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「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展 六本木の国立新美術館
乃木坂
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六本木の国立新美術館では「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展が
開かれています。
会期は8月5日(月)までです。

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19世紀末から20世紀初めまでのウィーンの世紀末の文化をウィーンミュージアムの
所蔵する資料や絵画で紹介する展覧会です。

第1章 啓蒙主義時代のウィーン

啓蒙専制君主、ヨーゼフ2世(1741- 1790)の時代のウィーンです。

第2章 ビーダーマイアー時代のウィーン

ビーダーマイアー時代とはフランス革命とナポレオン戦争の時代を過ぎ、自由の
制限された旧体制(アンシャン・レジーム)の時代に戻った19世紀前半のヨーロッパで、
理想主義を追わず、日常生活に価値を見出すようになった時代のことです。

メッテルニヒのアタッシュケース
オーストリアの外相として、ナポレオン失脚後のウィーン会議を主宰し、ウィーン体制を
造り上げたメッテルニヒ(1773 - 1859)のアタッシュケースです。
紅色に金の縁取りの入った大きな鞄で、使い込まれた手擦れがあります。
各国の利害・思惑を整理する書類の入っていた、文字通りアタッシュ(外交職員)の鞄です。


第3章 リンク通りとウィーン

ウィーンを外敵から守り、オスマン帝国による攻撃にも耐えたウィーンの市壁は
1858年から取り壊しが始まります。
跡地はリンク通り(リングシュトラーセ)となり、道沿いに帝国議会、市庁舎、博物館、
劇場など、様々な公共建築が建てられていきます。

第4章 1900年世紀末のウィーン

世紀末文化の花咲いたウィーンの紹介です。

グスタフ・クリムト 「パラス・アテナ」 1898年
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古代ギリシャのアテナイの守護神、アテナの像です。
軍神なので、黄金の甲冑を着け、槍を持っています。

グスタフ・クリムト 「第1回ウィーン分離派ポスター」(検閲後) 1898年
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ウィーン分離派は当時のウィーンの保守的な美術界に対抗して、1897年に
クリムトたちが結成したグループです。
アテナイの王、テセウスが牛の頭をした怪物、ミノタウルスを斃しているところで、
保守派への戦いを表しています。
戦いのシンボルとして、パラス・アテナも描かれています。
原画に検閲を受けた後の図柄です。

グスタフ・クリムト 「エミーリェ・フレーゲの肖像」 1902年 
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この作品は撮影可能です。
クリムトの生涯の伴侶だった女性で、クリムト特有の写実的な顔と装飾的な衣装の
組合せで描かれています。

エゴン・シーレ 「自画像」 1911年
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エゴン・シーレ(1890 - 1918)はウィーン工芸学校で学んだ後、1906年にウィーン美術
アカデミーに入学しますが、古典的なアカデミズムに失望し、工芸学校の先輩である
クリムトに弟子入りし、その援助を受けています。

エゴン・シーレ 「美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像」 1910年
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アルトゥール・レスラーはエゴン・シーレの支援者です。
エゴン・シーレの描く肖像画はデフォルメが効いて、凄味があります。

エゴン・シーレ 「ひまわり」 1909-10年
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枯れたひまわりをこのように力強く描き出す表現力には驚いてしまいます。

エゴン・シーレもクリムトも1918年に、当時大流行したスペイン風邪が元で亡くなっています。

マクシミリアン・クルツヴァイル 「黄色のドレスの女性(画家の妻)」 1899年
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マクシミリアン・クルツヴァイル(1867-1916)はチェコ出身の画家で、ウィーン分離派の
設立にも加わっています。
写実的な描き方ですが、大きく腕を広げたポーズは斬新で、時代を感じます。

右:ヨーゼフ・ホフマン、ウィーン工房 「バスケット」 1910年
左:ダゴベルト・ペヒェ、ウィーン工房 「ティーセット」 1920年頃

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ウィーン工房はウィーン分離派に参加していた建築家のヨーゼフ・ホフマンとデザイナーの
コロマン・モーザーが結成した工房で、家具、装飾品、日用品を手掛けていました。
直線的な装飾が特徴です。

ウィーン分離派の建築家、オットー・ヴァーグナー(1841-1918)についての資料もあります。

オットー・ヴァーグナー 「カール・ルエーガー市長のための椅子」 1904年
ウィーンimg804 (6)

ウィーン市長、カール・ルエーガー(1844-1910)の60歳の誕生日に記念に、市庁舎の
市長の部屋に置くために作られた椅子です。
ローズウッドの材に真珠母貝を貼った、豪華な拵えです。
ルエーガーは市長に当選するまでは反ユダヤ主義を掲げて支持を集めた人物で、
ヒトラーもルエーガーを尊敬していました。
オーストリア生まれのヒトラーは1907年にウィーンに出てきて、挫折を味わいます。
エゴン・シーレが1906年に入学したウィーン美術アカデミーを翌年と翌々年に受験
しますが、不合格となり、美術家への道を絶たれています。
ウィーンでは日雇い仕事で小遣い稼ぎをしたこともあります。
後の1938年、オーストリアを併合したヒトラーは、ウィーンに入城した時、リンク通り沿いの
ホテル・インペリアルに泊まりますが、その昔、このホテルで雪掻きの手伝いをした時、
コーヒー一杯も出してくれなかったことを思い出していたそうです。

ナポレオン戦争後のウィーン体制、第1次世界大戦後のヴェルサイユ体制はヨーロッパに
安定をもたらしましたが、永続は出来ませんでした。
第2次大戦後のEU体制も揺れ始めており、原因の一つはオーストリアなどに広がる
反移民の動きです。

歴史についていろいろ考えさせられる展覧会です。


ホールには屋根にクリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像II」が描かれた、
ベーゼンドルファーのグランドピアノが置かれています。

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展覧会のHPです。


新美術館の前には吉岡徳仁さんの「ガラスの茶室 - 光庵」が置かれています。
光の変化によって様子が変わります。
2021年の5月10日までの展示です。

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【2019/06/15 15:17】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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  • こんばんは。
  • 余程、似ているのですね。
    そう言えば、三十三間堂の千一体の観音様の中には、自分の会いたい人に似たお顔の観音様がおられるそうです。

    【2019/06/16 23:52】 url[chariot #/8nqih4Y] [ 編集]
  • クリムトの描くおばちゃんて、ほんとわいの叔母によう似とるんですよねぇ。

    【2019/06/16 22:03】 url[miss.key #eRuZ.D2c] [ 編集]
    please comment















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