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「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」 国立西洋美術館
上野
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上野の国立西洋美術館では日本・オーストリア友好150周年記念、「ハプスブルク展
600年にわたる帝国コレクションの歴史」が開かれています。
会期は2020年1月26日(日)までです。

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中世に始まり、東欧、スペイン、フランドル、イタリアなどを支配したハプスブルク家に
ついての展覧会です。
ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の所蔵品を中心に約100件が
展示されています。

ハプスブルク家は10世紀にスイスに興った家で、13世紀にオーストリアに移り、
勢力を伸ばしています。

「ローマ王としてのマクシミリアン1世」 ベルンハルト・シュトリーゲルとその工房、
 あるいは工房作 1507/08年頃 ウィーン美術史美術館

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神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世( 1459–1519)は文武に秀でた帝王で、結婚政策により
スペイン、オランダ、ボヘミア、ハンガリー、ナポリ、シチリアなどを帝国に加え、
ハプスブルク家の隆盛の基を築いています。
また、アルブレヒト・デューラーなど、芸術家を保護しています。

甲冑が4領、展示されています。

「徒歩槍試合用甲冑」 オーストリア大公フェルディナント2世の
「鷲の紋章付き甲冑セット」より 
 イェルク・ゾイゼンホーファー(甲冑)およびハンス・ペルクハマー(エッチング) 
 インスブルック、1547年 ウィーン美術史美術館

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フェルディナント2世(1529–1595)は神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の次男で、
ボヘミアやチロルを統治しています。
鷲の紋章が全面に彫られた、見事な鎧です。

マクシミリアン1世の甲冑も展示されていて、そのサイズからマクシミリアン1世は
かなりの長身だったことが分かります。

「神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像」 
 ヨーゼフ・ハインツ(父) 1592年頃 ウィーン美術史美術館

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ルドルフ2世( 1552–1612)はオーストリア系ハプスブルク家の皇帝で、
マクシミリアン1世の玄孫(孫の孫)に当たります。
芸術を庇護した教養人でしたが、政治的能力は低く、帝国内のカトリックと
プロテスタントの対立に悩まされています。

2018年にBunkamuraで開かれた、「ルドルフ2世の驚異の世界展」の記事です。

「スペイン国王フェリペ 4世の肖像」 
 ディエゴ・ベラスケス 1631-32年 ウィーン美術史美術館

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フェリペ 4世( 1605–1665)はスペイン系ハプスブルク家の王で、ベラスケスを庇護し、
自らの肖像画も数多く描かせています。

「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」 
 ディエゴ・ベラスケス 1659年 ウィーン美術史美術館

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マルガリータ・テレサ(1651–1673)はフェリペ 4世の娘で、ベラスケスの代表作、
「ラス・メニ―ナス」にも描かれています。
スペイン・ハプスブルク家は花婿候補のオーストリア・ハプスブルク家のレオポルト1世の
ためにベラスケスにマルガリータの肖像画を描かせ、3点をオーストリアに送っています。
豪華な青のドレスに身を包んだマルガリータは、幼いながら父のフェリペ 4世似の顔で、
輝く金髪がドレスの金と映り合っています。
マルガリータはレオポルト1世と結婚しますが、早くに亡くなっています。

「皇妃マリア・テレジアの肖像」 
 マルティン・ファン・メイテンス(子) 1745-50年頃 ウィーン美術史美術館

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マリア・テレジア(1717–1780)はレオポルト1世の孫で、フランツ1世の皇后、
共同統治者です。
絵には自らが王である、オーストリア、ボヘミア、ハンガリーの3つの王冠も
描かれています。
マリア・テレジアは子沢山で、16人の子女を儲けており、マリー・アントワネットは
十一女です。

「フランス王妃マリー・アントワネットの肖像」 
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン 1778年 ウィーン美術史美術館

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マリー・アントワネット(1755–1793)は、新興のプロイセンに対抗するため、フランスとの
同盟をもくろむマリア・テレジアの意向により、14歳でブルボン家のフランス王太子、
後のルイ16世と結婚しています。
結婚してからも母はマリーの軽薄な性格と浪費癖が不幸な結果を生むのではないかと
危惧していますが、その心配は的中してしまいます。
結婚後に母の許に送った絵で、縦約2.5mと、とても大きく、夫のルイ16世や王冠も
描き込まれています。
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)はマリー・アントワネットの
お気に入りの画家で、マリー・アントワネットをはじめ、各国の王侯貴族の肖像画を
手掛けています。

2011年に三菱一号館美術館で開かれた、「マリー=アントワネットの画家 
ヴィジェ・ルブラン展」の記事
です。

「オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像」
 ヴィクトール・シュタウファー 1916年頃 ウィーン美術史美術館

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神聖ローマ帝国はナポレオン戦争により1806年に消滅し、ハプスブルク家は
オーストリア帝国の支配者となります。
オーストリア帝国は領域内のハンガリーの要求に応え、1867年にオーストリア
=ハンガリー二重帝国となります。
フランツ・ヨーゼフ1世(1830–1916)はマリア・テレジアの玄孫(孫の孫)に当たります。
在位は68年と極めて長く、まじめな性格で、衰えていく帝国を何とか支えようとしますが、
1914年に皇位継承者が暗殺されたため(サラエボ事件)、セルビアに宣戦布告した
ことから第一次世界大戦が始まってしまいます。
フランツ・ヨーゼフは大戦中の1916年に亡くなり、次のオットー1世は1918年に国外亡命して、
帝国は崩壊しています。

「薄い青のドレスの皇妃エリザベト」 
 ヨーゼフ・ホラチェク 1858年 ウィーン美術史美術館

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エリザベト(1837–1898)はバイエルン公の娘に生まれ、フランツ・ヨーゼフ1世に
見初められて16歳で結婚し、皇后となります。
しかし、ウイーンの窮屈な宮廷や皇后としての役割を嫌い続け、自分の美貌が
自分の立場を強くすることを知り、それを守るための努力を続けています。
50cmという驚異的なウエストを維持するため、食事は牛肉の肉汁か玉子の
白身だけ、毎日の運動を欠かさず、鉄アレイやバーベルも使っています。
絵でもその細いウエストが強調されています。
膝まで届く長い髪をセットするのに2、3時間かけ、洗うのは1日がかりだったと
いいます。
また、ウイーンを逃げ出すため、口実を設けてヨーロッパ中を旅し、「アハスエルス
(彷徨えるユダヤ人、永遠のユダヤ人)も私に比べれば出不精のようなもの」とまで
語っています。
結局、スイスのジュネーブで無政府主義者に胸を刺されて亡くなり、その彷徨える旅を
終えていますが、その奔放さから今でも人気の高い女性です。

2012年に日本橋三越本店で開かれた、「輝ける皇妃 エリザベート展」の記事です。


「ヨハネス・クレーベルガーの肖像」 
 アルブレヒト・デューラー 1526年 ウィーン美術史美術館

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ヨハネス・クレーベルガー(1486–1546)とはどんな人かと思ったら、成金の嫌われ者と
いうことでした。
デューラー晩年の作品で、大枚の画料をもらったのでしょうか、品格をもたせるため
工夫して、古代彫刻風に描いています。

「オデュッセウスとキルケ」 
 バルトロメウス・スプランゲル 1580-85年頃 ウィーン美術史美術館

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バルトロメウス・スプランゲル(1546-1611)はアントワープうまれで、神聖ローマ皇帝
マクシミリアン2世のウィーンで宮廷画家となり、その後、ルドルフ2世に従ってプラハに
移っています。
ホメーロス作の「オデュッセイア」では、魔女キルケの住む島に辿り着いた
オデュッセウスの一行はキルケから与えられた食物を食べ、薬草を持っていた
オデュッセウス以外は豚に変えられてしまいます。
絵ではキルケが人を動物に変えてしまう杖を手に、オデュッセウスに迫っているところです。

「宿屋のふたりの男と少女」 
 ディエゴ・ベラスケス 1618-19年頃 ブタペスト国立西洋美術館

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ベラスケスの若い時の作品で、3人の人物の動きがつながっていて、ちょっとした
家庭ドラマを見るようです。
テーブルの上の、パン、レモン、グラスなどは、人物と独立した静物画のようです。
この作品は2009年に国立新美術館で開かれた、「THE ハプスブルク
-華麗なる王家と美の巨匠たち-」展にも展示されていましたが、その時の題名は
「食卓につく貧しい貴族」でした。

「村の縁日」 ダーフィット・テニールス(子) 1647年頃 ウィーン美術史美術館
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お祭りで村の広場は飲めや踊れの大騒ぎの真っ最中です。
ダーフィット・テニールス(子)(1610-1690)はフランドルの画家で、農民の風俗などを
描いて、人気を得ています。
フランドルはハプスブルク家の領地の一つで、総督レオポルト・ヴィルヘルム・フォン
・エスターライヒ(1614-1662)は芸術家を庇護しています。
テニールスは総督のためにイタリア絵画なども収集し、特にイギリスの清教徒革命による
混乱時に、イギリスの王侯貴族の所有していたヴェネツィア派の絵画を多数取得しています。

「堕罪の場面のある楽園の風景」 
 ヤン・ブリューゲル(父) 1612-13年頃 ウィーン美術史美術館

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ヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)はフランドルの画家、ピーテル・ブリューゲルの
次男で、花の絵が得意だったことから、花のブリューゲルと呼ばれています。
一つの画面にさまざまの動物を収める絵もよく描いていて、この絵でも様々な鳥や
動物が描き込まれ、アダムとイヴは奥の方に小さく見えるだけです。

「ベネデット・ヴァルキの肖像」 
 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1540年頃 ウィーン美術史美術館

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ティツィアーノ(1488/1490頃-1576)はルネサンスを代表するヴェネツィアの画家で、
肖像画にも秀でています。
ベネデット・ヴァルキ(1503–1565)はイタリアの詩人、学者で、知的な風貌のモデルは
本を手にしています。

「甲冑をつけた男性の肖像」 ティントレット 1555年頃 ウィーン美術史美術館
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ティントレット(1518-94)はティツィアーノの弟子で、ほとんどヴェネツィアを
出ることもなく、ルネサンス後期の
ヴェネツィアを代表する画家となっています。
男性の名前は不明ですが、ヴェネツィアらしく背景に船が見えます。

「ホロフェルネスの首を持つユディト」 
 ヴェロネーゼ 1580年頃 ウィーン美術史美術館

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旧約聖書外典のユディト記に書かれた話で、ユディトは酔って寝込んだ
アッシリアの将軍ホロフェルネスの首を刎ねて、ユダヤの町を救っています。
クラナッハやクリムトも描いた有名な画題で、ユディトは獲った首を上気した
誇らしげな顔で召使に見せています。
パオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)はティントレットと共に、ルネサンス後期の
ヴェネツィアを代表する画家で、特に色遣いが見事です。

スペイン・ハプスブルク家は1700年にフェリペ4世の子、カルロス2世の死によって
断絶しています。
オーストリア・ハプスブルク家も1918年に帝国を失っていますが、その子孫は
欧州議会(EUの議会)の議員を努め、
ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった、ハンガリーとオーストリアの国境を開放する
1989年のヨーロッパ・ピクニック計画の中心人物ともなっています。


2009年には日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国との国交締結140年を記念して、
国立新美術館で「THE ハプスブルク
-華麗なる王家と美の巨匠たち-」が開かれていました。

「THE ハプスブルク
-華麗なる王家と美の巨匠たち-」の記事
です。

展覧会のHPです。

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【2019/10/22 18:20】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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