「ホイッスラー展」 横浜美術館
みなとみらい
chariot

横浜美術館では、「ホイッスラー展」が開かれています。
会期は2014年3月1日(日)までです。

ホ001


アメリカ生まれでイギリスとフランスで活躍し、ジャポニズムの画家と呼ばれた、
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)の回顧展です。

ホイッスラーは1855年に画家を志してフランスに渡り、クールベに出会って
その写実主義に惹かれています。
さらにイギリスに行き、ラファエル前派のロセッティに出会っていて、以後はイギリスと
フランスで活躍しています。

展示は人物画、風景画、ジャポニズムの3つに分類されています。


人物画

「灰色のアレンジメント:自画像」 1872年頃 デトロイト美術館
ホ008

38歳の自画像で、自信ありげな見下ろすような視線でこちらを見ています。
髪の毛の白い部分はトレードマークだった白い前髪だそうです。
顔の部分はていねいに描かれていますが、服はざっと色を塗ったという感じで、
黑い帽子とネクタイに挟まれた顔に観る人の眼を集める効果を生んでいます。

「灰色と黒のアレンジメント No.2:トーマス・カーライルの肖像」 
 1872-73年 グラスゴー美術館

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ホイッスラーが母を描いた、「灰色と黒のアレンジメント-母の肖像」を観て感銘を受けた
歴史家のトーマス・カーライルがモデルになることを快諾した作品とのことです。
「母の肖像」と同じ構図で、黒を上手く使った、品格のある落着いた作品です。
ホイッスラーはベラスケスやヴァン・ダイクの影響を受けているとのことで、黒の扱いを見ると
そうだなと思います。

「ライム・リジスの小さなバラ」 1895年 ボストン美術館
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モデルはロージー・ランドルといって、ライム・リジス市長の娘で、題名はロージーという
名前から付いています。
澄んだ瞳やほんのり赤い頬も描き込まれ、襟元に白を加え、片耳を出して変化を付けています。
ライム・リジスはイングランド南西部のドーセット州にある小さな町です。


風景画

初期のホイッスラーの絵は人物画も風景画もクールベの影響を受けた、がっちりした写実です。

「オールド・ウェストミンスター・ブリッジの最後」 1862年 ボストン美術館
ホ010

ウェストミンスター・ブリッジはビッグ・ベンの横に架かる橋で、古い石造の橋を壊して
鉄橋に架け替える工事が行われていました。
この作品もしっかりと写実的に描かれています。

ホイッスラーは版画も多く手掛けています。

「ロザーハイズ 16点のテムズ川の風景エッチング集(テムズ・セットより)」
 1860年 大英博物館

ホ011

ロザーハイズはロンドンの東部、テムズ川の南岸にある地区です。


しかし、やがてホイッスラーは写実の手法に行き詰まりを感じ、転機を求めて
南米のチリに旅します。

「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」 1866年 テート美術館
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チリの港町、バルパライソの情景です。
それまでの厚塗りと違った薄塗りで、抑えた色調によって夕暮れ時の情感を描き出しています。
以後のホイッスラーの作風の始まりを示す作品です。

「チェルシーの通り」 1888年頃 イェール英国芸術センター
ホ014

ホイッスラーはロンドンではチェルシー地区に住んでいました。
水彩画で、ロバやお店の看板の見える通りをさらりとした筆遣いで表しています。


ジャポニズム

ホイッスラーは当時流行していたジャポニズムを取入れた作品を多く描いています。

「紫とバラ色:6つのマークのランゲ・ライゼン」 1864年 フィラデルフィア美術館
ホ001

東洋趣味による作品で、中国服を着た女性が染付の磁器に囲まれ、染付の壺に
絵付けをしているところです。
6つのマークとは清時代の染付によく書かれた「大清康熙年製」という銘を指すそうです。

「白のシンフォニー No.2:小さなホワイト・ガール」 1864年 テート美術館
ホ007

愛人だったジョアンナ・ヒファーナンがモデルで、浮世絵の描かれた団扇、染付の壺、
朱塗りの椀があって、ジャポニズムの絵になっています。
白いドレスの引き立つ絵で、ジョアンナのちょっと寂しげな顔が鏡に映っていますが、
この年にホイッスラーと別れているそうです。

「白のシンフォニー No.3」 1865-67年 バーバー美術館(バーミンガム大学附属)
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絵に主題や教訓的な目的を設けず、絵そのものに美的なものを求める唯美主義の
はっきり表れている作品です。
ホイッスラーの作品の多くに音楽用語が使われているのも、この考えによるものです。

この時代のイギリスは唯美主義の興った頃で、ホイッスラーはその一人です。
印象派と同時代の動きであり、古典主義への反発から始まっている点も印象派と同じです。
ただ、ホイッスラー自身は、自分のレアリズムへの傾倒のために古典的修養を欠いていることを
悔いていたそうです。

「ノクターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ」 1872-75年 テート美術館
ホ004

一目見ただけで広重など浮世絵の影響の分かる、大胆な構図の作品です。
空に花火が打ち上がり、対岸のバターシー地区の灯影がテムズ川に映り、
船頭の操る小舟が橋をくぐっています。
明治の版画家、小林清親を思わせる、詩情に満ちた情景です。
バターシー・ブリッジはチェルシー地区と対岸のバターシー地区を結ぶ橋です。

この絵の額縁には青海波模様と、日本の家紋に倣ってホイッスラーが好んで使った
蝶の模様が描かれています。
蝶の模様は他の絵にもよく描かれていて、「トーマス・カーライルの肖像」の右下にも
それが見えます。

ホ012


歌川広重 「名所江戸百景」のうち「京橋竹がし」 
 安政4年(1857年) 大英博物館

ホ013


「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」 1876年 フーリア美術館
ホ015

パトロンだったフレデリック・レイランドのダイニング・ルームの室内装飾です。
ホイッスラーの絵と東洋陶磁のコレクションを飾る予定で、デザインを担当していた
他の建築家の都合が悪くなり、ホイッスラーが手掛けることになったものです。
正面に金で二羽の孔雀を力強く描き、青海波や網代模様も取り入れて、とても東洋風で
装飾的な見事な室内になっています。
もっともこのデザイン変更はレイランドの許可を得ておらず、しかもレイランドの留守中に
内覧会まで開いたので、結局二人は喧嘩別れしたそうです。
しかし、装飾はそのまま使われ、後にアメリカの富豪でホイッスラーと親交のあった
チャールズ・ラング・フーリアが買い取ってアメリカに移され、現在はフーリア美術館に
置かれています。
会場では大きな映像で紹介されています。

ホイッスラーは自分の絵を酷評した批評家のジョン・ラスキンを訴え、裁判には勝ったものの
訴訟費用を工面するため自宅を売る羽目に陥ったりしていて、作品から受ける印象とは
違ってかなり血の気の多い人だったようです。
会場の年表にも、スペインからの独立戦争に従軍するためチリのバルパライソに行ったと
ありますが、これは1866年にサンチャ諸島をめぐっての南米諸国とスペインの艦隊との
戦いを指すものと思われます。


ホイッスラーは唯美主義の画家ですが、抒情性のある作風で、特に風景画にそれが
表れています。
この抒情性は広重などの浮世絵に通じていて、ジャポニズムという流行を超えるものが
あるように思います。

展覧会のHPです。

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【2014/12/24 19:28】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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