「没後150年 坂本龍馬」展 両国 江戸東京博物館
両国
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江戸東京博物館では特別展、「没後150年 坂本龍馬」展が開かれています。
会期は6月18日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、ご注意ください。

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坂本龍馬(1835-1867)の没後150年を記念しての企画で、特に直筆の手紙が数多く展示され、
龍馬の息遣いまで伝わってくる展覧会です。

長崎市風頭公園にある坂本龍馬の銅像の樹脂原型です。

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「坂本龍馬湿式写真」 慶応2年または3年頃(1866~1867) 
 高知県立歴史民俗資料館

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4月29日から5月1日までの限定展示で、それ以外の期間は複製が展示されます。
名刺ほどの小さなセピア色のガラス板の中に、よれた袴を着け、ブーツを履き、
懐手をした、いかにも龍馬らしい立姿が浮かんで見えます。

「北辰一刀流長刀兵法目録」(部分) 坂本龍馬宛 
 千葉定吉筆 安政5年(1858) 高知・龍馬歴史館
 
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江戸の千葉道場での修行で得た、長刀の免状です。
千葉周作・定吉・重太郎の他、龍馬の許婚といわれる佐那など、定吉の娘3人の
名前の並んだ、珍しい形の免状です。

「龍馬書簡 文久三年六月二十九日」 坂本乙女宛 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
坂本龍馬は筆まめな人で、多くの手紙を残しています。
文久3年(1863)に、龍馬の母親代わりとなって龍馬を世話した姉の乙女に出した手紙で、
長州藩の下関での外国艦隊砲撃事件などについて書いてあります。
「日本を今一度せんたくいたし申候」の文言が3行目、4行目に見えます。
片仮名で「ニッポン」とルビが振ってあります。

「龍馬書簡 慶応二年十二月四日」 坂本乙女宛 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
寺田屋事件で負傷した坂本龍馬は西郷隆盛の奨めで、妻のおりょうを連れて鹿児島に
湯治に行っています。
日本最初の新婚旅行とも呼ばれる旅で、高千穂峰に登った時の様子を絵入りで
書き送っています。

「近世珍話」 3巻のうち下巻 前川五嶺 慶応3年(1867) 京都国立博物館
元治元年(1864)の禁門の変を記録した絵巻物です。
血に染まった長州藩兵たちの遺体を荷車に積んで墓地に運び込んでいる場面もあります。

「紫糸威鎧」 島津斉彬所用 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
古典的な大鎧の形をした、見事な鎧で、丸に十の字の島津家家紋と替紋の五三桐の金具が付き、
前立てには島津家が崇敬した稲荷神を表す狐が据えられています。
禁門の変で戦い、敵対関係となっていた薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結ぶ仲立ちをしたのが
坂本龍馬の功績の一つです。

「梅椿図(血染掛軸)」 板倉槐堂 慶応3年(1867) 京都国立博物館 重要文化財
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5月23日から6月4日までの展示です。
淡海(板倉)槐堂(1823-1879)は文人で、勤王の志が篤く、坂本龍馬や
中岡慎太郎を支援しています。
龍馬が京都の宿舎にしていた近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺された時、
座敷に掛けられていて、下の方に飛び散った血が付いています。
上に書かれているのは海援隊士の長岡謙吉(1834-1872)による追悼文です。

「書画貼交屏風(血染屏風)」 江戸時代 18世紀 京都国立博物館 重要文化財
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6月6日から6月18日までの展示です。
龍馬たちが暗殺された近江屋の座敷にあった屏風です。
左下の猫の絵の辺りに、染みが残っていて、遭難した時の血痕といわれています。

「刀 銘 吉行」 坂本龍馬佩用 江戸時代(17~18世紀) 京都国立博物館
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坂本龍馬が脱藩に際して、兄の権平から貰い受けた刀で、龍馬が暗殺された時も
所持していたと言われています。
反りがほとんど無く、刃紋も真っ直ぐです。
これは大正時代に火災に遭い、反りを失って、研ぎ直しにより刃紋も変わったもので
あることが最近の調査で分かっています。
吉行は江戸時代初期の刀工で、土佐藩に招かれて移住しています。

「刀 銘 国廣」 渡辺篤佩用 桃山時代 17世紀 個人蔵 京都国立博物館寄託
渡辺篤(1844-1915)は幕府の京都見廻組に属し、坂本龍馬たちの暗殺に加わったとされています。

「刀 銘 兼元」 林田貞堅佩用 室町時代 16世紀 京都・霊明神社
慶応4年(1868)に京都御所に向かっていた英国公使パークスの一行を襲撃した林田貞堅
(朱雀操)が使った刀です。
林田貞堅と三枝蓊(しげる)の2名で襲撃しますが、警護していた薩摩藩士の中井弘が応戦し、
土佐藩士の後藤象二郎も駆け付けて林田を斬り、林田は中井に首を刎ねられ、三枝も捕えられて、
後日斬首されています。
林田の刀の刃側には20近く、棟側には5つの傷があるとのことで、所々に大きな刃こぼれが見えます。

霊明神社は幕末の志士たちと関係が深く、坂本龍馬と中岡慎太郎もここに葬られました。
林田貞堅と三枝蓊もここに葬られています。
明治になり、墓地一帯は京都霊山護国神社に譲られています。

「刀 無銘」 中井弘佩用 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
応戦した中井の刀で、娘婿の原敬によって京都国立博物館に寄贈されています。
こちらも刃こぼれが幾つも残り、戦闘の激しさを物語っています。
林田の刀と中井の刀では林田の方が刀身が長そうですが、斬り合いでは後藤の助太刀もあって、
中井が勝っています。
斬り結んだ双方の刀が並んでいるというのは極めて珍しいことです。

「装飾洋刀」 中井弘佩用 ヴィクトリア時代(1868) 京都国立博物館
中井と後藤にはその功績を讃えて、ヴィクトリア女王からサーベルが贈られています。
刀身にもびっしり装飾が彫られ、功績を記した文も彫られています。

中井弘(1839-1894)は後に滋賀県知事、貴族院議員、京都府知事を務めています。
また、「鹿鳴館」の名付け親でもあります。
後藤象二郎(1838-1897)は同じ土佐の坂本龍馬と関係が深く、後に土佐を代表する政治家と
なっています。

攘夷運動は明治維新の原動力の一つですが、攘夷を実行して首を晒される者がいる一方で、
それと闘って明治に活躍する者がおり、歴史とは不思議な巡り合わせで出来ています。


江戸東京博物館の所蔵する、幕府軍艦の備品類も展示されています。
こちらは撮影可能です。

第二長崎丸(長崎丸二番)備品
イギリスから購入した輸送船で、戊辰戦争時に新政府に抗して旧幕府艦隊を率いて脱走した
榎本武揚の指示により庄内藩の支援のため派遣されますが、秋田沖の飛島勝浦港で
座礁沈没しています。

沈没前に持ち出された望遠鏡や砂時計、バロメーターなどです。
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錫の保温器やスポード社製食器もあります。
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日の丸は嘉永7年(1854)に幕府により日本船であることを表す船舶旗として採用されています。
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「海上安全万代寿」 河鍋暁斎 文久3年(1863) 香川・琴平海洋博物館
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3枚続きの大判錦絵で、幕府がイギリスから購入し、輸送船として使用した順動丸を描いています。
勝海舟は4代将軍徳川家茂の京都から江戸への帰還の時に順動丸に乗せて航海し、
坂本龍馬も乗せたことがあります。
戊辰戦争時には旧幕府海軍の船として箱館から新潟港に物資を運びましたが、
慶応4年(1868)に寺泊で新政府軍の攻撃を受け、自沈しています。

「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」 
 川村清雄 明治18年(1885) 江戸東京博物館

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5月21日までの展示で、以後は複製が展示されます。
会場の最後に置かれています。
勝海舟(1823-1899)は坂本龍馬の師であり、海軍の功労者でもあります。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの撮った勝海舟の写真を元に、
江戸開城を果たした時の姿として描いています。
向こうには、洋装に陣笠を被った旧幕臣が抜き身を持って斬りかかろうと
しているのが見えます。

他にも幕末維新関係の資料が数多く揃った、とても興味深い展覧会ですが、
来館者も多く、混雑することがありそうです。

2010年に同じ江戸東京博物館で開かれた、「龍馬伝」の記事です。

展覧会のHPです。


次回の特別展は、「戦国! 井伊直虎から直政へ」です。
会期は7月4日(火)から8月6日(日)までです。

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【2017/05/16 19:51】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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