「生誕130年記念 前田青邨と日本美術院-大観・古径・御舟-」展 山種美術館
恵比寿
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恵比寿の山種美術館では特別展、「生誕130年記念 前田青邨と日本美術院
-大観・古径・御舟-」展が開かれています。
会期は8月23日(日)までです。

青邨001


日本美術院を代表する日本画家、前田青邨(まえだせいそん:1885-1977)と院展の
画家たちの作品を展示する展覧会で、山種美術館の所蔵する前田青邨の作品、
13点すべてが公開されています。

前田青邨は岐阜県中津川市の出身で、1901年に梶田半古に入門しています。
同門の兄弟子に小林古径、弟弟子に奥村土牛がいます。
伸び伸びとした雄渾な線描が特徴で、たらし込みの技法をよく用いており、
特に歴史画を得意としています。

前田青邨 「蓮台寺の松陰」 1967年
前田004

嘉永7年(1854)、日米和親条約締結のために前年に続き来航したペリーの艦隊が下田沖に
停泊していた時に、吉田松陰は外国への密航を企て、下田の蓮台寺に潜伏しています。
その時の松陰の姿を描いたもので、現在も当時のまま残っている家で、松陰の使ったという
机や硯を見て、作品の想を得たということです。
研ぎ澄まされた線描で、行灯の光に照らされた若々しい松陰の顔を描き出しています。

前田青邨 「大物浦」 1968年
歴002

兄の源頼朝に追われた源義経一行が摂津の大物浦から船出したところ、
嵐に遭って散り散りになってしまったという場面です。
たらし込みの技法で塗られた深い藍色の波は観る人を引き込む力があり、
画面全体に緊張感がみなぎっています。
謡曲の「船弁慶」はこの出来事を基にしており、船中には弁慶の姿も見えます。

前田青邨 「異装行列の信長」 1969年
大2-14-2010_003

舅の斎藤道三との対面に臨む、若き日の織田信長の一行の姿です。
信長は、虎皮と豹皮の袴を着け、腰に瓢箪や火打石を括り付けた異形の姿で
会見場の美濃の正徳寺に乗り込んだといいます。
背景を小姓たちの顔と、足軽の陣笠で埋め尽くし、皆が同じ方向を向いた画面は
力に満ち、緊迫感があります。
様式性と写実性が一体となり、信長が歴史に踊り出してきた瞬間を見事に捉えた
力作で、前田青邨84歳の作です。

前田青邨 「腑分」 1970年
院005
江戸時代の腑分(解剖)の場面です。
腑分をする者を中心に、蘭書を手に見入る者、おそるおそる覗く者、
合掌する者など、さまざまな様子が描かれています。
抑えた色彩によって、静かな興奮を表しています。
杉田玄白や前野良沢が明和8年(1771)に見学した腑分の場面を
表しているのでしょうか。

小林古径 「闘草」 1907年
高山003

五月五日の頃に草を持ち寄って、その優劣を競った、「草合わせ」という
四天王寺蔵の平安時代の扇面古写経にも描かれている遊びです。
手前の子は汗衫(かざみ)を着ています。
小林古径によれば、肌の色の表現に苦労したそうです。

前田青邨は梶田半古の塾では兄弟子の小林古径から絵具の溶き方を習っています。
青邨は古径について、謹厳荘重という言葉がこんなにぴったりあてはまった人は
画人にはちょっと見出せない、と述べています。

安田靫彦 「出陣の舞」 1970年
男002

永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに先立ち、幸若舞の「敦盛」を舞う信長の姿です。
「信長公記」によれば、信長は舞い終わると法螺貝を吹かせ、具足を着けさせ、
立ったままで湯漬けを搔き込んで出陣しています。
前田青邨の描く信長の野太さに対し、安田靫彦の信長には張りつめた緊張感があります。

同じ院展に所属する安田靫彦は青邨について、実に筆の立つ人で、描写は柔らかく、
色の実に上手な使い手、と評しています。

奥村土牛 「雨趣」 1928年
前田001

麻布谷町(今の六本木1丁目)の雨の日の眺めです。
谷あいに並ぶ木造家屋の上に降る雨が、細かく一本一本描かれています。
厳密な写実を行なう速水御舟の影響でしょう。
院展では、ここまで雨を細かく描くことはないだろうと批評されています。
色数を抑えてじっくり描くという画風は、この頃にはすでに見られます。

前田青邨が同門の後輩である奥村土牛を描いた、「土牛君の像」を
東京国立近代美術館が所蔵しています。
巌のような顔の奥村土牛を見事に描き出しています。

守屋多々志 「平家厳島納経」(部分) 1978年
歴004

平家一門の公達が何艘もの舟に乗って厳島神社に法華経を納めに詣でています。
武士たちのきらびやかな大鎧姿は歴史画の見せ所です。
前年に亡くなった恩師の前田青邨を悼んで納経の場面を描いたとのことです。

守屋多々志は前田青邨に師事しており、青邨の大らかで雄渾な画風をよく受け継いでいます。

守屋多々志 「聴花(式子内親王)」 1980年
前田003

式子内親王の歌に依っている作品とのことです。

 はかなくて過ぎにし方をかぞふれば花に物思ふ春ぞへにける

桜は薄墨桜、鬱金桜とのことで、花弁の色は沈んだ銀色です。
白と朱の十二単は清楚で、若い内親王のお顔は理知的、意思的です。
薄幸であったと伝えられる式子内親王へのオマージュでしょう。

下村観山 「老松白藤」 1921年
りん006

六曲一双屏風で、金地に大きく枝を伸ばした松とそれに絡みつく藤を
装飾的に描かれています。
松と藤はよく描かれる題材で、夫婦和合を表しています。
熊蜂も一匹、小さく描かれています。

下村観山は日本美術院創設者の一人で、前田青邨の結婚の媒酌人を務め、
観山の亡くなった時は小林古径と前田青邨が観山のデスマスクを作っています。

横山大観 「作右衛門の家」 1916年
院002

男が鎌を手に飼葉を担いで帰ってくると、厩では馬が音を聞き付けて嬉しそうに
足掻いています。
作右衛門とは農民一般を表す名前です。
桐の木は大きな葉を付け、栗の木には青い実が生っています。
自然と人事が一体となった理想郷を描いていて、おだやかな味わいがあります。

速水御舟 「埃乃土人ノ灌漑」 1931年 
前田002

小品で、欧州旅行の船旅の途中で見かけた、エジプトの情景です。
2つの跳ね釣瓶を使った水汲みの様子を描いています。
人物の姿は古代のエジプト絵画風で、1人は赤い腰巻に白い鉢巻、
1人は白い腰巻に赤白の鉢巻です。
左右対称の面白い構図で、烏が1羽、のんびり止まっています。

速水御舟 「炎舞」 1925年 重要文化財
速10-9-2009_004

展示室2の、照明を落として暗くした室内の中心に展示されています。
夜の焚き火に集まる蛾の群れの、やがて炎に焼かれてしまう、
一瞬の時を捉えています。
揺らぎながら燃える炎は仏画の不動の火炎に倣っていますが、
暗い背景との境はぼかされています。
御舟は、背景の色について、「もう一度描けといわれても二度とは
出せない色」と述べています。


次回の展覧会は特別展、「琳派400年記念 琳派と秋の彩り」展です。
会期は9月1日(火)から10月25日(日)までです。

琳派001

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【2015/07/07 19:24】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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