「戦国時代展」 両国 江戸東京博物館
両国
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江戸東京博物館では、「戦国時代展」が開かれています。
会期は2017年1月29日(日)までです。
12月25日までの前期と1月2日からの後期で、かなりの展示替えがあります。
戦国大名については、前期は三好、浅井、大内、尼子、毛利などの西国、
後期は武田、北条、佐竹、伊達などの東国大名を中心に展示されます。

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会場入口近くのパネルで、撮影スポットになっています。

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12月25日まで展示される、米沢市上杉博物館所蔵の米沢本「川中島合戦図屏風」
(18世紀末~19世紀初)のパネルです。

川の中で鉢巻をした上杉謙信が武田信玄に斬り掛かり、諏訪法性の兜の信玄は
太刀を抜き切れず、軍配で受けています。
上の方では初鹿源五郎が討たれているところです。

「天龍寺旧境内出土焼瓦」 京都市考古資料館
応仁の乱で焼けた天龍寺の瓦です。
応仁元年(1467)に始まった応仁の乱によって、京都の多くの寺社が焼失しています。

「山科本願寺旧境内出土遺物」 京都市考古資料館
山科本願寺は浄土真宗の蓮如によって造営され、後に防御を固めて城郭化しますが、
天文元年(1532)に法華宗徒らの攻撃に遭い、焼失しています。
陶磁器の破片や焼けた米などが展示されています。

「一乗谷朝倉氏遺跡出土資料」 福井県教育委員会 重要文化財
越前の朝倉氏は元亀4年(1573)に織田信長に敗れて滅亡し、一条谷の居館も焼失しています。
展示されているのは、破片から復元された青磁の器類で、大陸との盛んな交流を示しています。

「信行寺大悲尊像縁起絵巻」 天保9年(1838) 同志社大学図書館
戦国の兵火に遭った時、元虚という僧が観音菩薩像を救い出す場面が展示されています。
観音菩薩像は光を発して、飛んで来る矢を折っていて、観音の霊験を現しています。
信行寺は京都の浄土宗の寺院で、伊藤若冲の「花卉図天井画」で有名です。

「寺町・大雲院跡出土 一括出土銭」 15世紀 京都市考古資料館
ほぼ100枚ずつ紐でまとめられた銭差(ぜにさし)になった、約5万枚の銭の入った大きな甕です。
埋納銭(神仏への捧げもの)か備蓄銭かは不明ですが、四条河原町の青屋(染物業)の
集まった所からの出土で、その財力を示しています。

「茜染の旗」 16世紀 長野・真田宝物館
12月25日までの展示です。
大きな茜色の旗指物で、金色の六文銭が描かれています。
真田幸綱(昌幸の父)が使用していました。
六文銭は三途の川の渡し賃である六道銭を表します。
銭には物を動かす力があるということで、織田信長は永楽通宝を旗印に用いています。

「仮名目録」 元亀・天正年間(1570~92)/写 明治大学博物館
今川氏親によって大永6年(1526)に制定された分国法です。
後期には伊達氏の塵芥集も展示されます。

「太田道灌書状」 15世紀後半 江戸東京博物館
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この書状は撮影可能です。
陣中見舞いのお礼に鎌倉円覚寺黄梅院の僧に送った手紙です。

「上杉家文書 北条氏綱書状」 大永4年(1524)11月23日 米沢市上杉博物館 国宝 
12月9日までの展示でした。
北条氏綱(早雲の子)が長尾為景(謙信の父)に送った手紙です。
武田信虎(信玄の父)のことを、表裏があると言っていて、信用していないことが分かります。
上杉家文書は上杉家に伝わる鎌倉期から江戸期にかけて文書類で、武家文書として
初めて国宝に指定されています。
上杉家文書は多数、展示されています。

「毛氈鞍覆」 16世紀 山形・上杉神社
分厚い緋毛氈で作られた鞍覆で、室町幕府により守護・守護代に使用が認められています。
越後の守護代だった長尾為景は幕府に寄進して、守護職としての毛氈鞍覆の使用を
認められています。

「泥足毘沙門天」 鎌倉時代 山形・法音寺
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上杉謙信が崇敬していた、高さ40㎝ほどの毘沙門天像で、三叉鉾を持って立っています。
春日山城に祀られていた時、床に足跡が付いていたことから、謙信とともに出陣したとされ、
この名で呼ばれています。

「上杉家文書 織田信長書状」 永禄7年(1564)11月7日 米沢市上杉博物館 国宝
12月9日までの展示でした。
上杉謙信から大鷹をもらったお礼で、あて先を謙信ではなく、家臣の直江大和守(景綱)にして、
へりくだった態度を示しています。
信長は、相手が強い時は迷わず下手に出ています。

「上杉家文書 足利義昭御内書」 永禄12年(1569)4月7日 米沢市上杉博物館 国宝
12月11日までの展示でした。
御内書は室町幕府の将軍が私的な手紙の形式で発給した文書です。
大名間の争いに、調停のため介入する内容です。
まだ織田信長が将軍の権威を利用していた頃で、御内書には、委細は信長が申す、
などとありますが、元亀4年(1573)には信長は義昭を追放しています。

「織田信長像」 江戸時代前期 京都・大雲院
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前期の展示です。
神格化された姿で描かれています。
大雲院は本能寺の変で亡くなった織田信忠の菩提を弔うために建立された寺院です。

「四季花鳥図屏風」 (右隻) 狩野元信 天文18年(1549) 兵庫・白鶴美術館
戦国時代2

1月9日からの展示です。
狩野派2代目、狩野元信の力作で、後の安土桃山時代の豪華な障壁画の基本と鳴っています。
周防の大内義隆は明への朝貢品として狩野元信に花鳥図屏風を注文しており、おそらく
このような品だったろうと思われます。
天文18年はフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した年であり、戦国時代が海外と
盛んに交流した時代だったことが分かります。

「大原観音寺文書 密厳坊源慶田地寄進状」 文明9年(1477)12月7日 滋賀・観音寺
12月25日まで、会場の最後に展示されています。
大原観音寺は米原市にある天台宗の寺院で、羽柴秀吉と少年時代の石田三成の
出会いの場とされています。
観音寺への田地の寄進状で、出離生死、頓証菩提などの言葉が連ねられていて、
戦乱の世が始まった頃の人びとの願いが込められています。


戦国時代のさまざまな人物、事件などについての資料が揃っていて、興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。


次回の特別展は、「江戸と北京 18世紀の都市と暮らし」展です。
会期は2017年2月18日(土)から4月9日(日)までです。

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【2016/12/17 19:22】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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