春の山辺
やどりして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける
宿をとって春の山辺で寝た夜は、夢の中でも花が散っていたな。
古今集の春歌下117番の歌で、作者は紀貫之です。
「やまでらにまうでたりけるによめる」とあるので、
春の日にどこかの山寺にお篭りした折に詠んだものでしょう。
泊まった翌朝、お寺のお坊さんに、
「昨夜は桜を散らす風も吹いていましたが、よくお寝みになれましたか」
とでも聞かれて、この歌を詠んで答えたのかも知れません。
日頃と異なる場所、日頃と異なる時を設けて、そこに花を散らすという趣向は
鮮やかで、さすがは紀貫之です。

文京区湯島4丁目の講安寺の枝垂桜。
お寺の本堂は土蔵造りで、(江戸時代の防火対策)
文京区の指定文化財です。
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やどりして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける
宿をとって春の山辺で寝た夜は、夢の中でも花が散っていたな。
古今集の春歌下117番の歌で、作者は紀貫之です。
「やまでらにまうでたりけるによめる」とあるので、
春の日にどこかの山寺にお篭りした折に詠んだものでしょう。
泊まった翌朝、お寺のお坊さんに、
「昨夜は桜を散らす風も吹いていましたが、よくお寝みになれましたか」
とでも聞かれて、この歌を詠んで答えたのかも知れません。
日頃と異なる場所、日頃と異なる時を設けて、そこに花を散らすという趣向は
鮮やかで、さすがは紀貫之です。

文京区湯島4丁目の講安寺の枝垂桜。
お寺の本堂は土蔵造りで、(江戸時代の防火対策)
文京区の指定文化財です。
山桜
ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
その昔、天智天皇の造営された大津京(志賀の都)も今は亡びて荒れてしまったが、
長等(ながら)の山桜は昔と同じように咲いていることだ。
作者は平忠度(ただのり)、平安時代末期の武将で、平清盛の弟です。
自然の不変と人事の無常を歌った、武人らしく素直な歌です。
この歌は平家物語で有名です。
木曽義仲に都を追われ、西国に落ちていく平家一門の中にあって、
平忠度は一旦引き返し、歌の師である藤原俊成に自作の和歌を記した巻物を託して、
一首なりと勅撰和歌集に載せてほしいと頼みます。
平家が亡んだ後、俊成は千載和歌集編纂の時、この歌を読人しらず、
作者不明として選びます。
実際に忠度と俊成の間でこのような感動的なやり取りがあったかは分りませんが、
この歌が千載和歌集に読人しらずとして載っているのは事実です。
丸谷才一は「新々百人一首」の中で、平忠度は歴史に対する漠然とした不安を感じ、
平安京の衰亡を何となく予感して、大津京の滅亡と重ね合わせていたのではないかと
論じています。
私が思うのは平忠度が一の谷で討死しているということです。
一の谷は今の神戸市にあり、平清盛が造営したものの、すぐに放棄された
福原京の辺りにあります。
壬申の乱で亡んだ大津京と平家と共に消えた福原京の運命はよく似ています。
志賀の都の亡びを詠んだ平忠度が福原の都で討たれた巡り合わせに当時の人々は
感慨を覚えたのではないでしょうか。
私も一句、
緋縅(ひおどし)の袖にも積もれ山桜

(赤い葉がついている山桜に ジャンプ! 上野不忍池のほとりです。)

(神田明神の桜です。こちらに祀られている平将門公は
平忠度の240年ほど昔の人ですが、遠いご親戚です。)
「新々百人一首」
丸谷才一の選んだ王朝和歌百首の解説です。
和歌を理解するのに大変参考になります。
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ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
その昔、天智天皇の造営された大津京(志賀の都)も今は亡びて荒れてしまったが、
長等(ながら)の山桜は昔と同じように咲いていることだ。
作者は平忠度(ただのり)、平安時代末期の武将で、平清盛の弟です。
自然の不変と人事の無常を歌った、武人らしく素直な歌です。
この歌は平家物語で有名です。
木曽義仲に都を追われ、西国に落ちていく平家一門の中にあって、
平忠度は一旦引き返し、歌の師である藤原俊成に自作の和歌を記した巻物を託して、
一首なりと勅撰和歌集に載せてほしいと頼みます。
平家が亡んだ後、俊成は千載和歌集編纂の時、この歌を読人しらず、
作者不明として選びます。
実際に忠度と俊成の間でこのような感動的なやり取りがあったかは分りませんが、
この歌が千載和歌集に読人しらずとして載っているのは事実です。
丸谷才一は「新々百人一首」の中で、平忠度は歴史に対する漠然とした不安を感じ、
平安京の衰亡を何となく予感して、大津京の滅亡と重ね合わせていたのではないかと
論じています。
私が思うのは平忠度が一の谷で討死しているということです。
一の谷は今の神戸市にあり、平清盛が造営したものの、すぐに放棄された
福原京の辺りにあります。
壬申の乱で亡んだ大津京と平家と共に消えた福原京の運命はよく似ています。
志賀の都の亡びを詠んだ平忠度が福原の都で討たれた巡り合わせに当時の人々は
感慨を覚えたのではないでしょうか。
私も一句、
緋縅(ひおどし)の袖にも積もれ山桜

(赤い葉がついている山桜に ジャンプ! 上野不忍池のほとりです。)

(神田明神の桜です。こちらに祀られている平将門公は
平忠度の240年ほど昔の人ですが、遠いご親戚です。)
「新々百人一首」
丸谷才一の選んだ王朝和歌百首の解説です。
和歌を理解するのに大変参考になります。
春雨
わがせこが衣はるさめふるごとにのべのみどりぞいろまさりける
古今集25番の歌で、作者は紀貫之です。
平仮名ばかりの歌ですが、漢字にするとこうなります。
我が背子が衣張る(春)雨降るごとに野辺の緑ぞ色勝りける
私の夫の衣を洗って張る、そのはるの雨が降るごとに野辺の緑の色が濃くなっていく。
「わがせこが衣はる」は春という言葉を出してくるための前奏です。
長い前奏ですが、この歌の場合はよく利いています。
まず、若い女性が愛する男の衣を洗って、しわを伸ばすため両手をぱっと広げて張るという、
生き生きとした場面が浮かびます。
そして、その周りで、暖かい春の雨に洗われて野の緑が日に日に濃くなっていくという、
鮮やかな情景が重なります。
もともと「春」という言葉は、冬が過ぎて木の芽が「張る」ことから来ているといいますから、
しっくり合うのでしょう。

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わがせこが衣はるさめふるごとにのべのみどりぞいろまさりける
古今集25番の歌で、作者は紀貫之です。
平仮名ばかりの歌ですが、漢字にするとこうなります。
我が背子が衣張る(春)雨降るごとに野辺の緑ぞ色勝りける
私の夫の衣を洗って張る、そのはるの雨が降るごとに野辺の緑の色が濃くなっていく。
「わがせこが衣はる」は春という言葉を出してくるための前奏です。
長い前奏ですが、この歌の場合はよく利いています。
まず、若い女性が愛する男の衣を洗って、しわを伸ばすため両手をぱっと広げて張るという、
生き生きとした場面が浮かびます。
そして、その周りで、暖かい春の雨に洗われて野の緑が日に日に濃くなっていくという、
鮮やかな情景が重なります。
もともと「春」という言葉は、冬が過ぎて木の芽が「張る」ことから来ているといいますから、
しっくり合うのでしょう。

うぐいす
古庭に鶯啼きぬ日もすがら
与謝蕪村が「蕪村」の号を名乗っての最初の俳句ということです。
大先輩の芭蕉の句「古池や蛙とびこむ水の音」を意識していますが、
表しているものはかなり違います。
古池の句は、一瞬の水音と、それに続く静寂、耳を澄ます芭蕉、
といった緊張感のある句です。
古庭の句は、一日鳴いているうぐいすと聞いている蕪村の区別もなくなって、
とりとめもない時間が過ぎています。
のどかな春の気分と、かすかなやるせなさの漂う、蕪村らしい句です。
これも蕪村の句、
遅き日のつもりて遠きむかしかな
私も一句、
うぐいすの庭にいる間は部屋ごもり
私より蕪村の方が近代的です。

本郷のさるお大名のお庭の池。
古池もこれだけ大きいと、飛び込むのもガマガエルくらいでないと釣り合いません。
「江戸俳画紀行」
芭蕉や蕪村のほか、江戸の俳人たちの俳句や俳画を紹介しています。
知らない人たちも多く、勉強になります。
「蕪村」
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古庭に鶯啼きぬ日もすがら
与謝蕪村が「蕪村」の号を名乗っての最初の俳句ということです。
大先輩の芭蕉の句「古池や蛙とびこむ水の音」を意識していますが、
表しているものはかなり違います。
古池の句は、一瞬の水音と、それに続く静寂、耳を澄ます芭蕉、
といった緊張感のある句です。
古庭の句は、一日鳴いているうぐいすと聞いている蕪村の区別もなくなって、
とりとめもない時間が過ぎています。
のどかな春の気分と、かすかなやるせなさの漂う、蕪村らしい句です。
これも蕪村の句、
遅き日のつもりて遠きむかしかな
私も一句、
うぐいすの庭にいる間は部屋ごもり
私より蕪村の方が近代的です。

本郷のさるお大名のお庭の池。
古池もこれだけ大きいと、飛び込むのもガマガエルくらいでないと釣り合いません。
「江戸俳画紀行」
芭蕉や蕪村のほか、江戸の俳人たちの俳句や俳画を紹介しています。
知らない人たちも多く、勉強になります。
「蕪村」
村上春樹
「中国行きのスロウ・ボート」は1980年に書かれた、村上春樹の最初の短編です。
私が村上春樹を読んだのもこの作品が初めてでした。
安西水丸のすっきりしたイラストの文庫本を何気なく手にとって読み出して、
すぐに圧倒されました。
今までの作家とまるで違う、からっと吹っ切れた文体、透き通った虚無感、
まったく新しい世界です。
私と同世代なのに、このような文章を書くのか。
生まれて初めて海を見たような気持でした。
それから彼の作品をいくつか読むようになりました。
今度、久しぶりに読んでみようと思って、図書館で新潮社の
「象の消滅 短編選集1980−1991」を借りて読み始めました。
あれ?無い。中国人小学校の章の終わりの部分が無くなっている。
何度読み直しても、他の箇所を捜しても、無い。消されちゃった。
印象に残る箇所だったのに、どうしてだろう。
図書館に行って、昔読んだのと同じ中公文庫を借りてきて読み比べてみました。
確かに2ページ分ほどが削られていて、代わりに1行書き足されています。
「象の消滅」には選集の前書が載っていて、その中で
「中国行きのスロウ・ボート」について、最初の短編なので気に入らない所も多く、
2回書き直したので、ヴァージョンが三つある、と書いています。
しかし、何故あの印象深い部分を削ったのでしょう。
それに、書き足した1行は唐突で、あまりに簡単に片付けているように思えます。
私にしても最初に出会った作品ですから、思い入れがあります。
「中国行きのスロウ・ボート」をまだ読んでない方は、
まずオリジナルヴァージョンを読むことをおすすめします。
その後で現在のヴァージョンを読むと面白いでしょう。
それにしても、終りの段はこの後も長く書き続けていく村上春樹の
高らかな決意を聞く思いがします。
作者はその処女作に向かって書き続けるともいいます。
私は忠実な読者としての誇りをスターバックスの紙袋に詰め、
図書館の石段に腰を下ろし、空白の水平線上に現れる、
昔乗ったスロウ・ボートを待とう。
友よ、
まだ見ぬ友よ、中国はそんなに遠いのか。
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「中国行きのスロウ・ボート」は1980年に書かれた、村上春樹の最初の短編です。
私が村上春樹を読んだのもこの作品が初めてでした。
安西水丸のすっきりしたイラストの文庫本を何気なく手にとって読み出して、
すぐに圧倒されました。
今までの作家とまるで違う、からっと吹っ切れた文体、透き通った虚無感、
まったく新しい世界です。
私と同世代なのに、このような文章を書くのか。
生まれて初めて海を見たような気持でした。
それから彼の作品をいくつか読むようになりました。
今度、久しぶりに読んでみようと思って、図書館で新潮社の
「象の消滅 短編選集1980−1991」を借りて読み始めました。
あれ?無い。中国人小学校の章の終わりの部分が無くなっている。
何度読み直しても、他の箇所を捜しても、無い。消されちゃった。
印象に残る箇所だったのに、どうしてだろう。
図書館に行って、昔読んだのと同じ中公文庫を借りてきて読み比べてみました。
確かに2ページ分ほどが削られていて、代わりに1行書き足されています。
「象の消滅」には選集の前書が載っていて、その中で
「中国行きのスロウ・ボート」について、最初の短編なので気に入らない所も多く、
2回書き直したので、ヴァージョンが三つある、と書いています。
しかし、何故あの印象深い部分を削ったのでしょう。
それに、書き足した1行は唐突で、あまりに簡単に片付けているように思えます。
私にしても最初に出会った作品ですから、思い入れがあります。
「中国行きのスロウ・ボート」をまだ読んでない方は、
まずオリジナルヴァージョンを読むことをおすすめします。
その後で現在のヴァージョンを読むと面白いでしょう。
それにしても、終りの段はこの後も長く書き続けていく村上春樹の
高らかな決意を聞く思いがします。
作者はその処女作に向かって書き続けるともいいます。
私は忠実な読者としての誇りをスターバックスの紙袋に詰め、
図書館の石段に腰を下ろし、空白の水平線上に現れる、
昔乗ったスロウ・ボートを待とう。
友よ、
まだ見ぬ友よ、中国はそんなに遠いのか。












