「カイユボット展―都市の印象派」 ブリヂストン美術館
京橋・東京
chariot

京橋のブリヂストン美術館では、「カイユボット展―都市の印象派」が
開かれています。
会期は12月29日(日)までです。

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ギュスターヴ・カイユボット(1848 - 1894)はパリの裕福な家庭に生まれた
印象派の画家で、モネやピサロなど他の印象派の画家を援助し、多くの作品を
購入しています。
カイユボットの死後、ルノワールたちの運動で彼のコレクションは国家に寄贈され、
現在はオルセー美術館に納められています。

この展覧会は、自分の作品を売りに出さなかったことなどから観る機会の少なかった
カイユボットの作品を、油彩画を中心に約60点展示する、画期的な展覧会です。

I. 自画像

カイユボットの自画像は3点展示されています。

「画家の肖像」 1889年頃 オルセー美術館
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同じ頃に描かれた2点のうちの1点で、ちょっと老けた顔をしています。


II. 室内、肖像画

カイユボットは1873年に国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学しますが、
ほとんど通っていなかったようです。

「ピアノを弾く若い男」 1876年 ブリヂストン美術館
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第2回印象派展の出品作の一つで、ブリヂストン美術館が昨年購入した作品です。
自宅でピアノを弾いている弟マルシャルを描いたもので、パリの裕福な家庭の
一こまを見せています。
グランドピアノの奥行き、光の当たり具合、壁紙や絨毯など、色々考えてあります。

会場にはこれと同じ型のグランドピアノが置いてあって、作品は実物に忠実に
描かれていることが分かります。

家は父が1866年にミロメニル通りに建てた4階の建物です。
その辺りはナポレオン3世の時にジョルジュ・オスマンによってなされたパリの
大改造計画によって高級住宅地となった所だそうです。
オスマンの改造により、パリは衛生的で近代的な都市として生まれ変わっています。

「昼食」 1876年 個人蔵
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こちらも第2回印象派展の出品作の一つです。
同じ頃の作品で、母と弟のルネが食事をしており、執事が立っています。
冷静で客観的な描き方をするせいか、カイユボットの描く人物は静かで、
ルノワールのような賑やかさがありません。

室内の光を強調した絵で、カーテンを透過した光がガラスの食器を照らし、
テーブルに反射しています。
手前の皿などが真上から見た視点なのも面白いところです。

ルネはこの年に26歳で亡くなっています。
カイユボットは弟の死後2日目に遺言状を書き、自分の絵画コレクションを
国家に寄贈し、ルノワールを遺言執行人に定めるとしています。
ブルジョワのカイユボットと職人の子のルノワールはまるで階級が違いますが、
二人には信頼関係があったのでしょう。

「室内―窓辺の女性」 1880年 個人蔵
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第5回印象派展の出品作の一つです。
恋人だったというシャルロット・ベルティエでしょうか、女性が窓から外を
眺めています。
男性は新聞を読んでいて、二人は互いに無関係に存在しているように見えます。
カイユボットはこのような後ろ向きの人物をよく描いています。


III. 近代都市パリの風景

「ヨーロッパ橋」 1876年 ジュネーヴ、ピティ・パレ美術館
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第3回印象派展の出品作の一つです。
ヨーロッパ橋はサン・ラザール駅の構内に架かる橋で、ここから放射状に伸びる
大通りにヨーロッパ各都市の名前が付けられたことから、この名があります。
巨大な鉄の構造物が主人公の、透視図法を強調した絵で、蒸気機関車の吐く煙や、
機関車の一部も見えます。
晴れた日の状景なのは鉄橋の影を見せるためでしょう。
こちらに歩いてくる裕福そうな二人のうちの男性はカイユボット自身とのことです。
ぼんやり橋の下を眺めている労働者風の男の後ろを、尻尾を立てた犬が元気そうに
過ぎていきます。
カイユボットは犬好きだったそうです。

1870年の普仏戦争に敗れ、ナポレオン3世が退位した混乱に乗じて蜂起した
パリ・コミューンが簡単に鎮圧されたのは、パリ大改造で出来た大通りに
よって軍隊の進退が容易になったことが理由の一つと云われています。

「建物のペンキ塗り」 1877年 個人蔵
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こちらも第3回印象派展の出品作です。
同じく透視図法によっていますが、脚立が画面に変化を付けています。

「パリの通り、雨」 1877年 マルモッタン・モネ美術館、パリ
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こちらも第3回印象派展の出品作の一つです。
大まかな筆遣いで雨の日の雰囲気を出しています。
石畳の道はこちら側に傾き、交差点の建物は透視図法の見本のようです。
右端の人物は傘を傾けて、江戸しぐさならぬパリしぐさをしています。

「見下ろした大通り」 1880年 個人蔵
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第7回印象派展の出品作の一つです。
自宅の窓から見たところで、街路樹、ベンチに座る人、道行く人、
馬車など、ありふれた景色です。
絵画的ではなく、写真のような構図なのが新鮮です。

カイユボットの特徴の一つは画面構成の面白さにあります。


IV. イエール、ノルマンディー、プティ・ジュヌヴィリエ

パリの郊外のイエールには別荘があって、広大な敷地には川も流れていました。

「ぺリソワール」 1877年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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第4回印象派展の出品作の一つです。
ぺリソワールとは一人乗りのボートのことです。
カイユボットはボート遊びが好きで、ボートの設計も行なっていました。
互い違いに傾いているオールが水面に反射して面白い構図を作っています。
波紋の描き方は印象派らしく、明るく気持ちの良い作品です。

「シルクハットの漕手」 1877年頃 個人蔵
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こちらも第4回印象派展の出品作の一つです。
モデルが誰かは分からないそうですが、上着を脱いだ紳士がオールを漕いでいます。
シルクハットは紳士の身だしなみなので、こういう時も脱げません。
オレンジ色の大きなボート、緑の川と岸辺、やって来るボート、お洒落な
縞のシャツ、三角形の頂点に乗っているシルクハットなど、面白く出来た作品です。
こちらを向いて腰掛けている人物の描き方は上手いものだと思います。

「ジュヌヴィリエの平野、黄色い畑」
 1884年 ナショナル・ギャラリー・オヴ・ヴィクトリア、メルボルン

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カイユボットは1881年にパリ北西郊外のプティ・ジュヌヴィリエの土地を買い、
別荘を建てています。
モネが一時住んでいたアルジャントゥイユとはセーヌ川を挟んで対岸になります。
その広々とした景色を描いた風景画が何点か展示されています。
現在のプティ・ジュヌヴィリエは都市化が進み、当時の面影は無いそうです。


V. 静物画

静物画は4点の展示です。

「鶏と猟鳥の陳列」 1882年頃 個人蔵

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猟の獲物を描いた絵は持主の地位を示す画題ということですが、この絵は
厨房か肉屋の店頭のように見えます。
客観的に描くという、カイユボットの特徴が現れているようです。


VI. マルシャル・カイユボットの写真

弟のマルシャル・カイユボット(1853 - 1910)は兄と仲が良く、切手収集や
ボートの趣味も共にしています。

写真も趣味で、会場ではシャルルの撮った写真100枚が展示されています。
家族、庭園、パリの風景、ヨットなどが題材で、印象派の画題と重なって
見えるものが多くあります。
多くの写真はギュスターヴ・カイユボットの死後、撮られたとのことですが、
カイユボットの作品にも写真の影響が感じられます。

「ギュスターヴと犬のベルジェール、カルーゼル広場」 
 1892年2月 個人蔵

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後ろはルーヴル美術館です。


カイユボットのコレクションで、ルノワールたちの努力で国家に寄贈された作品は
マネ、モネ、ドガ、ピサロ、シスレー、ルノワール、セザンヌなど多数です。
その中にはマネの「バルコニー」、モネの「サン・ラザール駅」、ルノワールの
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」ドガの「エトワール」など、彼らの代表作も
あります。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の中にはカイユボットも描かれています。
カイユボットはドガとは仲違いしていますが、その才能は高く評価しています。
同じパリっ子で作風に似たところのあるドガと仲違いし、田舎出で作風も違う
ルノワールと仲が良かったというのも面白いところです。


カイユボットは作品も売らず、45歳で亡くなっているので、他の印象派の画家ほど
知られることが無く、中々作品を観る機会がありませんでした。
この展覧会は、世界各地の美術館や個人の所有する、約60点もの作品が揃ったもので、
今後このような機会は又と無いでしょう。

展覧会のHPです。

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【2013/10/14 23:13】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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