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かきつばたの絵など
かきつばた
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かきつばたの咲く季節になったので、かきつばたの絵などを集めてみました。

「伊勢物語八橋図」 尾形光琳 江戸時代・18世紀 東京国立博物館
 光008

伊勢物語の東下りの一節です。
三河の国の八橋というところで、かきつばたの咲いているのを見て、在原業平とされる
人物が「か き つ ば た」を詠み込んだ和歌を詠じている場面です。

  から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

食事の膳を前に置いた男たちの眺めているのは、咲き乱れるかきつばたの群れでしょう。
八橋の橋板も見えます。

このお話によって、絵画でかきつばたと八橋の組合せは定番になりました。

「燕子花図屏風」 尾形光琳 六曲一双 江戸時代・18世紀 根津美術館 国宝
光003

左隻
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右隻
根4-29-2010_003

根津美術館では毎年、かきつばたの季節になると、この屏風が展示されます。

「八橋図屏風」 尾形光琳 江戸時代・18世紀 メトロポリタン美術館
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(左隻)
光005

(右隻)
光006

2012年に根津美術館で、「燕子花図屏風」とともに展示されました。

「八橋図」 尾形乾山 江戸時代・18世紀 文化庁 重要文化財
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同じく、伊勢物語の三河の国の水辺の八橋に咲くかきつばたを歌に詠み込んだ
お話を描いています。
絵巻物の一部のようで、軽い筆さばきに味わいがあります。

「八ツ橋図屏風」(左隻) 酒井抱一 六曲一双 出光美術館
琳派004

尾形光琳の「八橋図屏風」を写したものですが、葉によって色の濃さを変えて
表裏を表し、かきつばたの数を少なくしてすっきりとまとめられています。
紙ではなく絹地に金箔を貼り、さらに金泥を刷いて、より輝くようにしている
とのことです。

「燕子花図屏風」 酒井抱一 享和元年(1801年) 出光美術館
琳派017

余白を大きく取った無地の画面に、水墨と群青のかきつばたが弧を描くように
並べられています。
かきつばたの色は濃淡があり、淡い水墨の葉にはたらし込みが使われています。
枯れた葉もあり、蜻蛉も一匹とまっているのが見えます。
繊細で叙情的な、俳味も感じられる風景です。

「燕子花図」 六曲一双 大正6年(1917)木島櫻谷 泉屋博古館
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左隻
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右隻
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「和歌色紙」 後陽成天皇 桃山時代 出光美術館 重要美術品
書img435 (7)

金泥で雲と水流、かきつばた、水草を描いた色紙に平安時代の歌人、源師時
(1017-1136)の歌を書いています。
絵柄を考えて、歌を選んでいます。

 むらさきの いろにそみゆる かきつはた いけのぬなはの はひかゝりつつ

「見立伊勢物語(八つ橋)」  鈴木春信筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館
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浮世絵で、旅姿の若い男女を伊勢物語に見立てています。

尾形光琳の「燕子花図屏風」に倣っていますが、花は山型に連なり、花弁は写実的に
描かれています。

「八橋蒔絵螺鈿硯箱」 尾形光琳 江戸時代・18世紀 東京国立博物館 国宝
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燕子花の花を螺鈿、葉を漆絵、橋を鉛板で表し、箱の内側には川波が描かれています。
根津美術館では4月14日から、恒例の尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」の展示があります。

「釉下彩盛絵杜若図花瓶」 初代宮川香山
 19世紀後期~20世紀初期 田邊哲人コレクション

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薄く盛り上がった、かきつばたの花のふわりとした広がり、すらりと伸びた葉が
表されています。
色彩も、焼成後とは思えないほど、自然な色が出ています。

2012年の根津美術館の庭園のかきつばたです。

根0042


根津美術館は現在、閉館中ですが、HPにはその日の庭園の様子が載っています。
かきつばたも咲き始めたようです。

根津美術館のHPです。



【2020/04/30 20:24】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の「源氏物語展」
源氏物語
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源氏物語についての作品を集めてみました。

「雪月花」 上村松園 1937年 宮内庁三の丸尚蔵館
皇10-8-2009_003

貞明皇后(大正天皇の皇后)の用命を受けてから完成まで21年かかった作品です。
「雪」「月」「花」を題材にした三幅対です。

「月」は、源氏物語に因んでいるとのことですが、紫式部が石山寺の月を眺めて、
源氏物語の着想を得たという場面でしょうか。
古典007


源氏物語第3帖 空蝉
「源氏物語図屏風」 狩野探幽 寛永19年(1642) 宮内庁三の丸尚蔵館
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源氏物語の各段の場面を、六曲一双の屏風の、金地の雲の間に並べています。
源氏が思いを寄せる空蝉が軒端萩と碁を打っています。

第5帖 若紫
「源氏物語画帖 若紫」 伝土佐光起 江戸時代 根津美術館蔵
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源氏が紫の上を初めて見る有名な垣間見の場面です。
のどかな春の景色の中を雀が逃げて行きます。

「源氏物語図屏風」 伝岩佐又兵衛 江戸時代 大和文華館
「若紫」
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第7帖 紅葉の賀
「舞楽蒔絵棚」 象彦(八代西村彦兵衛)製 
昭和3(1928)年 宮内庁三の丸尚蔵館

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光源氏と頭中将が清涼殿の前庭で青海波を舞う、紅葉の賀の
場面が描かれています。
二人の舞う舞台から前庭、清涼殿の階へと、広い空間性を感じます。

第8帖 花宴
「源氏物語図屏風」 右隻(部分) 伝 土佐光吉 桃山時代 出光美術館
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源氏と朧月夜の君の出会いの場面です。
朧月夜の君は後で源氏と取り交わす扇を持っています。
宮中の桜の宴での出来事なので、満開の山桜が描き添えられています。

  てりもせす曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく物そなき  大江千里

花宴
「源氏物語図屏風(右隻部分)」 岩佐勝友 江戸時代 出光美術館
岩佐3

岩佐勝友は岩佐又兵衛の弟子で、又兵衛の画風はその工房や弟子たちに
受け継がれています。

第9帖 葵
上村松園 「焔」 大正7年(1918) 絹本着色 東京国立博物館
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上村松園の代表作で、謡曲「葵上」の、光源氏の正妻、葵上に嫉妬する
六条御息所の生霊の姿です。
源氏物語の世界ですが、桃山時代の風俗で描かれています。
長い髪は煙るように流れ、裾はぼかされています。
細身の体に沿う長い藤の花と、怨念を表すかのような蜘蛛の巣の柄の小袖を
片袖脱ぎにして、物狂いの様を示しています。

第10帖 賢木
「源氏物語 賢木・澪標図屏風」 右隻(部分) 狩野探幽 寛文9年(1669) 出光美術館
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(部分)
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光源氏との関係を諦め、伊勢に下ろうとする六条御息所の居る野々宮を源氏が訪れています。
源氏は榊の枝を御簾から差し入れているところです。

  神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ 六条御息所

  少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ 源氏

狩野探幽は大和絵もよく学んでいて、萩薄の茂る庭の風情には趣きがあります。

賢木
「野々宮図」 岩佐又兵衛 桃山-江戸時代 出光美術館 重要美術品
岩佐0_1

源氏物語、「賢木」の、光源氏が野々宮に居る六条御息所を訪ねる場面で、
黒木の鳥居の下で童子と共に佇んでいます。
墨絵で描かれた二人は、岩佐又兵衛の特徴の下膨れの顔で、存在感があり、
いわゆる大和絵の穏やかさとは異なる印象です。
衣装の文様も細かく描きこまれ、唇には薄く紅が差してあります。

第12帖 須磨
「和漢故事説話図 須磨」 岩佐又兵衛 江戸時代 福井県立美術館
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中国と日本の故事説話や物語をそれぞれ12図描いた巻物で、元は岡山藩池田家に
伝来していました。
現在は1図ごとに切断され、掛軸になっています。
源氏物語の「須磨」で、朧月夜との関係が露見して、自ら須磨に籠ることになる
光源氏が浜辺で禊をしていると大嵐となり、主従は館に逃げ帰ります。
降りつける雨、ゆらぐ木々、そして大きく歪んだ垣根が嵐の凄まじさを表しています。
雅びな風情の源氏絵とはかなり異なる、迫力のある場面です。

第14帖 澪標
「住吉詣」 松岡映丘 大正2年(1913) 絹本着色 東京藝術大学大学美術館
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部分
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部分
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源氏物語の「澪標」で、罪を赦され、都に戻った源氏は住吉神社に詣でます。
行列を整えて住吉詣をする光源氏の一行と、それを舟から眺めやる明石の君です。
大和絵でよく描かれる画題で、人物の中には法然上人絵伝に描かれて
いたような人物もいて、絵巻物などをよく研究していることが分かります。
30歳前半の作で、第7回文展に出品され、宮内省買上げとなっています。

第17帖 絵合 ・ 第24帖 胡蝶
「源氏物語絵合・胡蝶図屏風」 狩野晴川院〈養信〉 江戸時代・19世紀 東京国立博物館
右隻に源氏物語の「絵合」帖、左隻に「胡蝶」帖を描いています。

右隻 絵合
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冷泉帝の御前で、光源氏と権中納言(頭中将)が左右に分かれて、
持ち寄った絵の優劣を競っています。
源氏が最後に見せた、須磨の風景を描いた絵日記によって源氏方の勝ちとなります。

左隻 胡蝶
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花の盛りのころの遊びの模様で、女童が蝶の衣装を着て、山吹の花を活けた
金の花瓶を持っています。

第20帖 朝顔
西村重長 「げんじ五十四まいのうち 第二十番 朝顔」 享保後期 1730年頃
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漆絵です。
源氏物語の「朝顔」の場面で、源氏と紫の上が語らい、庭では童女たちが
雪だるまを作っています。

第23帖 初音
「源氏物語図色紙 初音」 土佐光吉 江戸時代初期 細見美術館
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新春に光源氏が明石の君を訪ねる場面です。
吹抜屋台に金雲をあしらい、満開の庭の梅を添えています。

「初音蒔絵貝桶」 千代姫所用 江戸時代 寛永16年(1639) 国宝
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国宝の「初音の調度」の中の一対です。
「初音の調度」は3代将軍徳川家光の娘の千代姫が尾張家2代光友に
嫁した時の道具類です。
源氏物語の「初音」の帖にある歌を芦手書きにしています。
芦手書きは絵の中に文字を忍ばせておく装飾技法です。
明石の上が娘の明石の姫君に送った歌です。

 年月を松にひかれてふる人に今日鴬の初音きかせよ

第31帖 眞木柱
「源氏物語絵色紙帖 眞木柱」 土佐光吉 江戸時代 東京藝術大学大学美術館
香004
 
玉鬘の許へいそいそと通う髭黒大将に嫉妬した妻が香炉の灰を浴びせるという、
いささか雅ではない場面です。
作品では妻が手に香炉を持っているところです。
香炉は衣装に香りを薫きしめるため、よく使われています。

第33帖 藤裏葉
「源氏物語絵巻」 五巻のうち第三巻 霊元天皇ほか詞 住吉具慶画 
 江戸時代 MIHO MUSEUM

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六条院行幸での鵜飼です。
仙台伊達家の旧蔵で、画面はすっきりとしており、人物の表情も活きています。

第34帖 若菜
「源氏物語図屏風(若菜上)」 伝土佐光則筆 江戸時代 個人蔵
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部分
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源氏物語第34帖で、六条院の庭で柏木たちが蹴鞠に興じていると、猫が飛び出した
拍子に御簾が開き、そこに立っていた女三宮を柏木が見てしまう場面です。

「源氏物語図屏風」 住吉具慶 江戸時代 根津美術館
右隻
若菜巻上で、光源氏40歳の祝賀の場面です。

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左上が源氏です。

左隻
若菜巻下で、源氏や紫の上、明石の君の一行が住吉詣でをしています。

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第35帖 柏木
「源氏物語絵巻 柏木(三)」 平安時代 12世紀 徳川美術館 国宝
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正妻の女三宮の産んだ不義の子、薫を抱く光源氏です。
源氏物語絵巻の中でも最も印象の深い場面で、光源氏の大きく傾いた姿に
源氏の苦悩と悲しみが表れています。
人物は画面左に片寄せられ、緊迫感を増しています。

第38帖 夕霧
平安時代の手紙 逓信総合博物館
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源氏物語の中の光源氏の子、夕霧に届いた手紙を奪い取ろうとする
妻の雲居の雁です。
五島美術館所蔵の源氏物語絵巻にもこの場面が描かれています。

第47帖 総角
「源氏物語総角図屏風」 伝岩佐又兵衛 江戸時代・17世紀 細見美術館
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源氏物語、「総角(あげまき)」の、匂宮たちが宇治川で舟遊びを催し、その模様を宇治に隠れ住む
姫君たちが見ているところです。
岩佐又兵衛は一つの画面に物語の一場面を描くことが多く、観る人をその物語に
集中させる効果を狙っているということです。

第51帖 浮舟
「源氏物語図」(部分) 六曲一双 岩佐勝友 江戸時代 出光美術館
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源氏物語54帖の各場面を右隻、左隻に27帖づつ並べた屏風です。
場面を分ける金箔の雲にも卍型の模様が浮き出ていて、とても豪華です。
これは宇治十帖のうち、浮舟の段で、匂宮が浮舟を連れ出して小舟で宇治川を
渡っているところです。
雪の日の宇治川に浮かぶ小舟の情景は、ロマンチックで絵画的です。

「ベージュ木綿麻地源氏香模様浴衣」 十代目山口源兵衛 平成30年(2018) 個人蔵
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香道で用いられる、源氏物語にちなんだ印の源氏香をあしらっています。
2019年に泉屋博古館分館で開かれた、「ゆかた 浴衣 YUKATA―すずしさのデザイン、
いまむかし」展に展示されていました。


【2020/04/28 19:41】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の「ユトリロ展」
ユトリロ
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展覧会で観た、ユトリロの作品を集めて、私の「ユトリロ展」を開いてみました。
私が十代の頃、初めて観た美術展がユトリロ展なので、思い出深い画家
でもあります。

モーリス・ユトリロ(1883-1955)は画家のシュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)の子で、
パリの風景を抒情的に描いています。
シュザンヌ・ヴァラドンはパリでシャヴァンヌやルノワール、ドガ、ロートレックなどの絵の
モデルもしていました。

シュザンヌ・ヴァラドン 「モーリス・ユトリロの肖像」 1921年 ユトリロ‐ヴァラドン美術館
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ユトリロを産んだ時、すでに画家として忙しかったヴァラドンはユトリロの世話を
自分の母親に任せます。
その母親の影響もあってユトリロは早くから酒を飲むようになり、10代でアルコール
依存症になっています。
絵を描くようになったのは、依存症から脱するための作業療法としてだったので、
職業画家になるつもりは無かったようです。

「モンマニーの石切場」 1907年頃
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「モンマニーの3本の通り(ヴァル=ドワーズ県)」 1908年頃 八木コレクション
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モンマニーはパリの北にあり、義父のポール・ムジスの建てた家のあった所です。
ユトリロの作品は初期のモンマニーにいた時、パリでの白の時代、
有名になってからの色彩の時代に分けられます。
モンマニー時代の作品はどれもかなりの厚塗りです。
すでに建物が描かれていますが、まだ風景の一部です。

「モンマルトルのサン=ピエール広場から眺めたパリ」 1908年頃 八木コレクション
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ユトリロはパリのモンマルトルの生まれなので、生涯、愛着を持ってモンマルトルの
景色を描いています。

「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル」 1910年頃 個人蔵
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ユトリロを特徴付ける、「白の時代」が始まっています。
この頃になると、ユトリロの絵にも買い手が付くようになります。

『「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)』 
 1912年頃 八木コレクション

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教会の白壁が灰青色の空に半ば溶け込んで、しみじみとした景色になっています。
googleのストリートビューで見ると、この教会は現在は玄関部分や塀を失っていますが、
ほぼ同じ姿で残っているようです。
ユトリロは絵葉書を見て描くことも多かったので、パリ以外の景色もよく描いています。

「ノルヴァン通り、モンマルトル」 1912-14年 個人蔵
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サクレ=クール寺院に続く小路で、現在は賑やかな商店街になっているようです。
通りの奥にサクレ=クール寺院が見えます。

「サン=ピエール教会」 1914年 パリ、オランジュリー美術館
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モンマルトルのサン=ピエール教会を寂寥感を込めて描いています。
ユトリロの葬儀もサン=ピエール教会で行われています。

「ラパン・アジル、モンマルトル」 1914年
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サクレ=クール寺院の北側の、狭い坂道の脇にある酒場のラパン・アジルは、
ピカソやブラックが集ったということで、ユトリロの作品によく描かれています。
隣のサン・ヴァンサン墓地にはユトリロの墓もあります。
NHKの「ブラタモリ」のパリ編でも、タモリさんたちはこの辺りを歩いていました。

「サン=ローラン教会、ロッシュ(アンドル=エ=ロワール県)」 1914年頃
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ユトリロは教会建築をよく描いています。
風景としての街並みを描く時とは違って、独立した建築物として描いています。
カトリックへの信仰心を持っていたものの、母親のシュザンヌ・ヴァラドンは
無神論者で、なかなか洗礼を許さなかったそうです。

「ポントワーズのノートル=ダム教会」 1914年頃 スイス、ヴィンタートゥール美術館
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空を広く取った画面で、灰色の空、くすんだ白壁にしみじみとした情感があります。

「コルト通り、モンマルトル」 1916-18年 個人蔵
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サクレ=クール寺院に向かう上り坂で、寺院の尖塔が見えます。

「モンマルトルのキャバレー・ラパン・アジル」 1916-18年 個人蔵
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現在も、立ち木もそのまま残っています。

「モンマルトル風景」 1917年
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白の時代から色彩の時代に変わる頃の作品です。
モンマルトルの丘のサクレ=クール寺院を遠くに見上げ、階段の部分も
ていねいに描き込んでいます。
サクレ=クール寺院や空は白の時代風ですが、町並みの色合いが
明るくなっています。

「カルボネルの家、トゥルネル河岸」 1920年頃
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作品が売れ出し、それと共に作風が明るくなって、色彩の時代に入ります。
色彩が華やかな分、白の時代の沈んだ色調の中の叙情性は消えていきます。
定規で引いたような線が目立ち、透視図法のお手本のような絵が多くなります。
トゥルネル河岸はシテ島の南のセーヌ川沿いにある通りで、この建物は
現在も残っており、左に少し行くと鴨料理で有名なトゥールダルジャンがあります。

絵が売れたので本人は幸福になったのかというと、そうではなかったようです。
シュザンヌと、ユトリロより年下でシュザンヌと結婚した男はその金でぜいたくに
暮らし、本人は鉄格子の部屋に閉じ込められて、絵を描かされたそうです。

「慰霊碑」 1925年 
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緑色が強く、タッチに荒々しさがあって、ヴラマンクに似たところがあります。
女性が喪服を着ているのは、1918年に終わった第一次世界大戦の慰霊碑でしょうか。
ユトリロの描く女性は腰が大きく張っているのが特徴です。

ユトリロはシュザンヌの奨めで、1935年にリュシー・ヴァロールと結婚しますが、
今度は夫人に病人扱いされて家の中に閉じ込められます。
「助けてくれ」と書いた紙で石を包んで塀の外に投げても、近所の人は
今や有名人となったユトリロの字だというので、大事にしまっておいたそうです。

「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル」 1935年 個人蔵
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同じ場所を描いても、1910年代に比べ、かなり色彩が明るくなっています。

「モンマルトルのキュスティーヌ通り」 1938年 松岡美術館
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キュスティーヌ通りはモンマルトルのサクレ=クール寺院の北東側にあります。
パリの大改造によって出現した整然とした街並みです。
定規をよく使っていたユトリロには直線的な街路は描きやすかったかも知れません。

「モンマルトルの迷路」 1942年 松岡美術館
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右上にモンマルトル名物の風車、左上にサクレ=クール寺院が見えます。
ユトリロの描く人物は女性一人、男女二人、女性二人の五人の組み合わせが
多いです。
この作品では女性が二人加わっていますが、点景として雰囲気を出すための
小道具として使われています。

「サクレ=クール寺院、モンマルトル」 1945年頃
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「雪のサン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、テルトル広場、モンマルトル」 
 1950年頃 個人蔵、イタリア

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晩年の作品です。
テルトル広場を抜けて、サン=ピエール教会に出るところです。
現在のテルトル広場は街頭絵描きの集まる、にぎやかな観光地になっています。
ユトリロがモンマルトルに居た期間は短かったのですが、過去の自分の絵や
絵葉書を元にして、何度もモンマルトルを描いています。

孤独な少年時代、ユトリロは漆喰のかけらをおもちゃにして遊んでいて、
後に、パリの思い出として何を持って行くかと訊かれて、即座に「漆喰」と
答えたとのことです。
作品でも漆喰壁の質感を出すため、絵具に石灰、鳩の糞、卵の殻、砂などを
混ぜていたそうで、漆喰への思い入れは深かったようです。
東京の喫茶店やカフェでもフレンチ系のお店は、よく内装を漆喰壁にしています。

パリの街並みはよく残っていて、ストリートビューで探すと、どの絵の景色も今も
ほとんど同じです。
キャバレー・ラパン・アジルもそのまま残っていて、シャンソン酒場として営業しています。

東京は坂の多い街なので、ユトリロが絵にしたモンマルトルの坂のような景色を
見ることがあります。
新宿区舟町のセツ・モードセミナーは1954年にイラストレーターの長沢節(1917-1999)が
開設し、2017年に閉校した美術学校ですが、その佇まいはユトリロの「ラパン・アジル」を
思わせます。

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ユトリロの作品を観た後では、現実の風景がユトリロの絵に似せているように
見えることがあり、東京でも古い建物が残っている所があると、ユトリロを
思い出したりもします。
それほど、ユトリロの描く街の風景は観る人に深い印象を残します。


【2020/04/26 19:28】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の「平家物語展」
平家
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今日、新暦4月25日は源平最後の戦いである壇ノ浦の戦いのあった日なので、
平家物語など、平家を主題にした作品を集めてみました。

「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」 鎌倉時代・13世紀後半 ボストン美術館
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平治の乱は平治元年(1159)に起きた、平清盛を打倒するため藤原信頼や源義朝が
挙兵した事件ですが、戦いに敗れ、信頼、義朝は討たれています。
「平治物語絵巻」は平治の乱の模様を描いた絵巻で、合戦絵巻の最高峰とされ、
元は15巻ほどだったらしく、現在は3巻と断簡数枚、摸本2巻が残っています。
ボストン美術館の所蔵する「三条殿夜討巻」は藤原信頼、源義朝らの軍勢が
後白河上皇の三条殿を襲撃する場面です。

右から左へ、急を知って駆け付ける公卿たち、後白河上皇を牛車に乗せる
武者たち、炎上する三条殿と武者の乱暴狼藉、一団となって引揚げる軍勢が
次々と描かれています。
絵巻を描いた頃より100年ほど前の、平家の全盛をもたらした事件を、今見て来た
ばかりのような臨場感あふれる場面に描き出しています。

駆け付けた牛車は暴走し、轢かれる者もいます。
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三条殿は炎上し、抵抗する者は首を掻かれています。
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画面下の左に、逃げ惑う女房たちが火を逃れて落ちて死んだ井戸が見えます。
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討ち取った首を長刀に掲げて引揚げます。
画面左に首が見えます。
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後白河上皇の車を囲んで引揚げる軍勢です。
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「平治物語絵巻六波羅合戦巻断簡」 鎌倉時代・13世紀 アーティゾン美術館
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弓を持った騎馬武者と長刀を手にした徒歩武者が駆けています。
ボストン美術館所蔵の「三条殿夜討巻」や東京国立博物館所蔵の「六波羅行幸巻」と
同じセットの「六波羅合戦絵巻」の断簡で、破損した1巻から切り取ったと推定されています。

平治の乱に勝った平清盛と平家は栄華を極めることになります。

「平家納経 平清盛願文」 平安時代・長寛2年(1164) 厳島神社 国宝
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平清盛が厳島神社に奉納した法華経など32巻に添えた願文です。
「弟子清盛敬白」に始まる願文は一門の繁栄と後生を感謝する言葉が綴られています。
見返しには厳島神社の神鹿でしょうか、鹿が描かれています。
これは江戸時代初期、安芸の領主だった時の福島正則に命じられて俵屋宗達が行なった
平家納経の修復の際に描かれたようで、いかにも宗達らしい姿の鹿です。

「平家納経 観普賢経」 平安時代・長寛2年(1164) 厳島神社 国宝
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観普賢経は法華経の中の結びのお経です。
見返には十羅刹女のうちの黒歯が剣を持ち、和装の女房姿で描かれています。
法華経への女性の信仰の深さが知られます。

「平家納経」 法師品第十、見宝塔品第十一、安楽行品第十四、
 如来寿量品第十六 長寛2年(1164) 嚴島神社 国宝

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「金銀荘雲龍文銅製経箱(平家納経納置)」 平安時代 長寛2年(1164) 
 厳島神社蔵 国宝
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平家納経を納めた箱です。
黒漆で、側面に銅に鍍金の龍、蓋にも丸文で龍と雲、五輪塔をあしらっています。
法華経提婆達多品に龍女成仏が説かれていて、これも女人往生を意味する
意匠とのことです。
とても細かく優美で、しっかりとした細工がなされています。

「平清盛、頼盛合筆 紺紙金字法華経」 平安時代 承安2年(1172) 
 厳島神社 国宝
平007

平清盛と弟の頼盛が分担して書写した経文です。
二人の筆跡はよく似ていて、すぐには区別が付きません。
清盛の異母弟の頼盛は時には清盛との関係が微妙でしたが、この頃は協調
していたようです。
頼盛の一族は木曽義仲に追われた平家の都落ちの際には同行せず、
後に源頼朝の保護を受けます。

守屋多々志 「平家厳島納経」(部分) 1978年
歴004

平家一門の公達が何艘もの舟に乗って厳島神社に法華経を納めに詣でています。
武士たちのきらびやかな大鎧姿は歴史画の見せ所です。
前年に亡くなった恩師の前田青邨を悼んで納経の場面を描いたとのことです。

「つきしま絵巻」 2巻 室町時代(16世紀) 日本民藝館 )
素朴絵img973 (6)

素朴絵img986 (2)

素朴絵img986 (3)

「つきしま絵巻」は室町から江戸時代にかけて流行した幸若舞
(こうわかまい)の台本を読み物とし、さらに絵を添えて絵巻物に
仕立てた、舞の本絵巻の一つです。
平清盛が摂津国の大輪田泊に人口島の経が島を築くにあたって、
人柱を埋めたという伝説を題材にしています。
屋敷の中には出家して僧形になった浄海(平清盛)たちが座り、
隣では人びとがモッコを担いで工事をしています。
笑ってしまうほどの稚拙さですが、そこが魅力でもあります。

「平家物語小督・子猶訪戴図屏風」 六曲一双 右隻(部分) 狩野尚信 江戸時代 出光美術館
物語001

右隻は平家物語の一節で、高倉天皇の寵を受けた小督(こごう)は、娘の建礼門院徳子に
とって邪魔な存在であるとして平清盛に追放され、嵯峨野に隠棲しますが、帝の命で
行方を捜していた源仲国は琴の音をたよりに小督の居所を捜しあてます。
墨絵の静けさの広がる中、人物に淡く彩色してあり、琴の音も聞こえてきそうな風情です。

「桜梅の少将」 平田郷陽 桐、木彫、着せつけ 1936年 東京国立近代美術館工芸館
工0058

後白河法皇50歳の祝賀の席で平清盛の孫、惟盛が雅楽の青海波を舞う姿です。
烏帽子に梅と桜の枝を挿して舞う姿の素晴らしさに、惟盛は桜梅の少将と
呼ばれることになったといいます。
うぐいす色の衣装の模様は、この舞の衣装に用いられる、波をデザイン化した
青海波模様です。
惟盛は後の平家一門の都落ちの途中で離脱し、消息不明となっており、
平家物語では熊野で入水したとされています。

「黒楽茶碗 銘 俊寛」 長次郎 安土桃山時代・16世紀 三井記念美術館 重要文化財
室町三井004

楽茶碗としては薄手に作られ、見込みには枯れた味わいがあります。
千利休が薩摩の門人の求めで送った三つの茶碗のうち、これだけが
送り返されなかったので、この名が付けられました。
俊寛ら三人が平家への謀反の罪で薩摩の鬼界ヶ島に流され時、
他の者は赦免されて都に帰れたのに俊寛だけ島に残された故事による
ものです。

「太刀 大和物(号 獅子王)」 平安時代・12世紀 東京国立博物館 重要文化財
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平家物語によれば、夜な夜な御所の上に現れて近衛天皇を悩ませた鵺(ぬえ)を
退治した源頼政に褒美として与えられた太刀とされています。
細身で優美な姿をしています。
源頼政は平家打倒のため挙兵しますが、宇治平等院の戦いに敗れ、自害しています。

「赤楽茶碗 銘鵺」 樂道入作 江戸時代 三井記念美術館 重要文化財
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見込みはむらむらと赤く、胴に雲のような黒い塊が見えます。
平家物語に出てくる、夜な夜な御所の上に現れて近衛天皇を悩ませ、
源頼政に退治された鵺(ぬえ)になぞらえた名です。
赤楽茶碗は赤土で作って素焼きし、透明釉をかけたものです。

「鵺」は能の演目にもなっていて、鵺の亡霊は、讃えられた頼政に対し、
汚名を残し虚ろ舟に入れられ川に流された我が身を嘆いています。

 頼政は名をあげて
 我は名を流すうつほ舟に
 押し入れられて淀川の
 よどみつ流れつ行く末の


源義朝の三男、頼朝は平治の乱で伊豆に流されていましたが、治承4年(1180)に
平家打倒のため挙兵します。

「黄瀬川陣」 1940/41年 東京国立近代美術館 重要文化財
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富士川の合戦で平家を破った直後の源頼朝が駿河の黄瀬川に陣を張って
いたところ、奥州平泉から弟の源義経が駆け付け、兄弟の対面を果たす場面です。
頼朝は鎧直垂を着て端然と座し、赤糸威の大鎧や太刀、弓矢などの武具を置いています。
顔は神護寺の伝源頼朝像に拠っています。
到着したばかりの義経は紫裾濃(むらさきすそご)の大鎧を着て、毛抜形太刀を佩き、
綾蘭笠(あやいがさ)を脱ごうと、紐に手を掛けているところです。
二人の鎧はそれぞれ青梅の御嶽神社に所蔵されている大鎧を参考にしています。
平家を亡ぼした後、やがて義経には頼朝の追討を受け、平泉で討たれますが、
作品の緊張感はその運命を予感させます。

「経政詣竹生島」 小堀鞆音 1896年 東京藝術大学大学美術館
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琵琶の名手、平経正は平清盛の甥です。
信濃で挙兵した木曽義仲追討のため北陸に向かう途中、琵琶湖の竹生島に詣で、
琵琶を奏でるとその音色に感応した祭神の弁才天が白龍となって現れたという、
平家物語の一節に拠っています。
色彩もまとめられ、追討軍中にあるため、経正は鎧を着けた姿です。

しかし、北陸の平家軍は俱利伽羅の戦い、篠原の戦いで義仲に敗れ、都に逃げ帰ります。
義仲軍の進撃を防げなかった平家は幼い安徳天皇を連れて都から西国に落ちて行きます。

「青山の琵琶」 羽石光志 1982年 松岡美術館
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琵琶の名手として知られた平経正は仁和寺の覚性法親王より琵琶の名器
「青山」を賜っています。
平家都落ちに際して仁和寺に駆け付け、「青山」を返却している場面です。
平経正は一ノ谷の戦いで討ち死にしています。

 奈良絵本「平家物語」 延宝・元禄頃(1681-1704) 國學院大學
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弘前藩津軽家の旧蔵品です。
忠度都落ちの場面で、藤原俊成の屋敷の戸を叩いています。

平家物語では、木曽義仲に都を追われ、西国に落ちていく平家一門の中にあって、
平忠度は一旦引き返し、歌の師である藤原俊成に自作の和歌を記した巻物を託して、
一首なりと勅撰和歌集に載せてほしいと頼みます。
平家が亡んだ後、俊成は千載和歌集編纂の時、一首を読人しらず、
作者不明として選びます。

  ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな。

「宇治川合戦図屏風」曾我蕭白 六曲一隻 江戸時代・ 18世紀 ファインバーグ・コレクション
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源頼朝の命で弟の範頼と義経の軍が都に迫ったため、木曽義仲は平家との
戦いを中断し、宇治川で義経軍を迎え撃ちます。
平家物語の中の、義仲の陣に攻めかかろうと、橋を壊された宇治川を
馬で渡ろうとする梶原景季と佐々木高綱の先陣争いの場面です。

馬を宇治川に乗り入れようとする梶原景季を佐々木高綱が馬の腹帯が
緩んでいると言って呼び止め、あわてた景季が直している間に高綱は
先に進んで一番乗りを果たします。
勇猛だが単純そうな景季、ずるそうな高綱が濃厚な色彩と派手な動きで
描き分けられていて、景季の馬の腹帯も見えます。

木曽義仲は迎撃に失敗し、近江の粟津で討死してしまいます。
範頼と義経は都に入り、平家追討のため、さらに軍を西に進めます。

「一ノ谷・須磨・明石図(中幅・部分)」 高嵩谷筆 江戸時代・18世紀 個人蔵
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三幅対で、中幅は平家の一ノ谷の陣に鵯越(ひよどりごえ)の逆落としによる
奇襲攻撃をかける源義経と武蔵坊弁慶です。
左右の幅は勇猛な中幅とは対照的な、源氏物語で名高い須磨・明石の
おだやかな景色です。


「平家物語画帖」は江戸時代、17世紀の作品で、実際の扇面より小さな
金地の画面に平家物語の120の場面がきらびやかな大和絵で描かれています。
詞書と扇面が組合わされた各場面を折りたたんで、3冊の画帖に仕立ててあります。

上帖は「殿上の闇討」から「富士川」までです。
中帖は「小督の事」から「兼平最期」までです。
下帖は「坂落し」から「小原御幸」までが描かれています。

「平家物語画帖」下帖より、「敦盛最期の事」 江戸時代 根津美術館
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一ノ谷の戦いで、沖に逃れようとする平敦盛を扇をかざして呼び戻す
熊谷直実です。
陸と海を対比する、絵画的な場面で、能や幸若舞の「敦盛」はこれを
題材にしています。

「一ノ谷合戦図屏風」 海北友雪 六曲一双  
 江戸時代 17世紀 埼玉県立歴史と民俗の博物館

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扇面画に見えますが、実際は大きな屏風です。
平家物語、一ノ谷の戦いの一場面で、右隻は沖の船に逃げようとする平敦盛を
熊谷直実が扇をかざして呼び戻しているところです。
左隻は逆に金地に紺色の扇面になっていて、萌黄縅の鎧を着け、連銭葦毛の馬に乗った
敦盛が海の中で振り向いています。

一ノ谷の戦いで平家は平忠度など一門の多くを失って、屋島に敗走しています。

「那須宗隆射扇図」 小堀鞆音  1890年 山種美術館
教科書2

平家物語の一節の那須与一が屋島の戦いで扇を射落す場面です。
波の形は様式的ですが、平家物語の記述を参考にした戦装束の与一の姿は
濃い色彩で写実的に描かれています。
小堀鞆音(1864~1931)は安田靫彦の師で、歴史画を得意としています。

  折節北風激しくて 磯打つ波も高かりけり   平家物語、扇の的の段

「平家物語画帖」 江戸時代 17世紀
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屋島の戦いで、扇を射落とす那須与一です。
二の矢で船から射落とされる平家の武者も描かれています。

「一の谷・屋島合戦図屏風」 六曲一双 江戸時代 17世紀 神戸市立博物館蔵
(右隻)
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一の谷の戦いの場面で、義経の鵯越、平敦盛に呼びかける熊谷直実などが
描き込まれています。

(左隻)
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屋島の戦いで、扇を射る那須与一、佐藤忠信の討死の場面などが見えます。

「矢面」 松岡映丘 六曲一双 1937年 姫路市立美術館
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平家物語の屋島の戦いの場面です。
源義経を狙って能登守教経の放った矢を佐藤継信が防いで討ち死にします。
継信の首を獲ろうと駆け付けた教経の童の菊王丸は佐藤忠信に射殺されます。

松013

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「平家物語 一の谷・屋島・壇ノ浦合戦図屏風」(部分) 八曲一双 江戸時代・17世紀
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屋島の合戦で那須与一が扇の的を射落とす場面です。
一の谷に始まり壇ノ浦に終わる源平合戦を右隻から左隻にかけて描いた屏風で、
大勢の軍兵をびっしりと描き込み、色彩も濃厚で、迫力に満ちています。
一の谷での義経の鵯越え、熊谷直実と平敦盛、壇ノ浦での義経の八艘飛びなどの
場面も見えます。
左隻は二位尼と安徳天皇の入水で終わっています。

「海と戦さ」 牧野邦夫 1975年
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横194cmの大作で、平家物語の壇ノ浦の戦いの場面です。
画面の上の方には平家物語の文章が書き込まれており、壮絶な戦いと滅亡の
悲劇を描き出しています。
波の上に群像が湧き上がり、押し寄せて、縄文時代の火炎土器を思わせる
エネルギーにあふれています。

源義経は壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしますが、兄の頼朝と仲違いし、
追討を受けることになります。

前田青邨 「大物浦」 1968年
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兄の源頼朝に追われた源義経一行が摂津の大物浦から船出したところ、
嵐に遭って散り散りになってしまったという場面です。
たらし込みの技法で塗られた深い藍色の波は観る人を引き込む力があり、
画面全体に緊張感がみなぎっています。
謡曲の「船弁慶」はこの出来事を基にしており、船中には弁慶の姿も見えます。

前田青邨はこの作品と対になる「知盛幻生」を描いています。
長刀を手にした平知盛たちの亡霊が暗い波間から浮かび上がっています。

義経や弁慶たちの主従は奥州平泉に辿り着きますが、藤原泰衡の裏切りに遭い、
討たれています。
平家追討で活躍した畠山重忠、梶原景時、影季、和田義盛らもやがて鎌倉幕府内での争いで
討たれており、文字通り諸行無常の様を表しています。


  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりを表す
  おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
  猛き者もついには亡びぬ ひとえに風の前の塵に同じ

                        平家物語 冒頭


【2020/04/25 18:22】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
お茶の水 ニコライ堂の鐘
お茶の水
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お茶の水のニコライ堂です。

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正式名称は日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂で、東方正教会に属しています。
日本にギリシャ正教を伝えたニコライ司祭による建設で、ジョサイア・コンドル設計の
ビザンチン様式の建築で、明治24年(1891)竣工の後、何回かの改修を経ています。

以前、5月に撮った写真で、新緑がきれいです。

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なお、近くの神田明神の今年の神田祭は神職による祭祀のみが行なわれるそうです

「東京風景 御茶ノ水」 ノエル・ヌエット 1936年(昭和11)
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ノエル・ヌエット(1885~1969)はフランスの画家で、静岡高校や東京外国語学校で
フランス語を教えるかたわら、東京の街をスケッチして、土井版画店から版画集
「東京風景」24点を刊行しています。
まだ、周辺の建物は無く、ニコライ堂が際立っています。

ニコライ堂の鐘は礼拝の行なわれる毎週日曜日の午前10時に鳴らされ、
お茶の水一帯に響き渡ります。

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「ニコライの鐘」という曲があります。
作詞:門田ゆたか、作曲:古関裕而、歌手:藤山一郎

  今日も歌うか 都の空に
  ああニコライの 鐘が鳴る

古関裕而はNHKの朝ドラ、「エール」の主人公です。

ニコライ堂の鐘は「東京ラプソディ」にも歌われています。
作詞:門田ゆたか 作曲:古賀政男 歌:藤山一郎

  今もこの胸にこの胸に
  ニコライの鐘も鳴る
  楽し都恋の都
  夢のパラダイスよ花の東京

2008年に書いたニコライ堂時の記事です。

ニコライ堂から聖橋を渡った反対側に湯島聖堂があります。

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孔子を祀った廟で、後に幕府の教育機関である昌平坂学問所が建てられます。

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正殿の大成殿です。
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明治になると、この地に東京高等師範学校(現筑波大学)や東京女子師範学校
(現お茶の水女子大学)が建てられ、現在は東京医科歯科大学と附属病院が
建っています。

医科歯科


東京医科歯科大学医学部附属病院前には2019年に「近代教育発祥の地」の碑が
置かれました。

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以前の記事に書いた、新選組の斎藤一は明治になると、東京高等師範学校や
東京女子師範学校に勤務しており、家も近くの本郷真砂だったので、ニコライ堂の
鐘もよく聞いていたことでしょう。


【2020/04/24 21:11】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の「川合玉堂展」
川合玉堂
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日本の風景を詩情豊かに描いた日本画家、川合玉堂の作品を集めて、
私の「川合玉堂展」を開いてみました。

川合玉堂(1873~1957)は愛知県出身で、岐阜県で育ち、1887年に14歳で
京都の四条派の望月玉泉、幸野楳嶺に師事しています。

「鵜飼」 1895(明治28)年 山種美術館
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部分
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大きな画面の作品で、そそり立つ岸壁の下、篝火の煙をなびかせて漁をする
鵜飼舟を描いています。
川合玉堂は岐阜県育ちなので、長良川の鵜飼は馴染み深い題材であり、
生涯に500点あまり描いているそうです。

「夏雨五位鷺図」 1899(明治32)年 玉堂美術館
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岩の上から鋭い目で川面をのぞき込むゴイサギです。
羊歯の葉や斜めに降り注ぐ雨も描かれ、緊張感のある引き締まった画面です。

「行く春」 1916(大正5)年 東京国立近代美術館 重要文化財 
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左隻
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右隻
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長瀞の川下りの経験を基にした作品と思われます。
桜の散る谷川につながれた水車舟は粉挽き用ですが、回る水車が春の興趣を増しています。
春になると国立近代美術館でよく展示される作品です。

「紅白梅」 1919(大正8)年 六曲一双 玉堂美術館
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左隻
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右隻
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金箔地に、右隻の下から立ち上がって左隻にも枝を延ばす白梅と、
左隻の上から枝を下ろす紅梅の組合わせです。
右隻二羽、左隻に一羽の四十雀が止まっています。

大正期は琳派の画風が流行した時代とのことで、この屏風も尾形光琳の
「紅白梅図屏風」に倣っていて、たらし込みの技法も使っていますが、
枝の重なりの描き方に遠近感を出しています。

「雨後」 1924(大正13)年
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川合玉堂得意の水辺の光景です。
雨後ということで、大気は湿り気を帯び、小舟の人物は蓑を着け、
空には虹もかかっています。
日本画ですが、描写は細かく、木々も立体的に描かれ、西洋画の
影響が感じられます。

「宿雪」 1934(昭和9)年 日本美術院
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大きな作品で、水墨が基調ですが、わずかに緑青が入っています。
人の姿はなく、春は未だの寒々とした景色です。

「鵜飼」 1939(昭和14)年頃 山種美術館
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流れを下る鵜飼舟の篝火の明と岩場の暗が対照され、煙に霞む船頭も見える、
躍動感のある作品です。

「春風春水」 1940(昭和15)年 山種美術館
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川の急流に張ったワイヤーを使った渡し舟には農家の女性が乗り、船頭が腰に力を
入れて舟を操っています
岩場には山桜が咲き、満々とした蒼い水の描写が印象的です。

河合玉堂は多摩地方の風景を愛してよく描いています。
戦時中は奥多摩に疎開し、東京の自宅が空襲で焼失した後は現在の
青梅市御岳に移り住んでいます。

「雪志末久湖畔」 1942(昭和17)年 山種美術館
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志末久(しまく)とは風の激しく吹き寄せることを言います。
吹雪の寄せる湖畔の景色で、冷たく張りつめた空間が広がっています。
古典的な山水画の雰囲気を残していますが、雪をいただいた山塊の重なりは
写実的です。

「山雨一過」 1943(昭和18)年 山種美術館
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雨上がりの山道の情景です。
谷から吹き上がる風に木々も草も馬子の蓑も揺れ、雲も千切れて飛んで行きます。

「早乙女」 1945(昭和20)年 山種美術館
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終戦の年に描かれていますが、常と変わらぬ農村の営みです。
畦道は一気に引いたような太い線で、たらし込みも使われています。
田植は早乙女が中心になる農作業ですが、戦時中で男手の足りない
時でもあり、「銃後の守り」の意味も込めています。

「朝晴」 1946(昭和21)年 山種美術館
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大きな作品で、終戦の翌年に描かれています。
崖から伸びる松、尾根道、遠山の重なった雄大な景色で、
遠くの尾根道を行く人と馬は朝霧の中から現れています。

「渓雨紅樹」  1946(昭和21)年  山種美術館
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谷あいの村は雨に煙り、紅葉した木々の葉はうなだれています。
白抜きで表された道を傘を差した人が二人歩いています。
玉堂はよく風景の中に何人かの人を描いて、人のつながりを表しています。

玉堂は写生の折に見かけた水車小屋の風景を気に入り、自宅の庭に
水車を作ってその音を楽しんだということです。

「雪景の図」 1950年代 パナソニック(株)
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水辺の村には雪が積もり、遠くの山には雲がかかっています。
川合玉堂の絵らしく、人物が点景として描かれ、人の生活をうかがわせます。
雪の部分は絵具を塗らず、紙の白を残しています。

「雪月花・朝雪」 1952(昭和27)年 ニューオータニ美術館
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朝、降った雪を川に流している雪かきの情景です。
水車を回す川の水には勢いがあります。
川合玉堂の好んで描いた、奥多摩の自然と人の暮らしです。

なお、ニューオータニ美術館は現在、閉館しています。

「屋根草を刈る」 1954(昭和29)年 東京都
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最晩年の81歳の作で、第10回日展に出品され、最後の日展出品作となっています。
玉堂の奥多摩御岳の家は茅葺きで、夏の間に生えた草を植木屋が刈り取って
いるところです。
刈られた草は倒れ、イチジクが実を付けています。
玉堂が孫に、「この絵に何か足りないものがあるかい?」と訊いたところ、
「花があるのに蝶がいない。秋だから黄色い蝶がいい。」と言われたので、
即座に3頭のモンキチョウを描き足したということです。
自然の風景と人の営みが一体となった、河合玉堂らしさのよく表れた作品です。

青梅市の多摩川沿いにある玉堂美術館のHPです。


【2020/04/23 20:11】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
藤の花を描いた作品

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藤の咲く季節になったので、藤の花を描いた作品を集めてみました。

円山応挙 「藤花図屏風」 六曲一双 安永5年(1776) 根津美術館 重要文化財
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鈴木其一 「藤花図」 江戸時代・19世紀 細見美術館
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掛軸で、勢いよくなだれ落ちるような藤の花です。
花びら一枚一枚もみずみずしく鮮やかな色彩で、ていねいに描かれています。

土田麦僊 「湯女」 二曲一双の右隻 1918年 東京国立近代美術館
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大和絵の構図を使い、松に藤の花という日本画の伝統的な画題に、
ルノワールのような豊満な湯女(ゆな)を配しています。
湯女の姿には春の気だるさもただよっています。

上村松園 「焔」 1918年 絹本着色 東京国立博物館
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謡曲「葵上」の、光源氏の正妻、葵上に嫉妬する六条御息所の生霊の姿です。
源氏物語の世界ですが、桃山時代の風俗で描かれています。
長い髪は煙るように流れ、裾はぼかされています。
細身の体に沿う長い藤の花と、怨念を表すかのような蜘蛛の巣の柄の小袖を
片袖脱ぎにして、物狂いの様を示しています。

下村観山 「老松白藤」 六曲一双 1921年 山種美術館
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金地に大きく枝を伸ばした松とそれに絡みつく藤が装飾的に描かれ、
上に向かう幹の上昇感と、下がる枝の安定感が一体となっています。
熊蜂が一匹、小さく描かれています。
松と藤はよく描かれる題題で、夫婦和合を表しています。

松井冬子 「世界中の子と友達になれる」 2002年
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静岡県磐田市行興寺にある樹齢800年の熊野の長藤を題材にしていて、
通りかかった小女に懇願してモデルになってもらったとあります。
縦約182cm、横約228cmの大作ですが、藤の花の下にはびっしりと雀蜂が
群がっていて、黒い部分はすべて雀蜂です。
うつろな眼をした少女は身を屈めて前を見ていますが、その先に何があるのか
分かりません。
足の指先は血が滲んで痛々しく、手の指も赤くなっています。
後ろには空の揺り籠が置いてあります。

吉村芳生 「無数の輝く生命に捧ぐ」 色鉛筆、紙 2011-13年 個人蔵
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紙に色鉛筆で描かれた横約7mの大作で、写真を基に再構成されています。
横に大きく広がった藤の花は雨のように降り注ぎます。
東日本大震災の犠牲者の生命に捧げるために描かれたとのことですが、
吉村は2013年に亡くなっており、右端が未完成のままになっています。

「茶地金銀蝶松藤文縫箔」 江戸時代 金剛能楽堂財団
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長寿を表す蝶と、夫婦和合を表す松に藤の模様です。

色絵藤棚文大皿 17世紀後半~18世紀前半 九州国立博物館 重要文化財
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曲水(庭に作った水の流れ)を染付で、藤棚を色絵で描いています。
曲水は平安貴族の庭園、藤棚は藤原氏を思わせるので、王朝趣味による絵柄です。

「彩磁藤画壷」 1887~1916年頃 宮川香山眞葛ミュージアム 
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藤の花の色の濃淡、葉の色を繊細に描きわけた、さわやかな作品です。
横浜眞葛焼は初代宮川香山(1842~1916)が横浜で窯を開いた輸出用の陶磁器で、
初期の立体的な高浮彫から透明感のある釉下彩の技法に移行しています。

並河靖之 「藤草花文花瓶」 明治後期 並河靖之七宝記念館
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紫がかった黒の地に紫と白の藤の花が長く垂れた、装飾的な図柄です。

並河靖之 「菊御紋章藤文大花瓶」
 明治後期-大正時代 並河靖之七宝記念館

並河7

深く鮮やかな紺色の地に真っ直ぐ垂れた藤の花を描いています。
「藤草花文花瓶」に比べ、より絵画的で、葉の色の濃淡まで描き分け、
菊の御紋も月のように見えます。

根津美術館の藤
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湯島天神の藤
藤



  ぬれつつぞしひて折りつる年の内に春はいくかもあらじと思へば

                                 在原業平
藤の花を折って人に贈ったときに添えた歌です。


【2020/04/21 21:23】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(2) |
私の「ルノワール展」 その2
ルノワール
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私の「ルノワール展」、その2です。

ルノワールは1881年にアルジェリアに旅行しています。

「鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)」
 1882年 クラークコレクション

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西欧人の少女を描いていますが、フルーリーが誰かは不明とのことです。
東方趣味(オリエンタリズム)による作品ですが、異国趣味よりも
開放感にあふれた色彩に目を惹かれます。

ルノワールは同じ1881年にアリーヌ・シャリゴとともにイタリアに旅行し、
ラファエロの作品に感動しています。

「金髪の浴女」 1881年 クラークコレクション
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イタリア滞在中の作品で、若い生命力を表す肌色と、背景の薄紫色が調和した、
輝きのある作品です。
肖像画としての特徴も持っていて、目をくっきりと描いて作品に力を与えています。
モデルは、アリーヌ・シャリゴで、指に結婚指輪を嵌めています。

ルノワールはイタリア旅行後、色彩よりデッサンを重視する、古典主義的な傾向が
強くなります。
ドラクロワからアングルへということになります。
しかし、それは評判が悪かったようで、1885年頃には元の作風に戻っています。

 「ブージヴァルのダンス」 1883年ボストン美術館
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大きな作品で、色彩の対比をよく考えてあります。
女性は、後にユトリロの母になるシュザンヌ・バラドン、
この時18歳だったそうです。
小柄な人だったそうで、相手の男性も腰をかがめています。
スカートの翻る様子など、動きの感じられる絵です。

左:「田舎のダンス」 1883年 オルセー美術館
右:「都会のダンス」 1883年 オルセー美術館

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「田舎のダンス」のモデルは、アリーヌ・シャリゴです。
テラスでのダンスでしょうか、奥に人の顔も見えます。
嬉しそうな顔のアリーヌは扇子を広げ、赤いボンネットはやや野暮ったく、
床にはカンカン帽が転がり、どんちゃん騒ぎの趣きがあります。
「都会のダンス」のモデルはシュザンヌ・ヴァラドンです。
こちらは都会というだけあって、シックな感じで、白いドレスの描き方も見事です。
始めは二つともシュザンヌをモデルにするつもりだったところ、アリーヌが嫉妬して、
片方はアリーヌをモデルにしたそうです。

「アネモネ」 1883-1890年 ポーラ美術館
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筆遣いも大胆に、大掴みになっています。

「ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども」 1887年 オルセー美術館
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印象派の画家、ベルト・モリゾはマネの弟、ウージェーヌ・マネと結婚していて、
1879年にジュリーが生まれています。
少し憂いのある表情のジュリーに抱かれた猫は気持ち良さそうに眠っています。
ジュリーが16歳のとき、父母が亡くなり、ルノワールたちはジュリーの
後見人になっています。

「水の中の裸婦」 1888年 ポーラ美術館
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ルノワールらしい豊かな色彩による、古典のヴィーナス像に倣ったような
豊満な女性像が登場してきます。

「浜辺の人物」 1890年 メトロポリタン美術館
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空と海の青が心地良く、ヨットや女性の服、犬の白が映えています。
光と風を感じます。

「座る裸婦あるいは身づくろい」 1890年頃 オルセー美術館
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デッサンで、鉛筆、白チョーク、サンギーヌなどを使っています。 

レースの帽子の少女 1891年 ポーラ美術館
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ルノワールは、仕立屋の父の影響か、女性のファッションに敏感だったようです。
にぎやかな飾りの付いた帽子に興味を持って描いたことが分かります。

「帽子の女」 1891年 国立西洋美術館
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色彩豊かな作品で、背景の青や黄色が白い帽子の中で混じり合い、
輝いています。

「少女の胸像」 1895年頃 ブダペスト国立西洋美術館
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手早い筆さばきで、赤、白、青をうまく取り合わせています。

「ピアノを弾く少女たち」 1892年 オルセー美術館
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印象派の作品の中で国家買上げとなった最初の絵で、制作依頼を受けて制作した
6点のヴァージョンのうち、美術長官によってこの作品が選ばれています。
裕福な家庭の情景で、華やかで輝くような色彩が魅力的です。
間仕切りのカーテンを描き入れるなど、古典的な画面構成で、ルノワールが
古典に惹かれていたことが分かります。

「ピアノを弾く少女たち」 1892年 パリ、オランジュリー美術館 
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印象派の中で最初の国家買上げとして選ばれ、現在はオルセー美術館の所蔵する
作品の構想用に描かれたと思われます。

「ピアノを弾くイヴォンヌと クリスティーヌ・ルロール」
 1897-98年頃 パリ、オランジュリー美術館

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画家のアンリ・ルロールの娘たちを描いていて、白い服がイヴォンヌです。
服の色に合わせて、2人の肌の色も少し違えてあります。
壁にはドガの、競馬と踊り子を描いた絵が飾ってあります。
ピアノは裕福な家庭の象徴で、ルロール家の雰囲気を伝えています。
「ピアノを弾く少女たち」が縦長の画面で、アップライトピアノ、長い髪、
垂らしたリボンなど、縦を意識しているのに対し、こちらはグランドピアノ、
額縁、伸ばした腕など、横の向きを意識しています。


「画家の庭」  1903年頃 ケルヴィングローヴ美術博物館
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ルノワールは1897年に自転車から落ちたことから間接リウマチを発症しています。
それもあって、ルノワールは晩年、冬は暖かい南仏のカーニュ=シュル=メール、
暑い季節は妻の故郷、シャンパーニュのエッソワに住んでいます。
そのどちらかで描かれた作品とのことで、明るい日光の下、色彩があふれています。

「座る浴女」 1903-06年 デトロイト美術館
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晩年の南仏時代の作品で、たしかなデッサンで描かれ、髪も肌もかがやいています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「パリスの審判」 1908年 三菱一号館美術館寄託
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ギリシャ神話の一場面の、パリスがアフロディーテに黄金の林檎を与えているところです。
トロイア戦争の原因となった出来事です。
三美神は豊麗な姿で描かれています。

「道化師(ココの肖像)」 1909年 オランジュリー美術館
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ルノワールはよく自分の子どもたちを描いています。
三男のクロードがモデルで、3人の中ではクロードが最も多くモデルを務めています。
クロードはこの衣装が嫌いで、モデルになると半日学校を休めることだけが
嬉しかったそうです。

「帽子の娘」 1910年 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
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ルノワール好みの腕もたくましい豊満な女性像です。
色彩もまとまって落着いています。

「泉」 1910年 大原美術館
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明るい色彩、リラックスした雰囲気、完全にルノワールの裸婦です。
古代彫刻をあしらうなど、古典の世界を意識しています。

「ド・ガレア夫人の肖像」 1912年 個人蔵
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画商ヴォラールの紹介で描いた作品で、モデルのド・ガレア夫人は髪飾りや
ネックレスをを着け、指輪をいくつも嵌め、扇を持って長椅子に座っています。
長椅子は古代ローマの様式を取入れた帝政様式で、壁の絵の額縁も
古代ローマの儀仗用の斧(ファスケース)をイメージしているようです。
古典的な構図であるところなど、ルノワールの趣味を感じます。

「水浴の後」 1912~1914年頃 スイス、ヴィンタートゥール美術館
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ルノワール晩年の豊麗な世界です。

「泉による女」 1914年 大原美術館
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大原孫三郎の支援を受けて渡仏していた満谷国四郎が大原の意向を受けて、
南仏のカーニュに住む晩年のルノワールを訪れ、制作を依頼した作品です。
絵を持ち帰ったのは安井曾太郎で、絵具がまだ乾いていないので、
運ぶのに困ったそうです。

1914年に第一次世界大戦が始まると、長男のピエールと次男のジャン
(後の映画監督)が出征し、負傷します。
1915年には妻のアリーヌが亡くなっています。

「浴女たち」 1918-19年  オルセー美術館
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1919年に亡くなったルノワールの最晩年の作品です。
リウマチで苦しむ手で描かれたとは思えないほど、豊かで力強く輝いています。
古典絵画を下敷きにした世界ですが、ルノワールの理想郷を描いているようです。
ルノワールも、「ルーベンスだってこれには満足しただろう」と自信ありげに語っています。

こうして並べてみると、少しずつ作風が変わっている様子がよく分かります。
モネの風景画に対し、ルノワールの人物画、それぞれたっぷり楽しみました。


【2020/04/19 19:09】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
私の「ルノワール展」 その1
ルノワール
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展覧会で観た、印象派の画家、ルノワール)の作品を集めて、私の「ルノワール展」を
開いてみました。
絵の数が多いので、2回に分けます。

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919はリモージュで仕立屋の子として
生まれています。
パリで磁器工場の絵付職人となりますが、ところが陶磁器のプリント技術が
進んだため、失業してしまいます。
その後、装飾関係の職人を続けながら、画家になることを決心し、1861年に
シャルル・グレールのアトリエに入ります。
そこで、モネやシスレー、バジールなど、後の印象派の画家となる人たちと
知り合うことになります。

「花瓶の花」 1866年頃
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印象派以前の初期の作品で、かなり細かく描き込まれています。

「森の散歩道(ル・クール夫人とその子供たち)」
 1870年 吉野石膏美術振興財団(山形美術館に寄託)

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パリ郊外のブローニュと思われる森を散歩する、友人の建築家、
シャルル・ル・クールの家族を描いています。
初期の作品で、コロー風の落着いた色彩です。

「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」  1872年 国立西洋美術館
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初期の作品で、ドラクロワの「アルジェの女たち」に倣っており、1972年のサロンに
出品していますが、落選しています。
真中の女性のモデルは当時、恋人だったリーズ・トレオです。
松方正義の集めた松方コレクションの1つで、戦後一時フランス政府に接収された後、
日本への返還の際にフランス政府は自国への留め置きを主張しますが、交渉の結果、
返還が決まった作品です。

「ポン・ヌフ、パリ」 1872年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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セーヌ右岸からパリで一番古い橋のポン・ヌフ(新橋)を眺めたところで、
右奥にアンリ4世像が見えます。
橋の上を馬車や人びとが行き交い、犬も歩いています。
ブルー系でまとめた風景で、左岸(南側)の建物は日陰になっています。
赤色もほしいと思ったのか、画面右側には三色旗も立っています。
ルノワールの弟、エドモンは兄がすばやくスケッチ出来るように人びとに
呼び掛けてしばらく立ち止まってもらったそうです。
犬までは止まらなかったでしょうが、パリの人たちは芸術に理解があったようです。

「新聞を読むクロード・モネ」 1873年 パリ、マルモッタン・モネ美術館
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ルノワールはモネと親しく、モネと家族を何点か描いています。
アルジャントゥイユのモネの家で描いた作品で、パイプの煙も描き込まれています。

「桟敷席」 1874年 ロンドン、コートールド美術館
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1874年の第1回印象派展に出品された作品の一つです。
ドレスの白と黒のコントラストが目を惹き、ピンクの花が唇の紅と合って、
彩りを添えています。
黒を使うのはマネに似たところがあります。
近くで観ると、ネックレスは輝き、青色も効果的に使われていていて、ルノワールの
色遣いのうまさを見せています。
モデルはニニ・ロペスという女性と弟のエドモンで、ニニ・ロペスは「猫を抱く女性」
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)などのモデルにもなっています。
劇場では観客が他の観客をオペラグラスなどで観察するのも楽しみだったようで、
メアリー・カサットの「桟敷席にて」(ボストン美術館蔵)にも描かれています。

「踊り子」  1874年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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第1回印象派展に出品された作品の一つです。
縦142.5cmの大作で、無地の背景の前に立つバレリーナを淡い色彩でやわらかく
描いています。
バレーのポーズを決めた足のシューズのピンクは衣装の水色と響き合っています。
ドガの踊り子とは違った優美な姿です。

「モネ夫人とその息子」 1874年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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アルジャントゥイユのモネの家の庭でくつろいでいるのはモネ夫人のカミーユと
長男のジャンで、カミーユは日本の扇を持っています。
マネがカミーユとジャンを描いているところにやってきたルノワールがその様子に
刺激されて描いた絵です。
鶏も登場していて、見える物はさっさと描いてしまうのも印象派の楽しいところです。
モネはこの作品を気に入っていて、最晩年のジヴェルニーの家の寝室にも
掛けていたそうです。
若くして亡くなったカミーユと早世したジャンの思い出としていたのでしょう。

「読書する少女」 1874-76年 オルセー美術館
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モデルは「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」のモデルの一人にもなっている
マルゴという女性で、後ろからの光がその姿を浮かび上がらせています。

「猫を抱く女性」 1875年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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薄緑を基調にして、女性の頬の薄紅色が作品を暖かくしています。
モデルはニニ・ロペスというモンマルトルの女性で、ルノワールの作品に
よく描かれています。
猫はルノワールの肖像画の小道具として時々登場しています。

「草原の坂道」 1875年頃 オルセー美術館
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明るい日の光の下で、坂道を下りてくる人たちの動きが画面を活き活きとさせています。

「アンリオ夫人」 1876年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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モデルはパリの劇場の女優で、ルノワールは11点も彼女を描いています。
そのうち、この作品だけが彼女の許にあったそうです。
目鼻立ちは入念に描かれていますが、体やドレスは淡い色彩で、柔らかく
背景に溶け込んでいます。
地味な色彩ですが、かえって人物の品の良さを感じさせます。

「陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光りの効果)」 
 1876年頃 オルセー美術館

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1876年の第2回印象派展に出展された作品です。
顔や体の肌はかなりまだらな色に塗られているので、当時の古典主義の絵を見慣れた
人たちには異様な絵に思えたようです。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 1876年 オルセー美術館
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横176.5㎝の大作で、ルノワールの代表作です。
モンマルトルのダンスホール、ムーラン・ド・ラ・ギャレットでの日曜日のダンスパーティを
描いています。
真ん中で中腰になっている女性はジャンヌ、ベンチに腰掛けている女性は
妹のエステルで、後ろのピンクのドレスの女性はマルゴです。
彼女たちはモンマルトルでお針子などをしていて、ルノワールの友人たちとともに、
よくルノワールの作品のモデルになっています。
絵の前に立って観ていると、木漏れ日の下、休日を楽しむ人たちのさざめきが
聞こえてくるようです。
ルノワールはお針子の子どもたちの託児所を開くための資金集めのため、
仮装パーティを開いたこともあったそうです。
ルノワールの人柄の伝わるエピソードです。

「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」 1876年 プーシキン美術館
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木漏れ日の中の語らいの場面で、描かれている女性は、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの
舞踏会」にも描かれていたジャンヌとエステルでしょうか。

「ぶらんこ」 1876年 オルセー美術館
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モンマルトルにあったアトリエの裏の庭での情景で、ぶらんこに乗っている
女性はジャンヌです。
木漏れ日の下のひと時を巧みに捉えています。

 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」 1876年 アーティゾン美術館
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印象派時代のまだ絵の売れないルノワールに最初に注目した一人が、
出版業を営むジョルジュ・シャルパンティエです。
この作品は彼の依頼で自宅を訪問し、当時4歳の娘を描いたものです。
濃い色の背景の中で、白い肌や水色の服は輝き、浮き立って見えます。
足の届かない、大人用の椅子に座ることで可愛さを強調しています。
この絵はシャルパンティエ夫妻の気に入り、ルノワールは後に、
「シャルパンティエ夫人と子どもたち」を描くことになります。

「ジャンヌ・サマリーの肖像」 1877年 プーシキン美術館
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ジャンヌ・サマリーはコメディー=フランセーズの花形女優で、
このとき20歳、金髪を輝かせ、やや下がり目で、うっとりとした
表情を見せています。
ピンク色を大胆に使った華やかな雰囲気の作品で、
ドレスの青色が効いています。
当時のルノワールは青色系統の肖像画が多かったので、
暖色系の色調は珍しいそうです。

「うちわを持つ少女」 1879年頃 クラークコレクション
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ジャポニズム趣味の作品で、人物、団扇、花が重なって華やかです。
顔立ちは入念に描かれ、優しい雰囲気になっています。
服の濃い青と、花の赤が互いにうまく引き立ち、背景の緑と白の縞の色は
フランス風で洒落ています。
女性はジャンヌ・サマリーで、彼女はよくルノワールのモデルに
なってるとのことです。

「テレーズ・ベラール」 1879年 クラークコレクション
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銀行家で外交官の13歳の娘、テレーズを描いています。
深い青色の際立つ作品で、少女の上品な雰囲気を表しています。
テレーズの息子によれば、彼女が着せられているブラウスが田舎で子供たちが
着ているもので、優雅には思えず、この絵が気に入らなかったそうです。
青によって、少女の上品な雰囲気を表しています。

「縫い物をする若い女」 1879年 シカゴ美術館
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日の光の感じられる、印象派らしい作品です。
花瓶の花に当たる光が効果的です。
こういう何気ない日常風景をルノワールは好んだようです。

「リュシアン・ドーデの肖像」 1879年 松岡美術館
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リュシアン・ドーデは「風車小屋だより」で有名な小説家、アルフォンス・ドーデの息子です。
無心な表情でお菓子を手にしているところです。
男の子ですが、女の子の服装をしているのは、幼児期は女の子の方が丈夫なので、
この時代は男の子にも女の子の服装をさせる風習があったことによるものです。

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」
 1880年 ビュールレコレクション

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肖像画で人気を得てきた頃の作品で、ユダヤ系の銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェール
伯爵の長女、8歳のイレーヌがモデルです。
服や手は大まかな筆遣いですが、栗色の髪と背景の濃い緑に囲まれた顔は
写実的で、まつ毛も描き込まれ、顔にはほんのりと紅と青も入って、透き通るような
肌の色を描き出しています。
この絵はイレーヌ自身が所有していましたが、後にナチスに没収され、
美術品の愛好家だったゲーリング国家元帥の手に渡ります.
戦後にイレーヌに返され、ビュールレは1949年にイレーヌから購入しています。

「劇場の桟敷席(音楽界にて)」 1880年 クラークコレクション
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短い金髪に黒いドレス、長い黒髪に白いドレスの愛らしい二人の少女を
描いています。
手に楽譜を持って、音楽会の場面であることを示しています。
肖像画として描いたものの注文主が受け取らなかったので、右上にあった
男性の姿を消して画面を造り換えたそうです。
最初、作品を観たとき、右上が空きすぎているのではないかと思いましたが、
訳が分かりました。

「シャクヤク」 1880年頃 クラークコレクション
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咲き誇るシャクヤクが画面いっぱいに勢い良く広がっています。
描いているうちに萎れてしまったらしい枝もかまわず一緒に描き込んでいます。

「桃」 1881‒1882年頃 パリ、オランジュリー美術館
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桃の紅色が鮮やかで、テーブルクロスの白もやわらかです。
ルノワールは静物画も魅力的です。

1882年以降の作品は次回の記事にします。


【2020/04/18 19:23】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
葛飾北斎の描いた厄除けの絵
両国
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新型コロナウイルスが猛威を振るっています。
そこで疫病退散を願って、葛飾北斎の描いた、疫病神を退治する絵を載せます。


「須佐之男命厄神退治之図」(復元) 弘化2年(1845) すみだ北斎美術館
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横276㎝の大作で、北斎86歳の作品を復元したものです。
向島の牛嶋神社に奉納した絵で、須佐之男命が厄神たちに二度と疫病を
起こさないと誓わせています。
牛嶋神社は須佐之男命を祭神としています。
関東大震災で焼失してしまいましが、白黒写真を基に大変な努力を重ねて、
推定復元したものです。
右の白い袋を担いでいるのはインフルエンザ、真ん中の背中を見せて
右を向いているのは梅毒と思われるとのことです。

すみだ北斎美術館は葛飾北斎を記念して、2016年に墨田区の開設した美術館です。

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葛飾北斎(1760-1849)は葛飾郡本所割下水(現在の墨田区亀沢)で生まれ、
生涯に93回、引越しを繰り返しながら、ほとんどの期間を墨田区で過ごしています。
妹島和世建築設計事務所の設計で、4階建て、スリットを入れて四方どこからでも
入れるようになっています。


「弘法大師修法図」 弘化年間(1844~47) 西新井大師總持寺
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横2m以上の大きな掛軸で、近辺に疫病が流行っていた時、弘法大師空海が訪れ、
法力により疫病を鎮めたという逸話を描いています。
弘法大師が疫病神を調伏しているところで、疫病神は棒に手を巻き付けて持ち、
犬は茸の生えた古木に巻き付き、吠えて対峙しています。
黒い背景の中で三者が浮かび上がり、画面も右に傾き、バロック的な躍動感のある
力作です。


「鐘馗図」 寛政5~6年(1793~94) 島根県立美術館
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初期の名である春朗の落款のある現存唯一の作品です。
赤い鐘馗が鬼を掴んで退治していて、上から覆いかぶさってくる姿に迫力があります。
鐘馗は唐の玄宗皇帝の夢に現れ、小鬼を退治したので、玄宗の病が治ったという
逸話があります。
そこで、鐘馗の像は厄除けとして好まれるようになったということです。


【2020/04/17 19:13】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
JR御茶ノ水駅辺り
御茶ノ水
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JR御茶ノ水駅の大規模改良工事が進んでいます。

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バリアフリー化され、聖橋口広場も整備され、駅舎に店舗も入るそうです。
駅は幾つもの大きな病院の間にありながら、エレベーターやエスカレーターが無く、
不便だったのですが、2019年に設置されました。

完成予定は平成33年(2021年)と書いてありますが、地中埋設物の処理等の影響で、
2023年に遅れるそうです。

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駅の聖橋口が閉鎖されました。

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代わりに赤い矢印の方向に行った茗渓通り沿い(丸善お茶の水店の向かい)に
仮の聖橋口が出来ています。

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茗渓通りの人通りも激減していますが、多くの飲食店は開いています。

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聖橋から本郷通りを降りて行くと、2018年に完成した日本大学理工学部校舎
タワー・スコラ(右側)があります。

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日本大学理工学部のチームは毎年琵琶湖で開かれる鳥人間コンテストで何度も
優勝していますが、残念なことに新型コロナウイルス対策のため、2020年の大会は
中止になりました。

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三井住友海上横の駿河台道灌道には駿河台匂という名の遅咲き桜が咲いていました。
江戸時代、駿河台の庭に咲いていた、特に香りの強い品種だそうです。

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明治大学リバティータワーが見えます。
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淡路町公園には八重桜が咲いていました。

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【2020/04/16 19:27】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の「モネ展」 3 睡蓮
モネ
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モネの「睡蓮」の絵を集めてみました。

モネは1883年にジヴェルニーに移り、セーヌ川の支流の水を庭に引いて日本庭園を作り、
睡蓮の池の連作を始め、1926年に亡くなるまでに200点以上を制作しています。

クロード・モネ 「睡蓮」 1897-98年 個人蔵
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「睡蓮」のシリーズの初期の作品です。
水面の紫色に深みがあります。
後の作品と比べると写実的で、花や葉そのものを描いている感じがします。

クロード・モネ 「白い睡蓮」 1899年 プーシキン美術館
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庭を題材にした初期の作品で、日本風の太鼓橋と睡蓮を白を基調にして描いています。

クロード・モネ 「睡蓮」 1903年 アーティゾン美術館
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この絵では浮世絵風に画面の外から柳の枝を垂らしています。

クロード・モネ 「睡蓮」 1903年 マルモッタン・モネ美術館
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はじめは木々や太鼓橋も描いていましたが、1900年代になると水面の表現に
関心が集中していきます。

クロード・モネ 「睡蓮」 1905年 ボストン美術館
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夕暮時の空が水面に映っています。

クロード・モネ 「睡蓮」 1906年頃 大原美術館
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この絵は、大原美術館の設立者、大原孫三郎に西洋絵画の収集を依頼された
画家の児島虎次郎がモネから直接入手した作品です。

クロード・モネ 「睡蓮」 1907年 ポーラ美術館
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庭の木や空が映っています。

クロード・モネ 「睡蓮、水の光景」 1907年 ワズワース・アシニアム美術館蔵
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淡い穏やかな色彩は静けさも伝え、観る人の心も和みます。

クロード・モネ 「睡蓮の池」 1907年 アーティゾン美術館
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この後、睡蓮シリーズは光そのものの表現に進み、最後には睡蓮の形も
溶けてしまいます。

クロード・モネ 「睡蓮」 1916年 国立西洋美術館
モ001

縦横それぞれ約2mの大作です。
筆遣いは力強く自由で、水面には柳が映り、色彩と光があふれています。

クロード・モネ 「睡蓮」 1917-19年 マルモッタン・モネ美術館
モネ008

モネは晩年、白内障を患い、作品も筆遣いが粗くなってきます。
横3mの大きな作品で、視力が落ちても衰えない、描こうとするエネルギーが
あふれています。

クロード・モネ 「睡蓮のある池」 1919年 個人蔵
フ009

かなり大まかな描き振りになっています。

クロード・モネ 「睡蓮の池、夕暮れ」 1916/22年 チューリヒ美術館
チュ001

横6mの大作です。
晩年に白内障を病んでいたモネは、大きな画面だと遠くから何とか見ることが出来たので、
大画面の作品を描くようになったそうです。
赤から紫まで、虹の色をすべて使っていて、近くで観ると大振りなタッチでざくざくと
描いてあるのが分かります。
ほとんど形が無くなっていて、抽象絵画はもう目の前だなと思います。

最初は庭の景色として描いていたものが、やがて色や光そのものに関心を移していった
ことがよく分かります。
長年にわたって同じモチーフを繰り返し描き続け、究めようとする、そのエネルギーには
驚いてしまいます。


【2020/04/14 20:30】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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