「探検! 体験! 江戸東京」 両国 江戸東京博物館
両国
chariot

両国の江戸東京博物館では特別展、「探検! 体験! 江戸東京」が開かれています。
会期は2015年3月8日(日)まで、会期中、一部展示替えがあります。

東郷009


江戸東京博物館の常設展示室が2015年3月8日のリニューアルオープンまでしばらく
閉じているので、1階の展示室に常設展示のエッセンスを集めて展示するものです。
一般300円で観覧できます。

「江戸一目図屏風」(複製) 鍬形蕙斎画 
 1809年(文化6) 津山郷土博物館/原資料所蔵

えIMG_0012

江戸を北東部の上空から眺め下した絵で、東京スカイツリーの展望台から見た景色に
近いとのことです。
鍬形蕙斎(くわがたけいさい)(1764~1824)は浮世絵師で、後に津山藩の
御用絵師にもなっています。

「武家諸法度」 1635年(寛永12)
えIMG_0007

3代将軍、徳川家光の時に定められた寛永の武家諸法度です。

一 文武弓馬之道専可相嗜事
一 大名小名在江戸交替所相定也

第2条で参勤交代を命じています。

「擬宝珠」 1659年(万治2)
えIMG_0005

明暦の大火(1657)後の復興の際に作られたものと考えられています。
江戸東京博物館の公式キャラクター、ギボちゃんの元になっています。

「江戸の水道」
えIMG_0014

江戸では神田上水や玉川上水の水を木管を使って地中を通し、井戸によって
汲み上げていました。
江戸っ子が「水道の水で産湯を使う」と自慢したのはこのことです。

「火消千組の図絵馬」(複製) 歌川国芳画
 1833年(天保4) 成田山霊光館/原資料所蔵

えIMG_0017

江戸町火消の中で、現在の中央区霊岸島辺りを受け持っていた、「千組」の絵馬です。

火事と喧嘩は江戸の華と云われていた時代、火消は江戸庶民の憧れの的で、
特に纏(まとい)持ちは目立つので美男が選ばれていました。

  芝で生まれて 神田で育ち 今じゃ火消の纏持ち

「遠山金四郎の起請文」 1826年(文政9) 石井コレクション
痔になってしまい、馬での出勤がかなわなくなったので、しばらく駕籠の使用を許してほしい、
期限になったら必ず駕籠は辞退する、という内容です。

「上野浅草図屏風」より上野 17世紀末頃
えIMG_0030

上野の山は江戸時代は寛永寺の境内で、桜の頃には花見客で賑わいました。

緋毛氈の上で太鼓や三味線に合わせて輪になって踊っています。
えIMG_0031

「東都両国ばし夏景色」 橋本貞秀画 1859年(安政6)
えIMG_0027

三枚続きの錦絵版画で、両国川開きの花火を両国橋の西側から見た景色です。
魚眼レンズで撮ったような極端に歪んだ構図で、江戸の繁華を見せて迫力が
あります。
橋の上は人で溢れかえっていて、槍を立てた武家の行列も交じっています。
川も納涼舟で一杯で、右側に仕掛け花火を据えた舟も見えます。

「新板わり出し寿古六」 歌川国麿画 歌川豊国補筆 上州屋重蔵版 1860年(万延1)
えIMG_0032

芝居小屋の中を双六に見立てています。
舞台は「義経千本桜」の「道行初音の旅」の場面で、静御前と狐忠信が登場しています。

「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」 歌川広重画 魚屋栄吉版 1857年(安政4)11月
えIMG_0133

1枚の浮世絵の出来るまでの版木も並んでいます。
えIMG_0132

「白綸子青海波花束模様打掛」 19世紀前半
えIMG_0046

打掛は武家女性の冬の正装で、裾は長く、中に薄く綿が入り、帯を締めずに
小袖の上に着ていました。

「紙布(しふ)の裃(鮫小紋)」 19世紀前半
えIMG-0054

紙布は、縦糸に絹糸、横糸に1~2㎜に切った紙を使って織った布です。
通気性、吸湿性に優れ、肌触りが良いことから、夏の衣料として好まれたそうです。

「近世職人尽絵詞」より「寺子屋」鍬形蕙斎 
 1806年(文化3年) 東京国立博物館/原資料所蔵

えIMG_0036

寺子屋で子どもたちが習字の練習中ですが、いたずらが過ぎてお仕置きを
受けている子も居ます。


「文机」 1812年(文化9) 原茂洋治氏寄贈
「庭訓往来(ていきんおうらい)」 1829年(文政12)
えIMG_0034

文机は寺子屋に子どもが持参するものでした。
文化2(1805)年の日本橋の賑わいを長さ約12mにわたって描いた絵巻、
「熈代勝覧(きだいしょうらん)」の複製が東京メトロ三越前駅の地下コンコースに
常時展示されていますが、そこにも文机を担いだ父親に手を引かれていやいやながら
初めて寺子屋に行く子どもの姿があります。

庭訓往来は寺子屋の教科書で、手紙のサンプル集です。

参考
「熈代勝覧(きだいしょうらん)」の複製(部分)
勝IMG_0244

「官板実測日本地図」 開成所版 1867年(慶応3)
えIMG-0049

伊能忠敬の作成した日本地図を元に幕府の洋学機関の開成所が刊行したものです。
街道筋も詳細に書かれています。

「解体新書」 杉田玄白著 1774年(安永3) 赤木コレクション
えIMG_0051

オランダ語の医学書、「ターヘル・アナトミア」の日本語訳です。

「天水桶」 1606年(慶長11)6月 太田駿河守政義鋳造 松本健次氏寄贈
えIMG_0110

日本橋本町2丁目の薬種問屋、鰯屋(いわしや)の天水桶です。
江戸幕府の開府は1603年で、日本橋本町は今も薬品会社が集まっています。
太田駿河守政義は幕府の御抱え鋳物師(いもじ)でした。

現在、いわしやを名乗る医療機器会社は東京大学病院に近い本郷を中心に、
全国にあります。
おそらく、この鰯屋から分家、暖簾分けして広がったのでしょう。


ここからは東京の展示です。

「安愚楽鍋(あぐらなべ)」 仮名垣魯文著 1871~72年(明治4~5年)
えIMG_0081

当時、文明開化の象徴だった牛鍋屋の客の生態を描いた滑稽小説です。
ザンギリ頭に洋装の若者にまだ髷を結った男が酌をしています。

「浅草公園凌雲閣登覧寿語六」 三代歌川国貞(四代国政)画 
 1890年(明治23) 喜多川コレクション

えIMG_0077

浅草凌雲閣は1890年に開業した12階建ての展望タワーで、浅草十二階と呼ばれましたが、
1923年の関東大震災で崩壊しています。

「本所石原方面大旋風之真景」 1923年(大正12) 喜多川コレクション
えIMG_0099

関東大震災で本所の陸軍被服廠跡に逃げ込んだ人たちは火災の起こした旋風に巻き込まれ、
約38000人が亡くなっています。
現在は、太平洋戦争の空襲の被害者を共に祀った東京都慰霊堂が建っています。

ノエル・ヌエット(1885~1969)の版画が展示されています。
ノエル・ヌエットはフランス人で、静岡高校や東京外国語学校で教えています。
東京の街をスケッチして、土井版画店から「東京風景」24点を刊行しています。

「東京風景 馬場先門」 1936年(昭和11)
えIMG_0061

後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の置かれた第一生命館が見えます。

「東京風景 御茶ノ水」 1936年(昭和11)
えIMG_0068

ニコライ堂も現在はビルに埋もれています。

「東京風景 両国橋」 1936年(昭和11)
えIMG_0065

帆掛け船が橋をくぐっています。

「降伏文書」 1945年(昭和25) 外務省外交史料館/原資料所蔵
えIMG_0101

えIMG_0104

9月2日に東京湾に停泊した戦艦ミズーリの甲板で調印された降伏文書の日本側文書です。
外務大臣重光葵、梅津美治郎参謀総長、連合国軍最高司令官長ダグラス・マッカーサーの
署名があります。
カナダ代表が書く場所を間違えてしまったため、その箇所が空欄になり、それより下の各部分の
タイトルが手書きで直されています。

「サザエさん」も置いてあります。

えIMG_0119


8年ぶりにシベリア抑留から復員したキクチさんのお話です。
えIMG_0121

この頃の「サザエさん」には復員兵の話がよく出てきます。


参勤交代の駕籠に乗ったり、千両箱を持ち上げたり、肥え桶を担いだりするコーナーもあります。

4人で担ぐ大名駕籠です。
えIMG_0174

千両箱は両手でやっと持ち上がります。
えIMG_0175

肥え桶の中身は重り!です。
えIMG_0177

こちらは人力車に乗れるコーナーです。
えIMG_0180

宝くじが当たるかもしれません。

展覧会のHPです。

関連記事

【2014/12/30 19:59】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
comment
 
コメントを書く
コメントは承認後に公開されます。ご了承ください。
please comment















管理者にだけ表示を許可する

trackback
trackback url ↓
http://nekoarena.blog31.fc2.com/tb.php/2473-fc995540

プロフィール

chariot

Author:chariot
東京のビルの多い街で暮らしています。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード


| ホーム |