「ミュシャ展」 国立新美術館
乃木坂
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六本木の国立新美術館では「ミュシャ展」が開かれています。
会期は6月5日(月)までで、火曜日は休館日です。

ミュシャ0


アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ1860-1939)は現在のチェコのモラヴィア地方の
生まれで、パリに出て働いている時、1895年に女優サラ・ベルナールの舞台、「ジスモンダ」の
ポスターを手掛けて、大評判になり、アール・ヌーヴォーのグラフィック・デザイナーとしての
活躍が始まります。

「ジスモンダ」 リトグラフ/紙 1895年 堺市蔵
ミュシャ1

棕櫚の葉を手にして、凛とした姿でイエスを迎えるジスモンダです。

「メディア」 リトグラフ/紙 1898年 堺市蔵
ミュシャ2

ギリシャ悲劇の「メディア」に基いた戯曲で、夫への怒りに燃えた王女メディアが
二人の息子を殺害した場面です。
サラ・ベルナール扮するメディアが目を見開いてこちらを見詰めています。
ギリシャ悲劇のこの場面はドラクロワも描いています。

「四つの花」左から「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」
 リトグラフ/紙 1897年 堺市蔵

ミュシャ7

装飾性にあふれた、アール・ヌーヴォーの作品です。

「第6回ソコル祭」 リトグラフ/紙 1912年 堺市蔵 
ミュシャ3

フランスで成功したミュシャは1910年に50歳でチェコに戻ります。
ミュシャはスラヴ民族主義に目覚めていて、チェコの愛国心を喚起する作品を多く制作しています。
1918年の第一次世界大戦終結時のチェコスロバキアのオーストリア=ハンガリー帝国からの
独立以降は紙幣や切手などのデザインも手掛けています。
ソコルは1862年に創設されたチェコの民族的運動協会で、現在も定期的に祭典が開かれています。


そしてアメリカ人のチャールズ・R・クレインの援助を受けることが決まり、1911年から
「スラヴ叙事詩」の制作に取り掛かります。
「スラヴ叙事詩」は最大縦6m、横8mの大画面にスラヴ民族の歴史を約16年掛けて
描いた20点の連作です。
ムシャはチェコの作曲家スメタナの交響詩、「わが祖国」を聴いて作品の構想を
得たということです。

展覧会ではプラハ市立美術館の所蔵する20点すべてが展示されています。


「スラヴ式典礼の導入」 1912年テンペラ、油彩/カンヴァス 610×810cm
ミュシャ6

9世紀にモラヴィア王の要請により東ローマ帝国から派遣された宣教師の
キュリロスとメトディオスの兄弟は聖書のスラヴ語への翻訳を行なっています。
そして、ローマ教皇からはスラブ語による典礼の許可も得ています。

「東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」
 1923年 テンペラ、油彩/カンヴァス 405×480cm

ミュシャ4

ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン(1308~1355)はセルビア帝国の全盛期を築いた皇帝で、
自らを東ローマ皇帝と宣言しています。


この一室の展示は撮影可能です。

「イヴァンチツェの兄弟団学校」 1914年 テンペラ、油彩/カンヴァス 610×810cm
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フス派の一部がモラヴィア兄弟団を結成し、ミュシャの故郷イヴァンチツェで
最初のチェコ語聖書を翻訳・出版しています。
盲目の老人に聖書を読み聞かせているのはミュシャの若い自画像とのことです。

「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」 
1926年 テンペラ、油彩/カンヴァス 390×590cm
 
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未完成作で、一部に描き残しがあります。
オムラジナ会は1870年代に設立されたチェコの愛国的な青年運動とのことです。
菩提樹に座るのは女神スラヴィアで、左下のハープを奏でる女性は娘のヤロスラヴァ、
右下の裸体の青年は息子のイジーをモデルにしています。

「ロシアの農奴制廃止」 1914年 テンペラ、油彩/カンヴァス 610×810cm
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1861年のロシア皇帝アレクサンドル2世が農奴解放宣言を出した時のモスクワの赤の広場です。
シリーズの中で唯一、ロシアを題材にしていて、スポンサーであるチャールズ・R・クレインの
希望によるものです。
聖ワシリイ大聖堂を背景に、赤の広場に集まる群衆を描いていて、他の作品のような
象徴的な要素は無く、写実に徹していて、レーピンの作品を観るようです。
実際、農奴解放宣言は実質的に農民の生活を改善するものではなく、かえって困窮する
農民も多かったそうで、作品にも祝祭的な雰囲気はありません。

「聖アトス山」 1926年 テンペラ、油彩/カンヴァス 405×480cm
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アトス山はギリシャのアトス半島にある山で、多くのギリシャ正教の修道院があり、
ギリシャ正教の聖地となっています。
画面上には4つのスラヴ系の修道院の模型を持つ天使たち、下にはロシアからの
巡礼者たちが描かれています。
アトス山の修道院のことは村上春樹の紀行文、「雨天炎天」にも書かれています。

「スラヴ民族の賛歌」 1926年 テンペラ、油彩/カンヴァス 480×405cm
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「スラヴ叙事詩」の最後の作品です。
右下の青は神話時代、左上の赤はフス戦争とスラヴ民族の拡大、その下の黒は抑圧の時代、
中央の黄色は1918年に独立を果たしたチェコスロバキアの自由・平和・友愛の勝利、
大きく描かれた青年は第一次世界大戦後に独立した民族国家を表しているそうです。

どの作品もその巨大さと構成の巧みさ、精緻な描写には圧倒されます。
特徴的なのは、主人公である王やヤン・フスなどの宗教指導者も画面では小さく描かれ
、英雄の業績を顕彰している風ではありません。
代わりに大きく描かれているのは無名の人びとで、ムシャは近在の人たちにポーズを
取ってもらい、それを撮影して、作品に描き入れています。
また、戦闘場面も戦勝記念的な描写も無く、あるのは戦いの悲惨さを暗示する表現です。

これだけの大作を完成させながら、全作品が展示された頃にはチェコスロバキアの独立は
すでに達成され、民族主義の昂揚感は薄れており、ムシャの作品は時代遅れと見做す人も
多かったそうです。
さらに、ナチスドイツに併合された時にはその民族主義を疑われて厳しい尋問を受け、
第2次世界大戦開戦直前に亡くなっています。
大戦後にチェコが共産化されると、やはり民族主義は忌避されて、展示されることは
無かったということです。

ムシャはスラヴ民族という概念を基に、外部からの弾圧とそれに対する抵抗を
「スラヴ叙事詩」として描いています。
確かに、スラヴ民族はゲルマン民族、ローマカトリック、トルコといった外部勢力による
攻撃や支配を受けています。
しかし、現在のチェコもポーランドもロシアとは距離を置いていて、スラヴとしての
一体性がある訳ではありません。
民族というものの捉え方の難しさを感じさせます。


2013年に森アーツセンターギャラリーで開かれた、「ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り」の
記事
です。

展覧会のHPです。

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【2017/03/25 19:23】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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  • こんにちは。
  • パリ時代の作品は見る機会がありますが、スラヴ叙事詩は今回を逃すとチェコまで行かないと見られません。
    是非お出かけ下さい。
    新美術館は火曜日が休館日なので、ご注意を。

    【2017/03/27 06:31】 url[chariot #/8nqih4Y] [ 編集]
  • これ、行きたくて割引券貰っといたんですよ。しかしなかなか時間が取れなくて。ま、まだ会期は有るようだから大丈夫だろ・・・。そして忘れる何時もの落ち。

    【2017/03/26 21:46】 url[miss.key #eRuZ.D2c] [ 編集]
    please comment















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