平忠度(たいらのただのり)
山桜
chariot

ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな


その昔、天智天皇の造営された大津京(志賀の都)も今は亡びて荒れてしまったが、
長等(ながら)の山桜は昔と同じように咲いていることだ。

作者は平忠度(ただのり)、平安時代末期の武将で、平清盛の弟です。
自然の不変と人事の無常を歌った、武人らしく素直な歌です。

この歌は平家物語で有名です。

木曽義仲に都を追われ、西国に落ちていく平家一門の中にあって、
平忠度は一旦引き返し、歌の師である藤原俊成に自作の和歌を記した巻物を託して、
一首なりと勅撰和歌集に載せてほしいと頼みます。
平家が亡んだ後、俊成は千載和歌集編纂の時、この歌を読人しらず、
作者不明として選びます。

実際に忠度と俊成の間でこのような感動的なやり取りがあったかは分りませんが、
この歌が千載和歌集に読人しらずとして載っているのは事実です。

丸谷才一は「新々百人一首」の中で、平忠度は歴史に対する漠然とした不安を感じ、
平安京の衰亡を何となく予感して、大津京の滅亡と重ね合わせていたのではないかと
論じています。

私が思うのは平忠度が一の谷で討死しているということです。
一の谷は今の神戸市にあり、平清盛が造営したものの、すぐに放棄された
福原京の辺りにあります。
壬申の乱で亡んだ大津京と平家と共に消えた福原京の運命はよく似ています。
志賀の都の亡びを詠んだ平忠度が福原の都で討たれた巡り合わせに当時の人々は
感慨を覚えたのではないでしょうか。

私も一句、

緋縅(ひおどし)の袖にも積もれ山桜 


ヤマザクラ

(赤い葉がついている山桜に ジャンプ!  上野不忍池のほとりです。)


神田明神

(神田明神の桜です。こちらに祀られている平将門公は
平忠度の240年ほど昔の人ですが、遠いご親戚です。)


「新々百人一首」
丸谷才一の選んだ王朝和歌百首の解説です。
和歌を理解するのに大変参考になります。




【2008/04/12 08:39】 文学 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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