「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブル・インパクト」展  東京藝術大学大学美術館
上野
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上野の東京藝術大学大学美術館では、「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブル・インパクト
明治ニッポンの美」が開かれています。
会期は5月17日(日)までで、4月26日までの前期と28日からの後期で一部展示替えがあります。

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明治維新により西洋文化が流入し、日本人に大きな衝撃を与えますが、来日した西洋人も
日本の暮らしや芸術に驚きます。
展覧会ではボストン美術館の蒐集した日本美術の品と、東京藝術大学の所蔵品を
合わせて展示し、日本と西洋の受けた「ダブル・インパクト」を再現しています。
ボストン美術館はエドワード・モース、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲローなどを
通じての日本美術のコレクションでも有名です。


プロローグ 黒船が来た!

外国船や異人館、ホテルなどを描いた浮世絵、西洋人の撮影した明治の元勲たちの
写真の展示です。

高橋由一 「花魁」 明治5年(1872) 東京藝術大学 重要文化財
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日本最初の洋画家として、西洋画の普及に尽くした高橋由一(1828-94)の油彩画で、
モデルは新吉原の評判の名妓、稲本楼の小稲(こいな)です。
その頃、23・4歳だったという小稲は豪華な衣装に身を包み、髪を後ろに垂らす
下げ髪という髪型を結い、べっ甲のかんざしを差せるだけ差した晴れ姿で臨んでいます。
しかし描かれた顔は、目は細く、頬骨は高く、あごは尖り、唇の端は吊り上がり、
髪に張りがありません。
美化などせず、写実を徹底しようとした結果ですが、妙に生々しい絵になっています。
小稲自身もこの絵を見て、「私はこんな顔じゃありません」と、泣いて怒ったそうです。


第1章 不思議の国JAPAN

日本の工芸作品や河鍋暁斎や柴田是真などの作品が展示されています。

高石重義 「竜自在」 18-19世紀 江戸時代後期 ボストン美術館
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形を自由に変えられる自在置物で、戦国の世が終り、仕事の減った甲冑師が
考え出した工芸品です。
伸ばすと2mはありそうで、自在置物としては最大級です。

旭玉山 「人体骨格」 明治時代 東京藝術大学
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こちらは鹿の角製の小さな人体骨格で、身長33.7cmです。
自由に動かせるようになっていて、吊り下げる環が頭に付いています。
会期中ずっと立っているのは疲れるので、ヴィクトリア朝の椅子に座っています。

旭玉山(1843-1923)は牙彫(げちょう)作家で、東京美術学校の教授も勤め、
人体骨格について初代陸軍軍医総監を勤めた松本良順(1832-1907)に学んでいます。
明治時代の彫刻といえば象牙などに彫刻する牙彫が中心だったそうです。

河鍋暁斎 「地獄太夫」 19世紀後半 明治時代 ボストン美術館
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地獄太夫は室町時代の遊女で、山賊にかどわかされて堺に遊女として
売られますが、現世の不幸は前世の行ないの故であるとして、
着物には地獄変相図を刺繍していたそうです。
一休宗純とも親交があったということで、三味線を鳴らす骸骨の上で一休が踊っています。

河鍋暁斎(かわなべきょうさい)(1831-1889)は幕末から明治にかけての絵師で、
狩野派系の漢画や浮世絵など多才な画業で知られています。

河鍋暁斎 「風神・雷神」 19世紀後半 明治時代 ボストン美術館
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二幅対の掛軸で、左右から中心に向かって、稲妻が走り、風が吹き下ろしています。


第2章 文明、開化せよ

小林清親や楊州周延などの明治の浮世絵の展示です。

小林清親 「猫と提灯と鼠」 明治10年(1877) ボストン美術館
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鼠が提灯に逃げ込んでいますが、猫に尻尾を掴まれてしまいました。

小林清親(1847 -1915〉は幕臣出身で鳥羽伏見の戦いや上野戦争にも参加しています。
後に河鍋暁斎や柴田是真に絵を学び、明治の東京を叙情的な浮世絵に描いて、
最後の浮世絵師と呼ばれるようになります。

楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ、1838 -1912〉は越後高田藩士出身で、
戊辰戦争では上野の彰義隊に参加し、函館まで転戦しています。
明治維新後は浮世絵師として明治末期まで主に美人画を描いて評判を取っています。

井上安治(探景) 「東京名所従吾妻橋水雷火遠望之図」 明治21年(1888) ボストン美術館
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隅田川での水雷事件の情景で明治20年(1887)に架けられた、隅田川最初の鉄橋の
吾妻橋を中心に描かれています。
右側に爆発の水柱が上がっているところで、遠くに浅草寺が見えます。

井上安治(1864 -1889〉は小林清親の弟子で、師に倣った光線画に秀でていましたが、
夭折しています。


第3章 西洋美術の手習い

イギリスの新聞記者として来日したワーグマンや、明治政府に招かれ、
御雇外国人として来日した、ラグーザ、フォンタネージなどの作品の展示です。

チャールズ・ワーグマン( 1832-1891)はイギリス人で、文久元年(1861)に
新聞記者兼挿絵画家として来日し、居留外国人向けの雑誌を創刊し、
高橋由一や五姓田義松に油彩画を教えています。

アントニオ・フォンタネージ( 1818-1882)はイタリア北部のレッジョ・エミリア生まれで、
工部大学校のお雇い外国人として明治9年(1876)に来日し、明治11年までの
短い期間、日本人に洋画を教えています。
指導を受けた画家には浅井忠、五姓田義松、小山正太郎、山本芳翠などがいます。

ヴィンチェンツォ・ラグーザ 「日本婦人」 明治13-14年(1880-81) 東京藝術大学
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たすき掛けをした当時の日本女性の姿を写実的に表しています。
左胸が見えるのは、石膏像を造った後、着物の部分の石膏が壊れてしまったためです。

ヴィンチェンツォ・ラグーザ (1841-1927)はイタリアのシチリア出身の彫刻家で、
1876年(明治9年)に開設した工部美術学校の教師として招かれ、日本人に初めて
西洋彫刻を教えています。


第4章 日本美術の創造

東京美術学校の開校によって始まる近代日本美術の作品の展示です。

小林永濯 「菅原道真天拝山祈祷の図」 明治時代 1860-90年頃 ボストン美術館
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藤原時平の讒言で大宰府に流された菅原道真が自分の無実を訴えるため、
天拝山に上り七日七夜の間爪先立ちで祈ったところ、天より天満在自在天神の
神号が下されたという伝説を描いています。
雷鳴がとどろき、衣服は風に煽られ、冠も吹き飛んで、劇画のような激しさで、
道真が雷神となったことも表しています。

小林永濯(1828-1888)は狩野派に学んだ画家で、浮世絵や挿絵も描いています。

 狩野芳崖 「悲母観音」 明治21年(1888) 東京藝術大学 重要文化財
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観音菩薩は中空で水瓶を傾け、その下で童子が観音を見上げています。
仏画を基本にしていますが、西洋風の空間表現も取り入れ、近代日本画の
先駆となった作品です。
狩野芳崖の絶筆で、未完のままで芳崖が亡くなったので、盟友の橋本雅邦が
仕上げています。

狩野芳崖(1828-1888)は幕末に狩野派を学び、明治には東京美術学校の
設立にも関わったフェノロサに見出されていますが、東京美術学校の
教官就任を前に亡くなっています。

横山大観 「村童観猿翁」 明治26年(1893) 東京藝術大学
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横山大観は東京美術学校の第1回の卒業生で、1896年の図案科の新設時には
教官となっています。
この作品は美術学校の卒業制作で、猿使いの男は教官の橋本雅邦、子供たちは
大観ら同級生とされています。


第5章 近代国家として

ヨーロッパに留学して描かれた作品や近代国家としての国威発揚を表す作品の展示です。

竹内久一 「神武天皇立像」 明治23年(1890) 東京藝術大学
高さ3Ⅿはある巨大な木像で、顔は明治天皇になぞらえていて、
明治国家の力を示そうとするかのような造形です。

竹内久一(1857-1916)は初め、牙彫の修行をしますが、奈良の仏像彫刻を観て感銘を受け、
木彫に転じています。
後に岡倉天心の知遇を得て、東京美術学校の彫刻の初の教授として高村光雲とともに
指導に当たっています。


幕末から明治に至る激動期にあって、日本美術の発揮したエネルギーを感じることの出来る、
とても興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。

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【2015/04/20 19:40】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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