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いろいろな鎧

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鎧の写真と、絵に描かれた鎧を集めてみました。

「小桜黄返威鎧」 平安時代 厳島神社 国宝
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源為朝が着ていたとされる大鎧で、左胸の鳩尾の板と右脇を守る脇盾(わいだて)を
欠いています。
現存する鎧の中では一番大きな小札を威してあるそうで、堂々とした風格のある姿です。
小桜韋黄返威(こざくらきがえしおどし)は黄色に染めた縅糸に小さく桜花を染め出した
ものです。

源為朝は源為義の八男で、九州で活動していたことから鎮西八郎と名乗ります。
弓の名手で、保元物語には保元の乱では敵の武者の鎧を射抜いた矢は隣の武者の
鎧の袖に当たったとあります。

「武士」 小堀鞆音 明治30年(1897) 東京藝術大学大学美術館
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大きな掛軸で、保元の乱で活躍した源為朝を描いています。
強弓の使い手で、保元物語では平清盛の郎党の体を射抜いた矢はその後ろの
郎党の鎧の袖に刺さったとあります。
作品では保元物語の描写の通り、褐(かちん)色の直垂に大荒目の鎧を着込み、
熊皮の尻鞘をかけた太刀を帯びています。
太刀の柄は古式な毛抜形のようです。

「平治物語絵巻断簡(六波羅合戦巻)」 鎌倉時代 13世紀中頃 
 MIHO MUSEUM

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保元の乱の後、今度は平治の乱が起こり、源義朝と平清盛が戦います。
平治物語では平清盛の嫡男、重盛は源義朝の長男、義平と御所の前庭で馬を
馳せ違えて戦ったとあります。
絵巻では徒歩の武者は袴を着けない下帯姿です。

「洞窟の頼朝」 前田青邨 昭和4年(1929) 大倉集古館 重要文化財
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源義朝の三男、頼朝は平治の乱で伊豆に流されていましたが、治承4年(1180)に
平家打倒のため挙兵します。
伊豆で挙兵し、石橋山の合戦に破れた頼朝主従が洞窟に篭っている場面を描いた、
前田青邨の代表作です。
丸く固まって座る主従は、昂然とした表情の頼朝の辺りは明るく、周辺は暗く
描かれ、緊密な画面になっています。
頼朝の着ている赤糸威大鎧など、甲冑の表現も素晴らしく、武者たちの鎧の
千切れた威糸や、矢のほとんど残っていない箙は戦いの激しさを示しています。

「黄瀬川陣」 昭和15/16年(1940/41) 東京国立近代美術館 重要文化財
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富士川の合戦で平家を破った直後の源頼朝が駿河の黄瀬川に陣を張って
いたところ、奥州平泉から弟の源義経が駆け付け、兄弟の対面を果たす場面です。
頼朝は鎧直垂を着て端然と座し、赤糸威の大鎧や太刀、弓矢などの武具を置いています。
顔は神護寺の伝源頼朝像に拠っています。
到着したばかりの義経は紫裾濃(むらさきすそご)の大鎧を着て、毛抜形太刀を佩き、
綾蘭笠(あやいがさ)を脱ごうと、紐に手を掛けているところです。
二人の鎧はそれぞれ青梅の御嶽神社に所蔵されている大鎧を参考にしています。

「九郎義経」 安田靫彦筆 昭和17年(1942) 三井記念美術館
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代表作、「黄瀬川の陣」の翌年の作品で、「黄瀬川の陣」では義経の甲冑は
紫裾濃でしたが、こちらは赤糸裾紫です。

「白糸威鎧」 鎌倉時代・14世紀 島根、日御碕神社蔵 国宝
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堂々とした大鎧で、金物には花輪違紋があしらわれています。
源頼朝、あるいは塩冶高貞(えんやたかさだ、?~1341)の寄進とされていますが、
花輪違紋は塩冶家の家紋です。
塩冶高貞は鎌倉期から南北朝期の武将で、歌舞伎の忠臣蔵で塩冶判官と
されている人物です。

「赤糸威大鎧(梅鶯飾)」 鎌倉時代・13世紀 春日大社 国宝
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堂々とした大鎧で、精巧な金具には梅、鶯、蝶が彫られています。
兜には獅子噛みの鍬形が付けられています。

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「赤糸威大鎧(竹虎雀飾)」 鎌倉~南北朝時代・13~14世紀 春日大社 国宝
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大袖には竹に雀と虎の彫刻が貼ってあり、金具にも竹に雀の浮彫が施されています。
実用ではない、装飾性の強い、極めて豪華な鎧です。

「赤糸威肩白鎧」 室町時代・15~16世紀 島根・出雲大社 重要文化財 
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大鎧で、右の脇を守る脇盾(わいだて)を欠き、胸に付ける鳩尾板・栴檀板がありません。
8代将軍足利義政(1436-1490)の奉納で、父の6代将軍足利義教(1394-1441)の
所用とされています。
足利義教は暴君として知られ、討伐されることを恐れた赤松満祐の騙し討ちに
遭っています。
金具に足利家の家紋である二つ引両紋が打たれていますが、通常の横引両ではなく、
立引両です。

色々糸威胴丸 室町時代・16世紀 佐太神社 重要文化財
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胴丸は胴の右側で引き合わせ、草摺が8枚の、元は徒歩の武士用の鎧です。
出雲の戦国大名、尼子経久(1458-1541)の奉納で、騎馬武者のために
大袖を付けた豪華な鎧です。
佐太神社は出雲大社に次ぐ、出雲国の二の宮です。

「色々威腹巻 兜・大袖・喉輪付」 室町時代 重要文化財
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毛利家を有数の戦国大名に育てた毛利元就(1497-1571)の鎧です。
腹巻は背中で引き合わせる鎧で、動きやすいように草摺の数も多く、
元は下級武士が着けていました。
やがて上級の武士も着るようになり、兜や袖が付いたりします。
鉄砲に対応した当世具足より前の時代の鎧で、威糸の色が華やかです。

「黒漆五枚胴具足」 桃山時代・16~17世紀 仙台市博物館 重要文化財
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伊達政宗の着用した鎧で、胴は5枚の鉄板を蝶番でつなぎ、黒一色でまとめ、はじめから
袖はありません。
兜には大きな金の三日月の前立てを掲げた、さすが伊達と思わせる「シック」な甲冑です。
伊達家家臣もこの形式の具足を着用しています。

「黒糸威二枚胴具足」 安土桃山時代 16世紀 永青文庫
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関ヶ原の合戦で、細川忠興が着用した具足です。
兜に山鳥の尾の羽根飾りを立て、黒毛で錣(しころ)を覆っています。
全体に実用的で簡素な作りですが、草摺の裾の赤色が洒落ています。
細川家の具足の模範となった形です。

「鉄黒漆塗紺糸威異製最上胴具足」 永禄6 年(1563)8月吉日 新潟県立歴史博物館
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上杉景勝の着用したとされる鎧で、兜の裏に刻まれた銘から制作年が分かります。
錣(しころ)が二重になった上杉家独特の兜で、前立には摩利支天を象徴する
卍が彫られています。


「朱塗塗合子形兜・黑糸威五枚胴具足小具足付」 
 (兜)貞享5年(1688) (胴)桃山時代 福岡市博物館

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黒田官兵衛孝高の甲冑で、兜は江戸時代に作られたものです。
朱色の華やかな当世具足で、兜はお碗を伏せたような面白い形をしています。

「朱漆塗紺糸威縫延腰取二枚胴具足」 桃山時代~江戸時代初期 
 彦根城博物館 滋賀県指定有形文化財

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井伊直政の次男で彦根藩2代目藩主井伊直孝の鎧で、赤色に塗られ、
井伊の赤備えと呼ばれています。
赤備えは武田家の部将によって編成された、武装を赤色で統一した部隊で、
大坂の陣での真田信繁の部隊の赤備えは有名です。
武田家の旧臣たちを召し抱えた直政も部隊を赤で統一しています。
江戸時代の修復で威糸が黒糸から紺糸に替えられています。

「朱塗黒糸威二枚胴具足」 安土桃山時代 
 公益財団法人致道博物館 山形県指定文化財

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徳川四天王の一人、酒井忠次の鎧です。
簡素で動きやすそうな鎧で、胸ポケットが付いています。
酒井忠次は徳川家康の重臣で、子孫は出羽庄内藩主となっています。

「黒糸威胴丸具足」 安土桃山時代 個人・岡崎市委託 重要文化財
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徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝の有名な鎧で、長篠合戦図屏風でも
この鎧を着けた姿が描かれています。
大きな鎧で、忠勝は立派な体格をしていたことが分かります。

「茶糸素懸威黒塗桶側五枚胴具足・鉢巻型兜」 安土桃山時代 
 榊神社・旧高田藩和親会管理 上越市指定文化財

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徳川四天王の一人、榊原康政の鎧で、兜は鉢巻をしたような形です。
榊神社は榊原家の領地だった上越市にある、榊原康政を祭神とする神社です。

「紺糸威南蛮胴具足」 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館 重要文化財
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榊原康政が関ヶ原の戦いの直前に徳川家康より拝領した鎧です。
兜や胴は南蛮風の作りで、兜は舶載品の可能性があるとのことです。
白い毛はヤクの毛です。

「黒糸威二枚胴具足」 榊原康政所用 江戸時代・17世紀 東京国立博物館 重要文化財
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これも榊原康政の鎧で、胴は前後の2枚に分かれ、兜に三鈷剣の前立てを付けています。
金の家紋は榊原家の源氏車です。

「銀溜(ぎんだめ)白糸威具足」 江戸時代 17世紀 徳川美術館
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徳川義直は徳川家康の九男で、尾張徳川家の始祖です。 
義直は正月の具足祝いの儀式のために毎年具足を新調していて、その中でも
この具足を好み、旅行の際にも必ず携行していたそうです。
全体に白く、兜の前立と袖の緒の朱、草摺の裾の黒毛をアクセントにしています。
胴が太く、義直は体格の大きな人だったようです。
東京国立博物館に展示されていた、義直が大坂の陣で着用した白糸威二枚胴具足も
太い胴をしていました。
どちらも白糸威で、義直は白を好んだのでしょう。

「白紺糸威丸胴具足」 江戸時代後期 江戸東京博物館
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兜の前立ては倶利伽羅龍王です。
胸に栴檀の板、鳩尾の板を付けた復古調の鎧ですが、
斜めに威糸の色を変えたデザインはとてもモダンです。
徳川後期の紀伊徳川家当主の鎧と考えられ、兜の吹返しには
葵の紋が付いています。

「紺糸素懸威五枚胴具足」 明珍宗保作 天保15年(1844) 江戸東京博物館
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金具も豪華な甲冑で、胸に蔦紋の杏葉(ぎょうよう)を着けています。
杏葉は元は下級武士が肩を守るために付けていた金具で、後に胸に付ける
ようになります。
素懸威(すがけおどし)は上下の小札をつなぐ糸の間隔を広くしたものです。
明珍家は室町時代から続く甲冑師の家系です。

「甲冑図(武具配列図)」 高橋由一 明治10年(1877) 油彩・麻布 靖国神社遊就館
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豪華な白糸沢瀉威(しろいとおもだかおどし)の大鎧に弓矢、陣太刀、軍扇、鐙などを
添えて描いています。
沢瀉威は色違いの威糸で三角形を作る威です。
明治10年は西南戦争の起きた年で、西郷軍の敗北により、人びとは武士の
時代の終わりを実感しています。
武士の出身だった高橋由一としても、是非描いておきたかった題材だったことでしょう。

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【2020/05/05 19:25】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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