「三井の文化と歴史展」の後期展示 三井記念美術館
三越前
chariot

日本橋の三井記念美術館では、「三井の文化と歴史展」の後期展示、
「日本屈指の経営史料が語る三井の350年」が開かれています。
会期は6月10日(水)までです。

三井001


三井文庫開設50周年、三井記念美術館開館10周年を記念する展覧会で、
三井文庫の所有する350年にわたる三井家の貴重な資料を展示しています。

「三井高利夫妻像」 江戸時代 17~18世紀
三井002

三井の創業者、三井高利(1622-1694)と夫人の肖像画です。
三井高利は伊勢松坂で家業の商業に携わった後、延宝元年(1673)に江戸の本町に
呉服店、越後屋を出店しています。
最初は間口9尺の小さなお店だったということで、後の三井からは想像もつきません。
有名な「現金掛値無し」の商法によって商売は順調でしたが、同業者の嫌がらせもあって、
1683年に店を本町から駿河町に移しています。

5代将軍徳川綱吉の時に、側用人の牧野成貞の仲介により幕府の呉服御用を
務めるようになり、嫌がらせも無くなります。
三井家では長くこれを牧野家の恩として記憶しています。

「駿河町越後屋正月風景図」 江戸時代 19世紀
三井003

右が呉服を扱う江戸本店、その奥が両替店、左が木綿を扱う店です。
通りの延長に富士山が見えるように一帯の町割りがされていたことが分かります。
三井の紋所入りの大風呂敷を担いだ男や、正月らしく萬歳も見えます。
振舞い酒に酔ったのか、挟み箱を担いだ中間(ちゅうげん)に手を引かれている侍もいて、
のどかな光景です。

同じ場所の現在です。

三井IMG_0378

右が三井本館、左が三越本店です。

「町人考見録」 三井高房 享保後期(1730年前後)
三井北家3代高房が父高平の語る商人50家の事業や没落の様子を書き留めたものです。
大名への貸付(大名貸)が焦げ付いて、将棋倒しのようになっていく中で、鴻池のみは
上手く立ち回ったとの記述があります
三井家は大名貸には消極的で、例外として幕府の高官、恩のある牧野家、発祥の地である
松阪の領主の紀伊徳川家に行なっています。

「大元方勘定目録」 江戸時代~明治時代 18~19世紀
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呉服部門、金融部門と三井一族を統括する機関の大元方の作成した決算帳簿です。
三井家は髙利の遺言により、一族の身代を惣領家の指導による共有財産として、
財産の分割を防いでいます。

「旧三井物産創立期の帳簿」 明治時代 19世紀
三井005

三井家は幕末には薩摩藩に接近するなどして、幕末維新の混乱期を乗り切り、
明治以降は三井財閥として発展していきます。


三井本館ビルは関東大震災で被災した旧三井本館の後に建てられたビルで、
昭和4年(1929)に竣工しています。

三井IMG_0374

三池炭鉱を発展させ、三井財閥の総帥となった團琢磨は昭和7年(1932)に
この三井本館入口で暗殺されています。
現在は国の重要文化財に指定されており、三井記念美術館は7階に入っています。

「三井家同族会解散決議書」 三井家同族会 昭和21年(1946)
敗戦後のGHQの政策により三井財閥など各財閥は解体され、三井家同族会も
解散して、三井家の財産共有制も終わります。
決議書には解散に同意する三井各家の当主の署名、捺印が並んでいます。

財閥解体により三井財閥は消滅しますが、傘下の企業はその後徐々に再結集し、
現在はゆるい連合体である三井グループを形成しています。


江戸・明治から現在に続く三井の歴史を示す、普段は見ることの無い貴重な資料が
数多く展示されていて、とても興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。

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【2015/05/23 20:04】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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