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「狩野芳崖と四天王―近代日本画、もうひとつの水脈―」展内覧会 六本木 泉屋博古館分館
六本木1丁目
chariot

六本木の泉屋博古館分館では、「狩野芳崖と四天王―近代日本画
、もうひとつの水脈―」展が開かれています。
会期は10月28日(日)まで、10月8日までの前期と10日からの後期で
一部展示替えがあります。

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9月13日にブロガー内覧会があったので行ってきました。
野地耕一郎分館長の解説を伺いました。
写真は特別に許可を得て撮影したものです。

第1章 狩野芳崖と狩野派の画家たちー雅邦、立嶽、友信

狩野芳崖など、狩野派最後の画家たち4人の作品の展示です。

右 狩野芳崖 「壽老人」 明治10年代(1877~86) 泉屋博古館分館蔵
かIMG_0403

狩野芳崖(1828―1888)は幕末に狩野派を学び、明治には東京美術学校の
設立にも関わったフェノロサに見出されていますが、東京美術学校の
教官就任の直前に亡くなっています。
長寿の神の寿老人とともに、鹿、鶴、蝙蝠、松竹梅といった
目出度い生き物が描き込まれています。
墨絵で、いかにも狩野派の画風ですが、左上から右下に流れる画面に勢いがあり、
首を伸ばした鶴も猛禽のような鋭い表情をしています。
寿老人の顔は頑固そうで、狩野芳崖自身の気概を表しているようです。
まだフェノロサに会う前の作品ですが、墨の濃淡で立体感を表すなど、
すでに西洋画の影響があるそうです。

右 狩野芳崖 「伏龍羅漢図」 明治18年(1885) 福井県立美術館蔵
かIMG_0369

前期の展示です。
龍を抑えつけている羅漢の顔も腕も誇張され、背景も渦を巻いている、面白い画面です。

狩野芳崖の代表作、「悲母簿観音」「不動明王」(ともに重要文化財)は後期に
展示されます。

右 橋本雅邦 「西行法師図」 明治25年(1892) 東京大学駒場博物館蔵
かIMG_0373

前期の展示です。
東京大学の前身、第一高等学校の依頼で描かれた作品で、文武両道を目指した
第一高等学校の精神と、元は北面の武士だった歌人、西行を重ねているそうです。
掛軸としては大きく横長な画面で、西洋画に似た光と空間を描き出しています。

 心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ

橋本雅邦(1835―1908)は木挽町狩野家では芳崖の弟弟子にあたり、明治維新後後は
フェノロサと出会い、その庇護を受けています。
フェノロサ、岡倉天心の指導により、芳崖とともに東京美術学校の設立に務めますが、
開校直前に芳崖が亡くなった後は、絵画部主任となり、横山大観、菱田春草、下村観山、
西郷孤月などを育てています。

右2幅 木村立嶽 「韓進張良物語之図」 制作年不詳 富山市郷土博物館蔵
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前期の展示です。
木村立嶽(1827~1890)は富山出身で、木挽町狩野家に入門し、富山藩士にも
取り立てられ、江戸城の障壁画も手掛けています。
明治維新後は窮迫し、芳崖とともに陶器などの下絵描きをしたこともありますが、
フェノロサと出会い、その助言も受けています。


第2章 芳崖四天王―芳崖芸術を受け継ぐ

狩野芳崖の高弟で、芳崖四天王と呼ばれた岡倉秋水、岡不崩、高屋肖哲、本多天城の
画業の紹介です。

 右 岡不崩 「群蝶図」 大正10年(1921) 個人蔵
左 岡不崩 「秋芳」 明治40年(1907) 個人蔵


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「秋芳」は前期展示です。
岡不崩(1869ー1940)は始め洋画を学んだ後、芳崖の助手を長く務めています。
芳崖没後に東京美術学校の1期生として入学し、その後、高等師範学校講師や
府立第二高等学校教諭などを務めています。
植物画を得意とし、本草学(中国由来の植物学)も熱心に学んでいます。

右 岡倉秋水 「不動明王」 制作年不詳 個人蔵
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渦を巻く火焔の描写には従来の仏画には無い新しさがあります。
岡倉秋水(1867―没年不明)は岡倉天心の甥で、芳崖に師事し、東京美術学校の
1期生として入学し、その後、東京女子高等師範学校や学習院大学で教えています。
歴史画、人物画を得意とし、皇居外苑の楠木正成像は東京美術学校の学生時代の
図案により制作されています。

右 高屋肖哲 「観音菩薩図(下絵)」 昭和9年(1934) 金沢美術工芸大学蔵
左  高屋肖哲 「千児観音図(下絵)」 大正14年(1925) 金沢美術工芸大学蔵

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下絵ですが、細くて勁い鉄線描が見事です。
「千児観音図」は芳崖の「悲母簿観音」に拠った作品で、観音菩薩と幼児を
組合わせていますが、残念ながら完成作は見付かっていません。
高屋肖哲(1866-1945)も芳崖に師事し、東京美術学校の1期生として入学し、
卒業後は石川県工業学校や東京美術学校で短期間教えた後は在野の画家と
なっています。
仏画を得意としていますが、残っている作品の数は多くありません。

右 本多天城 「山水」 明治35年(1902) 川越市立美術館蔵
左 岡不崩 「渓谷山水」 昭和3年(1928) 個人蔵

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「山水」は墨の濃淡を巧みに使って、画面に奥行きを見せています。
同じ時期に菱田春草や横山大観たちの始めた朦朧体にも似ています。
本多天城(1867―1941)も西洋画を学んだ後、芳崖に師事し、東京美術学校の
1期生として入学し、卒業後は東京美術学校や東京高等師範学校で教えています。


第3章 芳崖四天王の同窓生たちー「朦朧体の四天王」による革新画風―」

横山大観、菱田春草、下村観山、西郷孤月など、芳崖四天王以外の東京美術学校
1期生(春草は2期生)の作品です。
大観や春草は一時期、空気感を出すため、描線を用いない朦朧体という技法を
生み出しています。

右 横山大観 「杜鵑(ほととぎす)」 明治37年(1904) 福井県立美術館
左 菱田春草 「海浜朝暘」 明治39年(1906) 福井県立美術館

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前期の展示です。
ほととぎすの飛び去る夜の森、日の出の海浜、ともに絵に描いたような朦朧体です。

芳崖四天王は横山大観たちと同じく東京美術学校第1期生ですが、大観、春草、
観山など日本美術院系の画家が有名なのに比べ、あまり知られていません。
野地分館長によれば、芳崖四天王は元々、狩野芳崖の下で学んでかなりの技量を
得ていたので、早々に絵画教育の方向に進んだのに対し、大観たちは専業画家の
道を進んだため、知名度に大きな差が付いたのだろうということです。
たしかに芳崖四天王の作品を観ると、その技量は極めて高く、西洋画の技法も
取り入れており、大観たちの作品とまったく遜色ありません。
ただ、画題は伝統を離れず、大観たちが果敢に新しい世界を切り開いていたのに
比べると、物足りないところがあります。

芳崖四天王という、日本美術院系とは異なる、今まで知らなかった画家たちの業績を
知ることの出来る、とても興味深い展覧会です。

展覧会のHPです。

次回の展覧会は「神々のやどる器―中国青銅器の文様」です。
会期は11月17日(土)から12月24日(月・祝)です。

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【2018/09/15 19:45】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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