「ボストン美術館 ミレー展-傑作の数々と画家の真実」展 ブロガー特別内覧会 三菱一号館美術館
東京
chariot

丸の内の三菱一号館美術館で開かれた、青い日記帳×「ボストン美術館 ミレー展
-傑作の数々と画家の真実」展ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は2015年1月12日(月・祝)までです。

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展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。

「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、高橋明也館長の
挨拶があり、安井裕雄主任学芸員の解説を伺いました。

ジャン=フランソワ・ミレー(1814-75)の生誕200年を記念する展覧会で、
ボストン美術館の所蔵するミレーの作品25点を中心に、バルビゾン派の
画家などの作品64点が展示されています。
ボストン美術館よりも照明の具合が良く、作品がはっきり見えるそうです。

ミレーはノルマンディーの農家の生まれで、19歳で絵の修業を始め、1837年にパリに出て
活動します。
1849年に画家の多く集まっているバルビゾン村に移住し、以後は農村と農民の生活を
描いています。
そのバルビゾンにボストン出身の画家、ウィリアム・モリス・ハントが滞在して、ミレーの作品を
持ち帰ったことからボストン市民の間でミレーの人気が高まっています。
そして1876年にボストン美術館が開館すると、多くのミレーの作品が寄贈されるように
なったということです。

I 巨匠ミレー序論

最初はミレー自身についての3点の展示です。

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右 ジャン=フランソワ・ミレー 「自画像」 1840-41年頃
ミレーの自画像は4点しかなく、その中の最も古い作品で、パリに出て間も無い頃の作品です。
前途に不安を感じてか、眉にしわを寄せて厳しそうな顔をしています。

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「グリュシーのミレーの生家」 1854年


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左 ジャン=フランソワ・ミレー 「J.-F.ミレー夫人(ポリーヌ=ヴィルジニー・オノ)」 1841年
ミレーの最初の妻ですが、結核で1844年に亡くなっています。


II フォンテーヌブローの森

バルビゾン村はパリの郊外にあり、物価も安く景色も良いため、風景画家たちが
多く集まり、バルビゾン派と呼ばれるようになります。
フォンテーヌブローの森に隣接していて、バルビゾン派の画家たちはよくこの森を
題材にしています。
会場には23点が並んでいて、森の中を通って行くような感じにしてあるそうです。

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右 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「フォンテーヌブローの森」 1846年
コローはバルビゾンでもよく絵を描いていました。

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右 ギュスターヴ・クールベ 「森の小川」 1862年頃

左 カール・ボドメル 「オークとイノシシ」 1865年頃


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右 フランソワ・ルイ・フランセ 「プロンビエール近くの小川」 1870年代
フランソワ・ルイ・フランセはコローやテオドール・ルソーから学んでいますが、
アカデミーの会員にもなっています。
フランソワ・ルイ・フランセの作品は2010年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた、
「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景」展にも展示されていました。

「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景」展の記事です。

左 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ブリュノワの牧草地の思い出」 1855-65年頃
コローは懐旧の情の籠った題名の作品をよく描いています。


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テオドール・ルソー 「フォンテーヌブローの森の薪拾い」 1850-60年頃
テオドール・ルソー(1812-67)はバルビゾン派を代表する画家で、バルビゾンには
1836年から長期滞在し、1847年には移住しています。


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右 クロード・モネ 「森のはずれの薪拾い」 1863年頃

モネの作品も1点あります。
23歳の頃、フォンテーヌブローの森のはずれの村を訪れた時の作品です。

左 シャルル=フランソワ・ドービニー 「森の中の道」
シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-78)はコローに学んだバルビゾン派の画家で
、サロンの審査員としてモネやピサロなどの若い画家を評価しています。
会場でもモネと並んで展示されています。


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右 ナルシス・ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ 「祭りに向かうボヘミアンたち」 1844年頃
森に差し込む光の下の群像で、色彩にアクセントがあります。
友人でもあり師でもあるテオドール・ルソーの作品の構図を参考にしているそうです。
ディアズ・ド・ラ・ペーニャは早くから成功した画家で、他のバルビゾン派の画家を
援助しています。

左 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「森の空き地で水浴する人々」 1870-75年頃


III バルビゾン村

広い展示室に出ると、ミレーの代表作が並んでいます。

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右 ジャン=フランソワ・ミレー 「刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」 1850-53年
旧約聖書の「ルツ記」を元にした作品で、畑で落穂拾いで暮らしを立てるルツを
畑の所有者のボアズが人々に紹介するところです。
農民たちの動きがボアズを介して、左端におずおずと立っているルツに向かっています。
ウイリアム・モリス・ハントが勧めてボストン美術館が購入した作品です。

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「種をまく人」 1850年
斜面の具合から場所はノルマンディーで、まいているのはソバの種だろうということです。
ノルマンディーはソバの産地で、ソバの粉を焼いたガレットは日本で人気がありますが、
ソバは元々痩せ地の作物であり、農民の厳しい生活を暗示してもいます。
農民の手には種が握られており、上の方では牛に鋤を牽かせる農民が見えます。
種を握る手には力が籠り、足も大きく踏み出しています。
縦長の画面に大きく一人の農民を、それもシルエットにして顔の表情を見せずに描いている
ことから、単なる農村風景ではなく、農民の営みに焦点を当てた作品であることが分かります。


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右 ジャン=フランソワ・ミレー 「馬鈴薯植え」 1861年頃
ジャガイモは格の落ちる作物で、絵画の主題としてふさわしくないという時代に、
それを正面から描いていて論議を呼んでいます。

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「羊飼いの娘」 1870 -73年頃

休みながら羊毛の糸繰りをしている羊飼いの娘を描いています。
背景に広々とした平野を描いていて、ミレーは1850年代後半から空間表現に
力を入れるようになったそうです。
中間に動物を置いて空間に奥行きを感じさせています。

この絵の下に「バビロンの捕囚」が描かれていることが分かったそうで、普仏戦争のため
物資が不足していたので、あまり評判の良くなかった作品の上に描いたようです。
ミレーも初めは絵画の主流である歴史画に挑んでいたのですが、農村を描いた作品ほどの
評価は得られませんでした。


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右 コンスタン・トロワイヨン 「身構える猟犬」 1860年

左 コンスタン・トロワイヨン 「罠にかかったキツネ」 1855-65年
コンスタン・トロワイヨン(1810-1865)はテオドール・ルソーらと出会って、
バルビゾンで制作するようになります。
その後、オランダ、ベルギーを訪問してフランドル絵画の影響を受け、
動物を入れた作品を多く描いています。
ノルマンディーではブーダンと共に海岸風景を描いていて、戸外での観察に基いた
風景描写を心がけていたそうです。
ブーダンはモネに戸外での制作を奨めた人物であり、バルビゾン派と
印象派の一つの接点が見られます。

コンスタン・トロワイヨンの作品は2013年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた
「バルビゾンへの道 山寺 後藤美術館コレクション展」にも展示されていました。

「バルビゾンへの道 山寺 後藤美術館コレクション展」の記事です。


IV 家庭の情景


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右 ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」  1860年頃

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」  1854年頃
よく似た画題ですが、右の方の子が少し年嵩で、左の子の編み棒は2本、
右の子は3本と、難易度が高くなっていることも表されているそうです。
子沢山だったミレーなので、家族をモデルにしているのでしょう。
右の絵では奥で猫がお皿を舐めています。


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右 黒田清輝 「摘草」 1891年 三菱一号館寄託
ミレー風の画題を外交派の技法で描いています。
黒田清輝はバルビゾンを訪れた最初の日本人です。

左 浅井忠 「花畠」 1904年 三菱地所株式会社


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右 ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、座像(エメリー・ミレー)」 1854年

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「バターをかき回す若い女」 1848-51年頃


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左 ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、立像」 1850-55年頃
いずれも農家の女性の仕事です。
ミレー自身も農家の出身であり、見慣れた情景を描いたと思われます。


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右 ヨーゼフ・イスラエルス 「病みあがりの母と子ども」 1871年頃
椅子に座り込んでいる母親のために子どもが運んでいるのはアンカでしょうか。

左 ヨーゼフ・イスラエルス 「別離の前日」 1862年頃
亡くなった父親の棺が奥にあり、母親は聖書を手に顔を覆っています。
オランダの家らしく壁にタイルが貼ってあります。
ヨーゼフ・イスラエルス(1824-1911)はオランダの画家で、バルビゾンを
訪れたこともあり、その影響を受けています。
その落着いた色調と精神性の高さから第2のレンブラントと呼ばれていたそうです。

ヨーゼフ・イスラエルスの作品は今年、損保ジャパン東郷青児美術館で開かれていた、
「オランダ・ハーグ派展」にも展示されていました。
 
「オランダ・ハーグ派展」の記事です。


V ミレーの遺産

ミレー以後の作品が中心です。

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右 ジュリアン・デュプレ 「牛に水を飲ませる娘」 おそらく1880年代

左 ジュリアン・デュプレ 「ガチョウに餌をやる子どもたち」 1881年
ジュリアン・デュプレ(1851-1910)はミレーやクールベの影響を受け、田園生活を
印象派の影響を受けた明るい色彩で描いています。
デュプレの作品はそれ以前に比べ、かなり明るく透明な色彩になっているのが分かります。


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右 ジャン=フランソワ・ミレー 「縫物のお稽古」 1874年
明るい窓の外の景色を背景に母子の姿が浮き上がっています。
最晩年の作品で、未完成作なので輪郭線が残っています。

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「木陰に座る羊飼いの娘」 1872年
木漏れ日も描いていて、印象派に通じるものがあります。


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ジャン=フランソワ・ミレー 「ソバの収穫」 1868-74年

会場の最後に展示されています。
晩年の作品で、未完成作ですが、刈り入れ、唐さおを使っての脱穀、藁の焼却などの
作業が活き活きと臨場感を持って描かれています。
ミレーは懐旧の念を持ってこの情景に描いたのでしょう。
ミレーの深い思い入れの感じられる作品です。


ミレーは特にアメリカと日本で人気が高く、フランスでは作品の思想性から1848年に始まる
第二共和政と1870年に始まる第三共和政の時代に高い評価を受けていたという、
面白い話も伺いました。

ミレー以外のバルビゾン派の絵もそれぞれ個性があって楽しめました。
魅力のある作品の揃った、とても充実した展覧会です。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 私の印象派」です。
会期は2015年2月7日(金)~5月24日(日)です。

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