されています。
入館料大人1000円、本館の参観受付は10時から16時までです。
5月25日から30日までは予約無しで本館・主庭を参観できます。

入館の時には手荷物の検査があり、飲物や傘はそれをバッグなどに
完全に収納しておくようにとのことです。

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迎賓館は東宮御所として建設され、明治42年(1909)に完成した、ネオバロック様式の建築です。

正門前の並木道
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優美な正門
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本館正面
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主庭側から見た本館と噴水
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迎賓館赤坂離宮の概要
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迎賓館赤坂離宮の変遷
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本館内は撮影禁止なので、以下はパンフレットなどの写真です。

中央階段
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階段の床にはイタリア産、壁にはフランス産の大理石が張られ、シンデレラ姫が
駆け下りて行きそうです。

2階大ホール
迎賓館6

小磯良平の油彩画、左「絵画」、右「音楽」(1974)が飾られています。
迎賓館の改修時に飾られた作品で、小磯良平は壁に取り付けられた自分の作品を見て、
地塗りが暗すぎたのではないかと、戸惑ったそうです。

彩鸞の間
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ナポレオン1世の帝政時代に流行したアンピール様式(帝政様式)に拠っています。
来客が最初に案内される控えの間や、条約の調印式などに利用されます。

羽衣の間
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迎賓館の中で最も大きな部屋で、オーケストラボックスもあり、舞踏会場として
設計されていました。
壁には楽器をなどをあしらった石膏の浮彫りが飾られています。

花鳥の間
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公式の晩餐会の催される部屋で、壁は木曽産のシオジ材を使った重厚な雰囲気です。
シャンデリアはフランス製で、重さは約1,125㎏もあるそうです。
壁には渡辺省亭の花鳥図の原画による濤川惣助の楕円形の無線七宝が30枚、
嵌め込まれています。

「尉鶲(ジョウビタキ)に牡丹」
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係員の方にいろいろ質問している来館者もいました。
休憩室には飲物の自動販売機があり、写真集なども販売されていました。

2008年に大規模改修を終えたどの部屋も、建築したばかりのようにまばゆく輝き、
隅々まで装飾が行き届いていて、見飽きることがありません。
是非一度、参観されることをお奨めします。

内閣府のHPです。


【2017/05/18 20:22】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「没後150年 坂本龍馬」展 両国 江戸東京博物館
両国
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江戸東京博物館では特別展、「没後150年 坂本龍馬」展が開かれています。
会期は6月18日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、ご注意ください。

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坂本龍馬(1835-1867)の没後150年を記念しての企画で、特に直筆の手紙が数多く展示され、
龍馬の息遣いまで伝わってくる展覧会です。

長崎市風頭公園にある坂本龍馬の銅像の樹脂原型です。

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「坂本龍馬湿式写真」 慶応2年または3年頃(1866~1867) 
 高知県立歴史民俗資料館

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4月29日から5月1日までの限定展示で、それ以外の期間は複製が展示されます。
名刺ほどの小さなセピア色のガラス板の中に、よれた袴を着け、ブーツを履き、
懐手をした、いかにも龍馬らしい立姿が浮かんで見えます。

「北辰一刀流長刀兵法目録」(部分) 坂本龍馬宛 
 千葉定吉筆 安政5年(1858) 高知・龍馬歴史館
 
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江戸の千葉道場での修行で得た、長刀の免状です。
千葉周作・定吉・重太郎の他、龍馬の許婚といわれる佐那など、定吉の娘3人の
名前の並んだ、珍しい形の免状です。

「龍馬書簡 文久三年六月二十九日」 坂本乙女宛 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
坂本龍馬は筆まめな人で、多くの手紙を残しています。
文久3年(1863)に、龍馬の母親代わりとなって龍馬を世話した姉の乙女に出した手紙で、
長州藩の下関での外国艦隊砲撃事件などについて書いてあります。
「日本を今一度せんたくいたし申候」の文言が3行目、4行目に見えます。
片仮名で「ニッポン」とルビが振ってあります。

「龍馬書簡 慶応二年十二月四日」 坂本乙女宛 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
寺田屋事件で負傷した坂本龍馬は西郷隆盛の奨めで、妻のおりょうを連れて鹿児島に
湯治に行っています。
日本最初の新婚旅行とも呼ばれる旅で、高千穂峰に登った時の様子を絵入りで
書き送っています。

「近世珍話」 3巻のうち下巻 前川五嶺 慶応3年(1867) 京都国立博物館
元治元年(1864)の禁門の変を記録した絵巻物です。
血に染まった長州藩兵たちの遺体を荷車に積んで墓地に運び込んでいる場面もあります。

「紫糸威鎧」 島津斉彬所用 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
古典的な大鎧の形をした、見事な鎧で、丸に十の字の島津家家紋と替紋の五三桐の金具が付き、
前立てには島津家が崇敬した稲荷神を表す狐が据えられています。
禁門の変で戦い、敵対関係となっていた薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結ぶ仲立ちをしたのが
坂本龍馬の功績の一つです。

「梅椿図(血染掛軸)」 板倉槐堂 慶応3年(1867) 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
淡海(板倉)槐堂(1823-1879)は文人で、勤王の志が篤く、坂本龍馬や
中岡慎太郎を支援しています。
龍馬が京都の宿舎にしていた近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺された時、
座敷に掛けられていて、下の方に飛び散った血が付いています。
上に書かれているのは海援隊士の長岡謙吉(1834-1872)による追悼文です。

「書画貼交屏風(血染屏風)」 江戸時代 18世紀 京都国立博物館 重要文化財
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6月6日から6月18日までの展示です。
龍馬たちが暗殺された近江屋の座敷にあった屏風です。
左下の猫の絵の辺りに、染みが残っていて、遭難した時の血痕といわれています。

「刀 銘 吉行」 坂本龍馬佩用 江戸時代(17~18世紀) 京都国立博物館
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坂本龍馬が脱藩に際して、兄の権平から貰い受けた刀で、龍馬が暗殺された時も
所持していたと言われています。
反りがほとんど無く、刃紋も真っ直ぐです。
これは大正時代に火災に遭い、反りを失って、研ぎ直しにより刃紋も変わったもので
あることが最近の調査で分かっています。
吉行は江戸時代初期の刀工で、土佐藩に招かれて移住しています。

「刀 銘 国廣」 渡辺篤佩用 桃山時代 17世紀 個人蔵 京都国立博物館寄託
渡辺篤(1844-1915)は幕府の京都見廻組に属し、坂本龍馬たちの暗殺に加わったとされています。

「刀 銘 兼元」 林田貞堅佩用 室町時代 16世紀 京都・霊明神社
慶応4年(1868)に京都御所に向かっていた英国公使パークスの一行を襲撃した林田貞堅
(朱雀操)が使った刀です。
林田貞堅と三枝蓊(しげる)の2名で襲撃しますが、警護していた薩摩藩士の中井弘が応戦し、
土佐藩士の後藤象二郎も駆け付けて林田を斬り、林田は中井に首を刎ねられ、三枝も捕えられて、
後日斬首されています。
林田の刀の刃側には20近く、棟側には5つの傷があるとのことで、所々に大きな刃こぼれが見えます。

霊明神社は幕末の志士たちと関係が深く、坂本龍馬と中岡慎太郎もここに葬られました。
林田貞堅と三枝蓊もここに葬られています。
明治になり、墓地一帯は京都霊山護国神社に譲られています。

「刀 無銘」 中井弘佩用 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
応戦した中井の刀で、娘婿の原敬によって京都国立博物館に寄贈されています。
こちらも刃こぼれが幾つも残り、戦闘の激しさを物語っています。
林田の刀と中井の刀では林田の方が刀身が長そうですが、斬り合いでは後藤の助太刀もあって、
中井が勝っています。
斬り結んだ双方の刀が並んでいるというのは極めて珍しいことです。

「装飾洋刀」 中井弘佩用 ヴィクトリア時代(1868) 京都国立博物館
中井と後藤にはその功績を讃えて、ヴィクトリア女王からサーベルが贈られています。
刀身にもびっしり装飾が彫られ、功績を記した文も彫られています。

中井弘(1839-1894)は後に滋賀県知事、貴族院議員、京都府知事を務めています。
また、「鹿鳴館」の名付け親でもあります。
後藤象二郎(1838-1897)は同じ土佐の坂本龍馬と関係が深く、後に土佐を代表する政治家と
なっています。

攘夷運動は明治維新の原動力の一つですが、攘夷を実行して首を晒される者がいる一方で、
それと闘って明治に活躍する者がおり、歴史とは不思議な巡り合わせで出来ています。


江戸東京博物館の所蔵する、幕府軍艦の備品類も展示されています。
こちらは撮影可能です。

第二長崎丸(長崎丸二番)備品
イギリスから購入した輸送船で、戊辰戦争時に新政府に抗して旧幕府艦隊を率いて脱走した
榎本武揚の指示により庄内藩の支援のため派遣されますが、秋田沖の飛島勝浦港で
座礁沈没しています。

沈没前に持ち出された望遠鏡や砂時計、バロメーターなどです。
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錫の保温器やスポード社製食器もあります。
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日の丸は嘉永7年(1854)に幕府により日本船であることを表す船舶旗として採用されています。
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「海上安全万代寿」 河鍋暁斎 文久3年(1863) 香川・琴平海洋博物館
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3枚続きの大判錦絵で、幕府がイギリスから購入し、輸送船として使用した順動丸を描いています。
勝海舟は4代将軍徳川家茂の京都から江戸への帰還の時に順動丸に乗せて航海し、
坂本龍馬も乗せたことがあります。
戊辰戦争時には旧幕府海軍の船として箱館から新潟港に物資を運びましたが、
慶応4年(1868)に寺泊で新政府軍の攻撃を受け、自沈しています。

「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」 
 川村清雄 明治18年(1885) 江戸東京博物館

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5月21日までの展示で、以後は複製が展示されます。
会場の最後に置かれています。
勝海舟(1823-1899)は坂本龍馬の師であり、海軍の功労者でもあります。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの撮った勝海舟の写真を元に、
江戸開城を果たした時の姿として描いています。
向こうには、洋装に陣笠を被った旧幕臣が抜き身を持って斬りかかろうと
しているのが見えます。

他にも幕末維新関係の資料が数多く揃った、とても興味深い展覧会ですが、
来館者も多く、混雑することがありそうです。

2010年に同じ江戸東京博物館で開かれた、「龍馬伝」の記事です。

展覧会のHPです。


次回の特別展は、「戦国! 井伊直虎から直政へ」です。
会期は7月4日(火)から8月6日(日)までです。

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【2017/05/16 19:51】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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Author:chariot
東京のビルの多い街で暮らしています。

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