「東京美術学校から東京藝術大学へ 日本絵画の巨匠たち」展 ホテルオークラ東京 1.日本画
六本木一丁目・神谷町
chariot

虎ノ門のホテルオークラ東京ではチャリティーイベント、
「第18回秘蔵の名品アートコレクション展」として、
「東京美術学校から東京藝術大学へ 日本絵画の巨匠たち」展が開かれています。
会期は8月26日(日)までで、期間中は無休です。
今回の展覧会の純益は東日本大震災の復興支援のために寄付されます。

日本画と洋画の2回に分け、まず日本画から掲載します。
会場の写真は主催者の許可を得て撮ったものです。

美術001


東京藝術大学とその前身である東京美術学校の歴代教員と卒業生から選んだ
45名の作品の展示です。

8月18日のアート&アフタヌーンティーの企画に参加させていただき、監修者の
お一人の武蔵野音楽大学講師、熊澤弘先生の解説をお聴ききした後、
ギャラリートークを受けながら、作品を鑑賞しました。

美術0047

聴いていてもケーキが気になります。


東京藝術大学の収蔵する美術品や資料は29000件以上におよぶそうです。

これらの藝大コレクションは、教育研究活動のための「教育資料」と、
教育成果として制作された「学生制作品」などの二つに分けられます。

「教育資料」は、東京美術学校の設立に尽力した岡倉天心らの収集した、
国宝「絵因果経」、狩野芳崖の「悲母観音」などがあります。

洋画でも、西洋画科を指導した黒田清輝は、自分たちの広めた外光派(紫派)
とは異なり、脂派と呼ばれ旧派とされる明治美術界系の画家である高橋由一の
「鮭」や原田直次郎の「靴屋の親爺」なども収集しています。

横山大観 「村童観猿翁」 1893年 東京藝術大学
美術002

横山大観は東京美術学校の第1回の卒業生で、1896年の図案科の新設時には
教官となっています。
この作品は卒業制作で、猿使いの男は教官の橋本雅邦、子供たちは大観ら
同級生とされています。

1898年に起きた校長の岡倉天心の排斥運動のときは、罷免された岡倉とともに
橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らの教官が退官し、日本美術院を
結成しています。

菱田春草 「帰牧」 1902年 光記念館
美術003

日本美術院を結成した横山大観、菱田春草らは洋画に刺激を受け、日本画伝統の
輪郭線を使わずに描くことを始めます。
しかしこれは朦朧体と呼ばれ、なかなか理解されませんでした。

川合玉堂の六曲一双屏風、「高嶺の雲」(1909年)です。

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川合玉堂 「高嶺の雲」(右隻) 六曲一双 1909年 大倉集古館 
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晩年の穏やかな作風と違って、硬く鋭い筆遣いで険しい山稜を描き出しています。
様式に嵌らずに、写実を追う姿勢は晩年まで一貫しています。

川合玉堂は1915年から日本画科教授を勤めています。

小林古径 「花」 1919年
美術004

桃山の風俗図屏風のようで華やかですが、小林古径らしく端正な絵柄です。

小林古径は1944年から日本画科教授を勤めています。

同じく教授だった山本丘人の思い出として、太平洋戦争末期の食糧難の時代の
教員室での昼食の時間、梅原龍三郎の弁当はどっさりご馳走が詰まっているのに、
小林古径のは貧弱なサツマイモだけ、それでも二人は平然としていたというのが
あります。
二人の人柄と作柄が偲ばれるお話です。

右は山本丘人の学生制作品、「白菊」(1924年)、左は晩年の叙情的な作品、
「夏渡る時」(1979年)です。

美術0067


左は松岡映丘の学生制作品、「浦の島子」(1904年)、その右は
「千草の丘」(1926年)です。

美術0066


松岡映丘 「千草の丘」 1926年
松010

縦219cmの縦長の画面に、野に立つ和服姿の初代水谷八重子(1905-79)を
等身大に描いています。
初秋の那須野が原をイメージしているということで、足許には桔梗、竜胆、
女郎花、藤袴、吾亦紅、撫子などが咲いています。

松岡映丘は東京美術学校を首席で卒業し、1908年からは教授として、杉山寧、
高山辰雄、橋本明治、山口蓬春、山本丘人など多くの後進を育てています。

杉山寧 「野」 1933年 東京藝術大学
卒業制作で、薄の繁る野原に埋れるようにして遊ぶ子供たちの情景です。
活き活きとした線描で、遠景の描写も行き届いています。
1932年に描いた「磯」にしてもこの作品にしても、若い時の作品は後年とは
違った冴えがあります。

東山魁夷 「悠紀地方風俗歌屏風」 1990年 宮内庁

高山辰雄 「主基地方風俗歌屏風」 1990年 宮内庁

天皇即位の儀式である大嘗祭では東国を悠紀(ゆき)、西国を主基(すき)
として、新穀を報じる国にちなんだ和歌と風景図を屏風絵にして並べ置きます。
平成2年の今上天皇の大嘗祭では東山魁夷が悠紀として秋田県、高山辰雄が
主基として大分県を描いています。

高山辰雄は大分市出身というということもあって、鶴崎の工場地帯など現代の
大分県の風物も細かく意気込んで描き入れています。

この屏風は1回だけ大嘗祭に使われる調度品であり、滅多と観ることは出来ません。
この展覧会はそれが叶う、とても貴重な機会です。

展覧会のHPです。

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【2012/08/19 22:28】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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