「近代洋画の開拓者 高橋由一」展 東京藝術大学大学美術館
上野
chariot

上野の東京藝術大学大学美術館で、は「近代洋画の開拓者 高橋由一」展が
開かれています。
会期は6月24日(日)までです。

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高001


日本最初の洋画家として、西洋画の普及に尽くした高橋由一(1828-94)の作品や
関係資料が展示されています。

高橋由一は佐野藩堀田家の家臣の子で、江戸の藩邸で生まれています。
子供の頃から絵を好んでいましたが、西洋の石版画を見てその写実性と美しさに驚き、
20歳台半ばで西洋画を志します。

35歳で幕府の研究機関、蛮書調所の画学局に入りますが、得るところは少なかった
ようです。

「博物館魚譜」 元治元(1864)年
日本画の技法で描かれた魚類の精密な写生帖で、高橋由一はソウダガツオなどを
担当しています。

39歳で横浜に居たイギリス人の新聞記者兼挿絵画家チャールズ・ワーグマンに入門して、
本格的に洋画を学びます。

「丁髷姿の自画像」 1866-67年頃 油彩・麻布 笠間日動画廊
高011

現存する唯一の洋画による自画像です。
顔は長く、口は大きかったという特徴をよく捉えています。
立体感を強調するため、顔の陰翳を濃く描いています。

「花魁」 1872年 油彩・麻布 東京藝術大学 重要文化財
高008

モデルは新吉原の稲本楼の小稲(こいな)です。
小稲は評判の名妓で、花魁のモデルを探したときに、ただ一人応じています。
その頃、23・4歳だったという小稲は豪華な衣装に身を包み、髪を後ろに垂らす
下げ髪という髪型を結い、べっ甲のかんざしを差せるだけ差した晴れ姿で臨んでいます。
しかし描かれた顔は、目は細く、頬骨は高く、あごは尖り、唇の端は吊り上がり、
髪に張りがありません。
美化などせず、写実を徹底しようとした結果ですが、妙に生々しい絵になっています。
小稲自身もこの絵を見て、「私はこんな顔じゃありません」と、泣いて怒ったそうです。

涼やかな日本女性を描き出した黒田清輝の「湖畔」が描かれるのは25年後の
1897年ですから、まだまだ道は遠いようです。

「鮭」 1877年頃 油彩・紙 東京藝術大学 重要文化財
高002

高橋由一と言えば思い出す作品です。
長さ120cmという大きな鮭で、洋画では珍しい極端に縦長の画面に描かれています。
日本人は掛軸を観慣れているので、縦長でも違和感は無かったのかもしれません。
皮のたるみ、塩の粒、縄のほつれまで克明に描かれ、身の赤がとても印象的です。 

高003


高橋由一の静物画は日用道具や食物など、生活に即した品か、伝統を記録するために
描かれたものばかりです。
芸術として描くというより、洋画の写実の力を示そうという意欲が表れています。

「鮭」 1878年頃 油彩・麻布 山形美術館寄託
高012

鮭の絵は当時から評判だったようで、その後何点も描いています。
山形県村山市の旅館、「伊勢屋」の帳場に掲げられていて、
「伊勢屋の鮭」と呼ばれていたそうです。

「鮭図」 1879-80年 油彩・板 笠間日動画廊
高013

こちらは板に直接描かれていて、逆に木目は描いてあるのではないかと
錯覚しそうです。
荷札には日本橋中洲町とあります。

3匹並べて展示してあるので、細かい描き方の違いを見比べることが出来ます。

「桜花図」 1880年 油彩・麻布 金刀比羅宮
高007

日用道具を描くという姿勢は変わらず、この絵も山桜を入れてある古びた桶に存在感が
あります。
板が1枚だけ新しいところはリアルで、夕方の野外の風景と組み合わせてあるのは
シュールな感じもします。

「甲冑図(武具配列図)」 1877年 油彩・麻布 靖国神社遊就館
高009

豪華な白糸沢瀉縅(しろいとおもだかおどし)の甲冑に弓矢、陣太刀、軍扇、鐙などを
添えて描いています。
1877年(明治10年)は西南戦争の起きた年で、西郷軍の敗北により、人びとは武士の
時代の終わりを実感しています。
武士の出身だった高橋由一としても、是非描いておきたかった題材だったことでしょう。

「芝浦夕陽」 1877年頃 油彩・麻布 金刀比羅宮
高006

高橋由一は風景画も数多く描いています。
隅田川、不忍池、愛宕山、江ノ島などの名所絵が多く、題材や手前に大きく樹木などを
置く構図は浮世絵とよく似ています。

この絵の、手前に舟を大きく描く構図は安藤広重の「芝浦青嵐」から借りています。
静物画では写実に徹しながら、風景画では浮世絵を参考にしている訳です。
浮世絵を通して風景を見ていた人たちに洋画でも同じことが出来ることを示そうと
したのでしょうか。
ヨーロッパで浮世絵に触発されてジャポニズムが起きる頃に、日本では浮世絵の
影響を受けた洋画を描いていたというのも面白いところです。

明治10年代以降になると洋風化の反動として国粋主義が興り、洋画も一時振るわなく
なります。
そこで高橋由一は東北各県の県令(県知事)を勤めた三島通庸に近づき、現地に
取材して三島の建設した公共建築や道路、橋などを描いています。

「山形市街図」 1881-82年 油彩・麻布 山形県
高010

山形県庁を正面にした山形市の中心部の様子で、左右に和洋折衷の擬洋風建築が
並んでいます。
写真を元に描いているので、レンズによる画像のゆがみがそのまま表れています。

高橋由一は洋画の学校を興したり、国産の画材を研究したり、洋画の美術館まで
構想しています。
構想図を見ると、美術館は木造で、螺旋階段を上がりながら作品を鑑賞するという、
いわゆる栄螺堂(さざえどう)の形をしています。


今では洋画は日本に定着し、絵画と言えばまず洋画のことになっています。
しかし、それには高橋由一のような開拓者の奮闘があったことを思い起こさせてくれる、
興味深い展覧会です。


同時開催されている、「芸大コレクション展 春の名品選」には、同じく明治の日本絵画を
代表する、狩野芳崖の「悲母観音」(重要文化財)や浅井忠の「収穫」(重要文化財)も
展示されています。

「芸大コレクション展 春の名品選」の記事です。


隣の旧東京音楽学校奏楽堂には八重桜が咲いていました。

芸0094


 


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