「浅井忠の京都遺産―京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション」展ブロガー内覧会 泉屋博古館分館
六本木1丁目
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六本木の泉屋博古館分館では特別展、「浅井忠の京都遺産―京都工芸繊維大学
美術工芸コレクション」展が開かれています。
会期は10月13日(金)までです。
9月7日にブロガー内覧会が開かれたので、参加してきました。

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日本洋画の先覚者、浅井忠(1856-1907)は晩年の5年間、京都高等工芸学校
(現在の京都工芸繊維大学の前身の一つ)でデザインを教えています。
これは東京美術学校の教授だった浅井がフランスに留学し、1900年のパリ万国博覧会で
西洋の美術工芸品の優れたデザインに驚いたことがきっかけとなっています。
そして、京都高等工芸学校の設立準備のためパリを訪れていた中澤岩太と出会い、
図案科教授の就任を依頼されたことによるものです。

展覧会では京都工芸繊維大学に遺された浅井忠など京都高等工芸学校関係者の
作品・資料や、住友家所蔵の美術工芸品などが展示されています。

先ず、泉屋博古館の実方葉子学芸課長と泉屋博古館分館の森下愛子学芸員の解説を
伺いました。 

写真は特別の許可を得て、撮影したものです。

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右:浅井忠 「中澤岩太博士像」 明治36年(1903) 京都工芸繊維大学美術工芸資料館
中:都鳥英喜 「喚魚亭(住友本邸庭園)」 大正11年 泉屋博古館分館
下:武田五一図案 錦光山宗兵衛(七代)制作 「百合花模様花瓶」 明治45年(1912) 
  京都工芸繊維大学美術工芸資料館

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中澤岩太(1858-1943)は京都帝国大学理工科大学学長で、京都に日本で3番目の
国立の工芸教育機関を設立すべく、ヨーロッパの実業学校を視察しています。
そこで、浅井忠と出会い、京都高等工芸学校への赴任を要請しています。

都鳥英喜(ととりえいき:1873-1943)は浅井忠の従兄弟で、京都高等工芸学校で
長く教えています。

花瓶の図柄は左右対称で、アール・ヌーヴォー調のデザインです。
武田五一(1872-1938)は建築家で、デザインも手掛け、ヨーロッパ留学により
アール・ヌーヴォー様式などを学んでいます。
帰国後は京都高等工芸学校の図案科教授を努め、後に京都帝国大学建築学科の
初代教授となっています。

右:浅井忠 「河辺古城跡」 明治35年(1902)頃 泉屋博古館分館
中:浅井忠 「河畔洋館」 明治35年(1902) 泉屋博古館分館
左:浅井忠 「原野樹林」 明治34年(1901) 泉屋博古館分館
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浅井のフランス滞在中の作品です。
右は油彩画で、パリ近郊のグレー村の風景です。

中は水彩画で、ロワン川のほとりの洗濯場と、城館跡を描いています。
浅井が同じ場所を描いた油彩画、「グレーの洗濯場」がブリヂストン美術館にあります。

左は同じく水彩画で、パリ近郊の夕景色です。


浅井はパリでヨーロッパの工芸品を集めて、日本に持ち帰っています。

ショワジー・ル・ロワ製陶所の製品 1902年以前
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ショワジー・ル・ロワ製陶所はパリの南にあって、19世紀初めから
20世紀全般にかけて生産していました。
アール・ヌーヴォー調のデザインで、浅井にも大きな影響を与えています。

右:ベルリン王立磁器製作所 「陶磁製猫置物」 1911年以前 
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館
左:ロイヤルコペンハーゲン 「水鳥文磁器花瓶」 1902年以前 
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館

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猫の置物は浅井の帰国後に工芸学校が購入した作品のようです。

浅井忠 「梅図花生」 明治35-40年(1902-07) 
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館

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アール・ヌーヴォーと琳派を合わせたような、斬新なデザインです。
重厚な洋画とはまったく異なる、浅井の別の一面が表れています。

上:浅井忠 「文庫図案 猪図」 明治38年(1905) 京都工芸繊維大学美術工芸資料館
下:浅井忠 図案 杉林古香 制作 「野分蒔絵文庫」 明治39年以降(1906―) 
 個人蔵(京都工芸繊維大学美術工芸資料館寄託)

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装飾的な図柄で、イノシシの荒々しさも表現されています。
浅井は後進育成のため、自分の描いた図案を惜し気もなく若手に与えて、
制作させていたそうです。

右2点:浅井忠 「鬼ヶ島」 明治38年(1905) 
 個人蔵(京都工芸繊維大学美術工芸資料館寄託)

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日露戦争での旅順攻略戦の勝利を祝って描かれていて、大津絵風でユーモラスです。
浅井の図案には大津絵に拠るものも多く見られます。

浅井忠の大津絵デザイン
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陶器中皿の図案です。

左:浅井忠 「武士山狩図」 明治38年(1905) 京都工芸繊維大学美術工芸資料館
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京都時代の作品で、東宮御所(現在の赤坂迎賓館)を飾るタペストリーの
2分の1下絵として制作されています。
西洋で王族や貴族の権威を示す画題として狩猟図や騎馬図が用いられたのに
倣っていて、秋の林間で駒を留める中世の武士が描かれています。
人馬は左手前から右奥に並んで、奥行きがあり、馬の足掻きには動きを感じます。
老壮青と年齢の違う3人により、皇室の世々の繁栄を言祝ぐ意味を持たせているそうです。
浅井忠らしく、背景の木々にはバルビゾン派風の趣きがあります。
皇室に納める作品ということで、宮内省からは写実性を要求されるなど注文も多く、
装飾性を持たせたかった浅井としては不満もあったようです。
工芸学校が全面的に支援し、日本固有種の馬を探すなどしており、
浅井も大変苦労して、寿命を縮めたとも言われるほどです。
制作に時間がかかるため、最後は工芸学校の用務員さんがモデルを務めたそうです。

右:鹿子木孟郎  「クールベ[嵐]模写」  明治34-36年(1901-03) 
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館

左:鹿子木孟郎  「加茂競馬」 大正2年(1913) 個人蔵(泉屋博古館分館寄託)
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鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう:1874-1941)は住友春翠(住友家15代当主、
吉左衞門友純)の支援を受け、フランスに留学し、京都高等工芸学校でも教えています。
加茂の競馬は徒然草にも書かれた、上賀茂神社の伝統行事で、日本の情景が
西洋画の技法で描かれています。
日の光が強調され、影の色彩には印象派の影響も見られるそうです。


明治の洋画壇の草分けとして認識していた浅井忠のデザインでの活動という、
今まであまり知らなかった面を知ることが出来て、とても興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。

次回の展覧会は特別展、「典雅と奇想―明末清初の中国名画展」です。
会期は11月3日(金・祝)から12月10日(日)までです。

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【2017/09/09 17:18】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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