「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展 新宿 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
新宿
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新宿の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館では、「ユトリロとヴァラドン 
母と子の物語」展が開かれています。
会期は6月28日(日)までです。

ユトリロ001


パリの街を抒情的に描いた、モーリス・ユトリロ(1883-1955)と母親のシュザンヌ・ヴァラドン
(1865-1938)の作品を紹介する展覧会です。

シュザンヌ・ヴァラドンはパリでシャヴァンヌやルノワール、ドガ、ロートレックなどの絵の
モデルをしていました。

シャヴァンヌの「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」やルノワールの「都会のダンス」、
「ブージヴァルのダンス」はヴァラドンをモデルにしています。

参考
ビュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」 
シ003シ002

参考
オーギュスト・ルノワール 「ブージヴァルのダンス」
ル1-29-2010_003

ヴァラドンはこの時、18歳です。
小柄な人だったそうで、相手の男性も腰をかがめています。

シュザンヌという名前もロートレックに付けられたあだ名ということで、
本名をマリー=クレマンチーヌといいます。
画家たちに体を見られているので、旧約聖書に出て来る、入浴中に
老人たちに覗き見されたシュザンヌになぞらえた訳です。


ヴァラドンはそのうちに自分でも絵を描くようになり、画家として認められていきます。

「12歳のモーリス・ユトリロ」 1896年 ギャラリー・デ・モデルヌ
ユトリロ005

ヴァラドンはデッサン力をロートレックに高く評価されています。
モーリスの父親が誰なのかは分かっていません。
ユトリロという姓は、スペインの美術評論家がモーリスを息子として認知した
ことによるものです。

「ユッテルの家族の肖像」 1921年 国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)、パリ
ユトリロ013

ヴァラドンは1896年に実業家のポール・ムジスと結婚しますが、後に別れ、
1914年にアンドレ・ユッテルと結婚します。
思い切りの良い、太い描線がシュザンヌの特徴で、3人の顔や姿を的確に
描いていて、見応えのある作品です。

「窓辺のジェルメーヌ・ユッテル」 1926年 個人蔵、レバノン
ユトリロ012

ジェルメーヌはアンドレ・ユッテルの妹です。
髪の色と窓の外の景色の色を調和させています。

「裸婦の立像と猫」 1919年 個人蔵
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裸婦を線描で表現することに関心があるようで、がっちりした描き方です。

「長椅子に座る裸婦」 1922年 ポール・ディニ氏蔵 リヨン、フランス
ユトリロ014

この時代、女性の画家が女性の裸体を描くことはほとんど無かったので、
ヴァラドンは挑戦的です。

「自画像」 1927年 ユトリロ‐ヴァラドン美術館
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自画像というと美化して描くことが多そうですが、この絵にはそういった甘さは無く、
意志の強そうな顔を描き出しています。

「コルト通り12番地、モンマルトル」 1919年 個人蔵、レバノン 
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コルト通り12番地はヴァラドンのアトリエのあった所です。

「サン=ベルナールの教会(アン県)」 1931年 ポール・ディニ氏蔵 リヨン、フランス
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ヴァラドンの風景画は、息子のユトリロが抒情的なのとは違って、構築的です。

「リュシー・ユトリロ・ヴァロールの肖像」 1937年 個人蔵、パリ
ユトリロ017

1935年、ユトリロが55歳の時、ヴァラドンの勧めで5歳年上の未亡人、
リュシー・ヴァロールと結婚しています。
ヴァラドンはこの絵を描いた翌年に72歳で亡くなっています。

「モーリス・ユトリロの肖像」 1921年 ユトリロ‐ヴァラドン美術館
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以下はユトリロの作品です。

「モンマルトルのサン=ピエール広場から眺めたパリ」 1908年頃 八木コレクション
ユトリロ007

すでに画家として忙しかったヴァラドンはユトリロの世話を自分の母親に任せます。
その母親の影響もあってユトリロは早くから酒を飲むようになり、10代でアルコール
依存症になっています。
絵を描くようになったのは、アルコール依存症から脱するためだったので、職業画家に
なるつもりは無かったようです。
ユトリロはパリのモンマルトルの生まれなので、生涯、愛着を持ってモンマルトルの
景色を描いています。

「モンマニーの3本の通り(ヴァル=ドワーズ県)」 1908年頃 八木コレクション
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モンマニーはパリの北にあり、義父のポール・ムジスの建てた家のあった所です。

「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル」 1910年頃 個人蔵
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ユトリロを特徴付ける、「白の時代」が始まっています。
この頃になると、ユトリロの絵にも買い手が付くようになります。

『「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)』 
 1912年頃 八木コレクション

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教会の白壁が灰青色の空に半ば溶け込んで、しみじみとした景色になっています。

「ノルヴァン通り、モンマルトル」 1912-14年 個人蔵
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通りの奥にサクレ=クール寺院が見えます。

「コルト通り、モンマルトル」 1916-18年 個人蔵
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「モンマルトルのキャバレー・ラパン・アジル」 1916-18年 個人蔵
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ユトリロがよく描いた酒場で、ピカソなど若い画家が集っていました。
隣のサン・ヴァンサン墓地にはユトリロの墓もあります。

「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル」 1935年 個人蔵
ユトリロ019

リュシー・ヴァロールと結婚した年の作品です。
ユトリロの作品が評価されるようになると、色彩が加わるようになり、「色彩の時代」と
呼ばれるようになります。
作品が明るくなった分、「白の時代」の持つ、寂しさのある抒情性は失われています。

「雪のサン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、テルトル広場、モンマルトル」 
 1950年頃 個人蔵、イタリア

ユトリロ020

晩年の作品です。
ユトリロがモンマルトルに居た期間は短かったのですが、過去の自分の絵や
絵葉書を元にして、何度もモンマルトルを描いています。

それにしても、パリの街並みはよく残っていて、ストリート・ビューで探すと、
どの絵の景色も今もほとんど同じです。
キャバレー・ラパン・アジルもそのまま残っていて、シャンソン酒場として営業しています。


ユトリロの作品は目にする機会も多いですが、ヴァラドンの作品をこれだけまとめて
観られる機会はなかなかありません。
親子ではありますが、作風がユトリロとまったく違うのは興味深いところです。
特に「ユッテルの家族の肖像」などの活き活きとした肖像画を観ることが出来たのは収穫でした。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は「旅の風景 安野光雅 ヨーロッパ周遊旅行」展です。
会期は7月7日(火)~8月23日(日)です。

安野001

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【2015/05/17 20:06】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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