「二条城展」 江戸東京博物館
両国
chariot

両国の江戸東京博物館では江戸東京博物館開館20周年記念、「二条城展」が
開かれています。
会期は9月23日(日)までです。
休館日は毎週月曜日ですが、8月13日、9月10日、17日は開館しています。
8月26日までの前期と28日からの後期で一部展示替えがあります。

二001

二002


京都の二条城は、関ヶ原の戦いに勝った徳川家康の京都での拠点として、
慶長7年(1602)に着工されています。
翌年完成し、ここで家康は征夷大将軍就任祝賀の儀を行なっています。

その時の二条城は方形で一重の堀を巡らし、慶長11年には北西隅に五層の
天守閣が完成しています。

慶長16年には家康は現在の二の丸御殿に当たる建物で、豊臣秀頼と
会見しています。
大阪の陣が起こると家康は二条城から進撃し、豊臣氏を滅ぼしています。


「洛中洛外図屏風」 6曲1双 17世紀 勝興寺(高岡市) 重要文化財
二014

二015

前期展示です。
左隻中央には二条城が描かれていて、天守閣は一層目の屋根は方形造、
二層目からは層毎に入母屋造が互い違いになっています。
右隻には内裏や豊臣秀吉の建てた方広寺、右上隅に伏見城が描かれています。
洛中洛外図の恒例として、右隻には祇園祭の山鉾巡行、左隻には神輿渡御の
様子も描き込まれています。

元和6年(1620)には、2代将軍秀忠の娘、和子の後水尾天皇の元への
入内に当たっては、一行は二条城から出発しています。

「東福門院入内図屏風」 4曲1双 17世紀 三井記念美術館 重要文化財
後期展示です。
(左隻)
4-19-2011_003.jpg

(右隻)
二018

入内の時の華やかな行列の模様を描いたもので、元は絵巻の形だったらしく、
目録も付いていて、井伊、酒井、松平などの幕臣の名前も見えます。

この屏風は2011年に開かれていた、「三井記念美術館館蔵品展」にも
展示されていました。
「三井記念美術館館蔵品展」の記事です。

「東福門院像」 江戸時代 光雲寺(京都市)
二016

光雲寺は南禅寺の塔頭で、東福門院となった中宮和子が帰依し、菩提寺とも
なっています。
宝冠を着け、唐衣には葵の紋が描かれています。


寛永元年(1624)に後水尾天皇の行幸を迎えるため大改築が始められ、
本丸の築造、二の丸御殿の改造が行われます。
この時、慶長の天守を淀城に移し、伏見城の天守を縮小して移築しています。
図面によれば五層の天守で、一層の中央に大きな唐破風が付いています。
この天守は寛延3年(1750)に落雷で焼失し、その後は天守は再建されません。

工事は寛永3年に完成し、行幸の儀は9月6日から5日間に渡って盛大に行われ、
雅楽、舞楽、能が演じられ、馬術、蹴鞠や和歌の会も催されます。

狩野派は狩野探幽に率いられ、障壁画の制作に当たり、足掛け3年の期間で
1万を超える面数を描き上げています。

「二の丸御殿 飾金具」 4点 寛永3年(1626) 国宝
大きな釘隠で、花束を熨斗で包んだ花熨斗の形など、とても華やかで
精巧な細工です。

「花下遊楽図」 6曲1双 狩野長信 17世紀 東京国立博物館 国宝
花下遊楽図001

8月10日までの展示です。
この作品は毎年春のお花見の季節に東京国立博物館で展示される以外は
なかなか観る機会がありません。
当時の狩野派の作柄を知ることの出来る作品です。

二の丸御殿 遠侍二の間 「竹林群虎図」 狩野甚之丞 
 襖2面 寛永3年(1626) 重要文化財

二006

二の丸御殿は入母屋造の大きな建物が雁行型に並んでいて、最初にあるのが
遠侍(とおさむらい)です。
警護の武士の詰め所で、登城した大名の控えの間として使われていました。

狩野甚之丞は狩野永徳の甥で、二条城障壁画の制作にも参加しています。
虎や豹が、かなりデフォルメされた姿で描かれています。
両前足を広げ、体をねじって水を飲む姿は虎の絵でよく見る絵柄です。
当時は豹は雌の虎とされていたので、群虎図となっています。

二の丸御殿 遠侍勅使の間(下段) 「檜図」 狩野甚之丞 
 襖2面 寛永3年(1626) 重要文化財

二009

金雲の下から枝を延ばしています。

二の丸御殿 大広間四の間 「松鷹図」 狩野山楽または探幽 
 襖4面 寛永3年(1626) 重要文化財

二007

二008

大広間の一の間、二の間は将軍が諸大名と対面する場所で、四の間は将軍の
上洛の折に武器を納めておく場所といわれています。
とても大きな部屋なので、絵も松の巨木をのたうつようにうねらせ、
鋭い目をした大きな鷹をとまらせた、豪放極まりない画面になっています。

二の丸御殿 黒書院四の間 「菊図」 狩野尚信 
 襖2面 寛永3年(1626) 重要文化財

二010

黒書院は親藩や譜代などの大名との内輪の対面所です。
絵柄も優美な菊の花になっています。

二の丸御殿 白書院一の間天井画 「花卉図」 狩野派 
 4面 寛永3年(1626) 重要文化財

(朝顔)
二012

白書院は将軍の居室・寝所で、障壁画も落着いた水墨画でまとめられています。
天井は格天井(ごうてんじょう)で、それぞれの面に花の絵が描かれています。


幕末になり朝廷のある京都が政治の舞台になってくると14代将軍徳川家茂が
文久3年(1863)に上洛し、二条城に入ります。
将軍の上洛は3代家光以来です。

慶応3年(1867)10月13日に15代将軍徳川慶喜は二条城に40藩の重臣を集め、
大政奉還を告げます。

「大政奉還上意書」 19世紀後半 茨城県立歴史館
徳川慶喜が一橋家に宛てて書いた大政奉還の趣意書です。
文面は10月14日に朝廷に提出された「大政奉還上表」とほぼ同じで、保平の乱
(保元・平治の乱)以来武家に移った政権を朝廷に返す時が来た、とあります。

「大政奉還(下図)」 邨田丹陵 20世紀 明治神宮
二017

日本史の教科書によく載っている、有名な場面です。
絵では黒書院が描かれていますが、慶喜が大政奉還を告げたのは大広間です。
ここに王城の地での武権の象徴としての二条城はその役目を終えます。

この後、徳川慶喜は軍勢を率いて大坂城に退去し、鳥羽伏見の戦いに敗北すると、
江戸に逃げ帰ります。

二条城は明治時代に離宮となった後、昭和14年(1939)に京都市に下賜され、
現在に至っています。

まさに、チラシの言葉にある通り、大広間に描かれた鷹は、「その目は、
徳川幕府の栄光と終焉を見ていた。」ことになります。

私が二条城に行ったとき、かぎ型に続く有名なウグイス張りの廊下の横には金箔地の
襖に絵の描かれた大きな部屋が並び、何とも重々しい印象で、将軍や大名というのは
こういう大層な建物の中を行き来していたのかと感心しました。

会場ではそのウグイス張りの廊下の音も鳴っていて、その時のことを思い出します。

元離宮二条城のHPです。


元離宮二条城では本格修理に当たって、1日城主を募集中です。

二004


金額に応じてさまざまな特典があり、100万円以上を寄付すると、普段は非公開の
場所も案内してもらえるそうです。
将軍様しか座れない、黒書院の上段の間にも着座出来るようです。

二005

江戸時代には御家人株を金で買うことも出来たようですが、100万円で一日天下様に
なれるというのは魅力です。

詳しくは1日城主募集のページをご覧下さい。




狩野探幽以来の江戸狩野派についての解説です。



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【2012/07/31 04:52】 美術館・博物館 | トラックバック(1) | コメント(0) |
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blog_name=【弐代目・青い日記帳 】 ♥   「二条城展」
 
江戸東京博物館で開催中の 「二条城展」に行って来ました。 二条城展公式サイト:http://nijo-castle2012.jp/ 1603年に京都のど真ん中に二条城が出来た時代にもしTwitterがあったら、批判
【2012/09/01 21:31】

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