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「没後50年 河井寬次郎展」内覧会 パナソニック汐留ミュージアム
新橋・汐留
chariot

パナソニック汐留ミュージアムでは「没後50年 河井寬次郎展 ― 過去が咲ゐている今、
未来の蕾で一杯な今 ―」が開かれています。
会期は9月16日(日)まで、休館日は水曜日と8月13日(月)〜 15日(水)です。

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京都の河井寬次郎記念館の所蔵作品を中心にして、約130点が展示されています。
7月6日に内覧会があったので、行ってきました。

写真は許可を得て撮影しています。
一部の作品以外は撮影可能です。

河井寬次郎記念館の鷺珠江学芸員とパナソニック汐留ミュージアムの岩井美恵子
学芸員によるギャラリートークを聴きました。
鷺さんは河井寬次郎のお孫さんだそうです。

河井寬次郎(1890-1966)は島根県安来市の大工の家に生まれ、東京高等工業学校
(現東京工業大学)で陶芸を学んでいます。
卒業後、京都市陶磁器試験場に入り、工業学校の後輩だった濱田庄司とともに
陶磁や釉薬の研究を行なっています。
1920年には京都の五条坂の五代清水六兵衛の窯を譲り受け、自らの作陶を始め、
初期から高い評価を受けています。

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会場の最初には今回初公開の、山口大学の所蔵する初期の大正時代の作品9点も
展示されています。

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河井寬次郎は若い頃、くすりの河井と呼ばれたほど、釉薬の扱いに巧みで、
作品は多彩な色彩にあふれています。

「艶消釉蓋付水瓶」 1915年頃 個人蔵
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25歳頃の作品です。
清朝の長頸瓶に龍を描き、自ら研究した艶消釉を掛けています。

1924年に濱田庄司を介して柳宗悦と親交を結び、民芸運動に加わっています。

「白地草花絵扁壺」 1939年 河井寬次郎記念館蔵
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友人で寛次郎の作品を保有していた川勝堅一は寛次郎に黙って1957年の
ミラノトリエンナーレに所蔵作品を出品し、グランプリを受賞しています。
これはその作品と全く同型の作品です。
扁壺はろくろを使わず、型で成形しています。

「呉洲刷毛目大壺」 1939年頃 河井寬次郎記念館蔵
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釉薬の深い青色に力強さがあります。

戦後は釉薬を巧みに使って、鮮やかな色彩の作品を生み出しています。

「三色打薬双頭扁壺(さんしきうちぐすりそうとうへんこ)」 1961年頃 個人蔵
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面白い形をしていて、散らした釉薬が鮮やかです。
打薬は寬次郎の考案した、柄杓で釉薬を打ち掛けて模様などを付ける技法です。

「白地三色打薬扁壺」 1957年頃 河井寬次郎記念館蔵
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こちらは白地に打ち掛けています。

「練上鉢」 1956年頃 河井寬次郎記念館蔵
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練上は違う色の粘土を組合わせて作り上げていく技法で、寛次郎は1921年頃に
取組み始めています。
口縁は縄文土器風で、豪快な作品です。

「草花絵碗」 1940年頃 河井寬次郎記念館蔵
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抹茶茶碗も多く制作していますが、茶道のお茶ではなく、家庭で楽しむお茶に
使うためのものだったそうです。
出雲地方は松平不昧公以来、お茶が盛んで、日常生活に溶け込んでいるそうです。
気取らない、温かみのあるお茶碗です。

「木彫像」 1937年頃 河井寬次郎記念館蔵
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1937年に自邸を新築した時の残材を使った、猫と狛犬です。
狛犬は脇息として使っていたそうです。
上下に分かれており、中は空洞で飴などが入っていました。
猫は、飼っていた猫の熊助がいなくなり、寛次郎の娘さん(鷺さんの母)が悲しむので、
代わりにと彫ったものです。
娘さんは木彫の猫では喜ぶはずもなく、嘆いていましたが、寛次郎は、「熊助がいなくなって
悲しいだろうが、猫そのものの生命体は死なないから心配しなくていいよ」と慰めたそうです。

「木彫像」 1954年頃 河井寬次郎記念館蔵
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寛次郎は60歳から70歳の時期に、100点近い木彫作品を制作しています。
自己を陶芸家と認識していたため、木彫作品にはタイトルを付けず、売ってもいません。
この作品は表と裏に別のモチーフが彫られています。

「木彫面」 1959年頃 河井寬次郎記念館蔵
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木彫の制作に当たっては、粘土で原型を作り、京仏師の松久武雄(後に宋琳)が下彫りし、
寛次郎が仕上げをしています。

キュビズム風や抽象に進んだ作もあります。

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「キセル(デザイン)」 制作・金田勝造 1950年頃~ 河井寬次郎記念館蔵
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1950年頃から真鍮によるキセルのデザインを考えています。
制作は遠縁の金工職人で、記念館には23本残っています。
キセルをデザインするようになってから、タバコよりキセルを楽しむようになったそうです。

寛次郎は1937年に自邸(現河井寬次郎記念館)を建築するし、自ら設計して、
実兄を棟梁とする安来の大工に建ててもらっています。
山陰の風土を反映して、京都の町家に比べ、堅固な印象です。

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「竹製棚(デザイン)」 制作・日本竹製寝台製作所 1940年頃 河井寬次郎記念館蔵
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寛次郎は自邸建築に伴い、家具調度類も設計していて、竹の家具も手掛けています。
嵯峨の竹を使い、台湾出身の職人が制作したとのことで、日本竹製寝台製作所という
名前も時代を感じさせます。

寛次郎は数多くの文章や言葉を残しています。

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パナソニックのスペースプレーヤーによって、井浦新さんの声を添えて、
寛次郎の言葉が投影されています。

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寬次郎の言葉を書いたカードが当たるおみくじもあります。
寬次郎の誕生日(8月24日)と月命日(8月18日)、および毎週火曜日に、
各日先着100名です。

私の当てたカードです。
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「助からないと思っても助かっている」の言葉は、将棋の十五世名人、大山康晴が
座右の銘としています。

「根来鉄金具手箱」 黒田辰秋作 1930年頃 河井寬次郎記念館蔵
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寛次郎は木工作家の黒田辰秋と交流があり、その作品を何点か持っていました。
この品を寛次郎はネクタイ入れとして使っていました。

寛次郎は人間国宝や文化勲章などを辞退していますが、文化勲章に推挙した
松下幸之助から贈られたトランジスタラジオを大変喜び、手許に置いて
愛用していました。

1963年製、パナペット(R-8) パナソニック株式会社蔵
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贈られたラジオはこれと同型で、白色だったそうです。

1階のパナソニックのショールームには寛次郎のろくろ場が再現されています。

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展示の具合も面白く、河井寬次郎という芸術家の全体像がよく分かる展覧会です。


2017年に日本橋三越本店で開かれた、「岩合光昭写真展 ねこの京都」の
パンフレットです。

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河井寬次郎記念館で撮った写真で、石の猫は木彫の猫と同じ形です。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は、開館15周年特別展「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」です。
会期は9月29日(土)から 12月9日(日)までです。

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【2018/07/10 19:21】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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