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「木田安彦 木版画展 ふるさとの名山」 ノエビア銀座ギャラリー
銀座
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株式会社ノエビア銀座本社ビル1階ギャラリーでは3月17日(金)まで、
「木田安彦 木版画展 ふるさとの名山」が開かれています。
場所は中央区銀座7-6-15です。

木田安彦さん(1944~)は京都在住で、ガラス絵や木版画を制作しています。
「ふるさとの名山」は7年をかけて全国の名山を題材にした木版画のシリーズです。

利尻富士
木田1

利尻富士は北海道利尻島の標高1721mの火山です。
利尻の海は利尻昆布をはじめ、海産物が豊富で、海には漁船が行き交っています。

吉野山
木田2

奈良吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)は修験道の祖とされる役小角(えんのおづの)の
開基と伝えられています。
役小角は吉野の金峯山で修業中に感得した蔵王権現の姿を桜の材に彫って祀っています。
以来、桜は神木として尊ばれ、多くの桜の苗木が吉野の山に植えられ、桜の名所となったそうです。


2010年には同じノエビア銀座ギャラリーで、「木田安彦 ガラス絵の風景展」が開かれました。

「木田安彦 ガラス絵の風景展」の記事です。

2010年には現在のパナソニック汐留ミュージアムで、西国三十三所の
寺院や日本の名刹を描いた、「木田安彦の世界」展が開かれました。

「木田安彦の世界」展の記事です。


【2017/03/11 20:34】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「これぞ暁斎!世界が認めたその画力」展 Bunkamuraザ・ミュージアム
渋谷
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渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは、ゴールドマン コレクション、「これぞ暁斎!
世界が認めたその画力」展が開かれています。
会期は4月16日(日)までです。

暁斎12-23-2016_001


河鍋暁斎(天保2年:1831-明治22年:1889)は幕末から明治にかけての絵師で、
はじめ歌川国芳に弟子入りし、その後狩野派に学び、後にさまざまな画法も手掛けて、
多彩な画業を展開しています。

展覧会では、イギリス在住で暁斎の作品の収集家であるイスラエル・ゴールドマン氏の
コレクションから、肉筆画を中心に約170点が展示されています。
弟子だったジョサイア・コンドル(この展覧会では英語風にコンダ―と表記)の旧蔵品もあります。

「象とたぬき」 紙本淡彩 1870年以前
暁斎3

暁斎は文久3年(1863)に両国で見世物に出ていた象を写生しています。
暁斎は天保8年(1837)に歌川国芳に弟子入りして、常に写生を心掛け、8歳の頃には
洪水で流れ着いた生首を拾って写生して、周囲を驚かせたこともあるそうです。
この絵も元は画帖の一部です。

「烏瓜に二羽の鴉」 絹本着彩 1871-89年
暁斎4

暁斎は鴉の絵を得意としており、この展覧会でも10点以上展示されています。
明治14年(1881)、上野で開催された第2回内国勧業博覧会では「枯木寒鴉図」を出品して、
絵画の分野で最高賞にあたる妙技二等賞牌を受賞し、戯画で有名だった暁斎が正統的な
絵画の画家としても高く評価されることになります。

「名鏡倭魂 新板」 大判錦絵三枚続 1874年
暁斎5

明治7年の作で、鍛え上げた名鏡の輝きが悪魔外道を退治しているところです。
幕末明治初期の激動期にあって、暁斎も政治風刺の絵をよく描いています。
明治3年には風刺画による筆禍事件を起こしたため、翌年にはそれまで名乗っていた
「狂斎」を「暁斎」に改めています。

「動物の曲芸」 紙本着彩 1871-89年
暁斎6

猫や鼠、コウモリが綱渡り、梯子乗り、空中ブランコなどの曲芸を披露しています。
暁斎はさまざまの動物を面白く描いていて、鳥獣戯画や国芳の猫の絵を思い出します。

「鍾馗と鬼」 紙本着彩、金泥 1882年
暁斎7

「鬼を蹴り上げる鍾馗」 紙本淡彩 1871-89年
暁斎0

厄除けの神、鍾馗(しょうき)もよく描いています。
縁起物として注文が多かったのでしょう。
狩野派などの伝統的な技法を身に付けていることが分かります。

「地獄太夫と一休」 絹本着彩 1871-89年
暁斎10

地獄太夫は室町時代の遊女で、山賊にかどわかされて堺に遊女として
売られますが、現世の不幸は前世の行ないの故であるとして、
着物には地獄変相図を刺繍していたそうです。
一休宗純とも親交があったということで、三味線を鳴らす骸骨の上で
一休が踊っています。
打掛には地獄変相図ではなく、七福神や珊瑚、寿の文字、帯には
遊ぶ唐子と布袋様が描かれています。
暁斎は地獄太夫の画題も好んで描いていて、あちこちの展覧会でも、
図柄の少しずつ違う絵が展示されていました。

「百鬼夜行図」 紙本着彩、金砂子 1871-89年
暁斎8

右隻
暁斎12

左隻
暁斎11

妖怪たちが夜中に行列して歩く「百鬼夜行」は古くから絵巻物などによく描かれています。
右隻では意気揚々と行進し、左隻では昇る朝日に慌てふためいています。

「半身達磨」 紙本淡彩 1885年
暁斎9

最初の暁斎コレクションで、ジョサイア・コンドルの旧蔵です。
ロンドンのオークションで、55ポンドで落札したということです。
大胆な筆遣いの衣の表現と、毛の一本一本までていねいに描き込む
細密さが一体となった、暁斎の技量の高さを示す作品です。
暁斎は仏画も多く手掛け、晩年は毎日、観音を描いていたそうです。

暁斎の作品は確かな画力に裏打ちされ、いろいろな技法を見せてくれて、
闊達でユーモアにあふれ、観ていて飽きません。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は「写真家 ソール・ライター展」です。
会期は4月29日(土・祝)から6月25日(日)までです。

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【2017/03/09 19:22】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「三井家のおひなさま」展 三井記念美術館
三越前
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日本橋の三井記念美術館では「三井家のおひなさま」展が開かれています。
会期は4月2日(日)までです。

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「雛人形・雛道具段飾り」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
恒例の展示で、展示室の正面に赤い毛氈に人形、諸道具の段飾りがずらりと飾られています。
北三井家十一代・高公の長女で浅野セメントの浅野久弥に嫁いだ久子氏の寄贈品です。

「紫宸殿雛人形」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
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久子氏の初節句に祖父の北三井家十代・三井高棟より贈られた品です。

「次郎左衛門雛」 二代永徳齋 明治~大正時代
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵
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他の人形、諸道具の段飾りとともに展示されています。
次郎左衛門雛は丸顔の引目鉤鼻が特徴で、幕府御用も勤めた京の人形師の
雛屋次郎左衛門が創めたとされています。
江戸後期に江戸で流行し、公家や諸大名家では雛人形の本流とされたそうです。

「立雛」 文化12年(1815)
三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵
三002

災厄を託して海や川に流す人形(ひとがた)から発展した形です。
松は男、藤は女、撫子は子どもを表しています。
金地に緑と赤の華やかで上品な色彩です。

茶道具の展示もあります。

「粉引茶碗 銘 三好粉引」 朝鮮時代 16世紀
三004

粉引茶碗は高麗茶碗の一種で、生地に白化粧をした上に釉をかけていて、
粉を吹いたような肌をしています。
釉の掛け残しの火間(ひま)がくっきりと付いています。
戦国時代の武将、三好長慶(1522-1564)が所持していたので、この名があります。
粉引茶碗は作例が少なく、「三好粉引」「松平粉引」「津田粉引」が代表例とのことです。

「黒楽茶碗 銘 四ツ目」 一入作 江戸時代 17世紀
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楽茶碗の自由さを生かして、四角く作られています。
一入(1640-1696)は楽家4代目で、楽家は長次郎に始まる楽焼の家です。

「色絵鶏香合」 仁清作 江戸時代 17世紀
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小さく愛らしい香合です。
仁清はよく鳥を題材にしています。

特集展示は「三井家の別荘・城山荘の想い出」です。
北三井家十代・高棟によって神奈川県大磯に建てられた別荘・城山荘についての資料や
城山荘で焼かれた城山焼の作品が展示されています。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は特別展、創建1250年記念、「奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」です。
会期は4月15日(土)から6月11日(日)までです。

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【2017/03/07 19:38】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才」 国立西洋美術館
上野
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上野の国立西洋美術館では、「シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才」が
開かれています。
会期は5月28日(日)までです。

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テオドール・シャセリオー(1819~1856)は11歳で新古典主義の画家、アングルに入門し、
将来を期待されますが、やがて新古典主義と対立するロマン主義に傾倒します。
そして、独自の作風によって活躍しますが、惜しくも37歳で亡くなっています。

展覧会では絵画約40点、水彩・素描約30点などが展示されています。

テオドール・シャセリオー 「自画像」 1835年 ルーヴル美術館
シャセリオー4

シャセリオーはフランス領だったカリブ海のエスパニョーラ島にフランス人の役人の父と
現地の地主の娘との間に生まれています。
家族でフランスに戻った後、絵の才能を認められ、11歳の時にドミニク・アングル
(1780~1867)に入門しています。

アングルは「この子はきっと絵のナポレオンになる」と言って、シャセリオーの
才能を高く評価しています。
ナポレオンはコルシカ島の生まれなので、同じく島で生まれた人という意味も
あったのでしょうか。

シャセリオーは自分の容貌を気に入らず、写真も自画像もほとんど残っていないということで、
顔立ちにクレオールの面影がかすかに見られるこの自画像は貴重とのことです。

テオドール・シャセリオー 「16世紀スペイン女性の肖像の模写」 1835-40年頃
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シャセリオーの修業中に描いた作品で、アングルがこの絵を褒めて、
一生シャセリオーの手元に置いておくことを約束させたそうです。
なめらかできっちりとした描き方で、いかにもアングル好みです。
恋人にせがまれて渡してしまいますが、この絵のことで喧嘩になって、
またシャセリオーのところに戻っています。

「アクタイオンに驚くディアナ」 1840年 個人コレクション
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ディアナはローマ神話の狩の女神で、月の女神ともされています。
ギリシャ神話のアルテミスのことです。
水浴中の姿を見た漁師のアクタイオンは鹿の姿に変えられ、連れていた猟犬たちに
噛み殺されてしまいます。
頭に三日月を付けたディアナは背中を見せ、ニンフたちは驚き、アクタイオンは
遠くで鹿の姿になって、犬に襲われています。
夕暮れの光の中で、ニンフたちはただならぬ表情を見せ、異様な雰囲気を持つ作品で、
アングルとは違うものが出て来ているように見えます。

1840年にイタリアに旅行したシャセリオーはローマに滞在していた師のアングルと
再会しますが、ロマン主義に惹かれていたシャセリオーはアングルと考えが合わず、
ついに決別しています。
ローマ到着前にシャセリオーがアングルに出した手紙が展示されていましたが、
アングルへの深い敬愛の心が表れていて、その後の決別がいかにつらかったかを
偲ばせます。

テオドール・シャセリオー 「アポロンとダフネ」 1845年 ルーヴル美術館
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ギリシャ神話の物語で、アポロンの求愛を拒否して逃げるダフネが追い付かれ、
月桂樹に変身する瞬間を描いています。
いろいろな画家や彫刻家に取り上げられる題材で、シャセリオーの作品は、
二人が渦を巻いて上に昇るような動きをしています。
両手を上に掲げるポーズはアングルの「泉」とも似ていて、シャセリオーの作品に
よく見られますが、熱情と悲哀を強調した作風は古典的な安定感と調和を追求した
アングルとは違うものがあります。

テオドール・シャセリオー 「カバリュス嬢の肖像」 1848年 カンペール美術館
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モデルのカバリュス嬢はソファに体を預け、くつろいだ様子をしています。
スミレの花束や水仙の髪飾りは春の女神を思わせます。
シャセリオーは肖像画に巧みで、肖像画も何点か展示されています。

テオドール・シャセリオー 「アレクシ・ド・トクヴィル」 1850年 ヴェルサイユ宮美術館
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アレクシ・ド・トクヴィル(1805~1859)は政治思想家で、「アメリカの民主主義」の
著者として有名です。
外務大臣を勤めていた頃の作品で、良い絵を描いてもらったと喜ぶトクヴィルの
礼状も展示されています。

シャセリオーは1846年にアルジェリア・モロッコに旅行し、現地の習俗、
文化に強い印象を受けています。
アルジェリアがフランスの植民地になったばかりの頃です。
シャセリオー自身が異邦の生まれであることもあってか、エキゾチシズム
(異国趣味)の色濃い作品を描いています。
時代の流行を超えて、自分の心の琴線に触れるところがあったのでしょう。
シャセリオーのアルジェリア行きに際して、現地の暑熱やマラリアを心配する
トクヴィルの手紙も展示されています。

テオドール・シャセリオー 「コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景」 
 1851年 メトロポリタン美術館

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コンスタンティーヌはアルジェリアの都市で、15世紀のスペインのレコンキスタ
(再征服)運動によって追われたユダヤ人の多くが移り住んでいます。
オリエンタリズム(東方趣味)の作品といえますが、二人の衣服はそれぞれ
補色を使った片身替わりになっていて、色彩を重視するロマン主義も表れています。
シャセリオーは母子像を題材にした作品もよく描いています。

シャセリオーのアルジェリア・モロッコ旅行時の作品は2013年に東京都美術館で開かれた、
「ルーヴル美術館展~地中海 四千年のものがたり~」にも展示されていました。

「ルーヴル美術館展~地中海 四千年のものがたり~」に行った時の記事です。

テオドール・シャセリオー 「気絶したマゼッパを見つけるコサックの娘」 
 1851年 ストラスブール美術館(ルーヴル美術館より寄託)

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マゼッパはウクライナのコサックの英雄、イヴァン・マゼーパ(1639~1709)を題材にした
バイロンの詩、「マゼッパ」の主人公です。
不倫の罪で裸馬に縛り付けられ、野に放り出されたマゼッパが力尽きて倒れています。
夕日の下でコサックの娘が手を伸ばして驚いている、劇的な情景です。

テオドール・シャセリオー 「東方三博士の礼拝」 1856年 プティ・パレ美術館 
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亡くなった年の作品で、聖母には最後の恋人だったモルダヴィア公国の
マリー・カンタキュゼーヌ公女の面影があるともいわれています。
年齢の違う三博士には動きがあり、暗い背景の中の衣服やターバン、
白馬の白が際立っています。

ある美術批評家がシャセリオーを評して言ったという、「彼はパルテノンの神殿で育ち、
メッカへの巡礼をしたのだ」の言葉も、なるほどと思わせます。


シャセリオーから大きな影響を受けた、象徴主義のシャヴァンヌ(1824~1898)や
ギュスターブ・モロー(1826~1898)の作品も展示されています。

ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「海辺の乙女たち」 1879年頃 オルセー美術館
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シャヴァンヌの特徴の清雅な雰囲気があります。
シャヴァンヌはマリー・カンタキュゼーヌ公女を妻としています。

ギュスターヴ・モロー 「若者と死」 1881年頃 水彩 オルセー美術館
シャセリオー1_1

早くに亡くなったシャセリオーを悼んで描かれています。
シャセリオーは自ら月桂冠を戴く姿で表されていて、モローらしい象徴性の強い作品です。


アングルの新古典派から始まって、ドラクロワのロマン派に近付き、シャヴァンヌや
モローの象徴派の元となったシャセリオーの画業がよく分かる展覧会です。

シャセリオーの回顧展はフランスでも1933年と2002年しか開かれていないとのことで、
まとまって鑑賞できるこの展覧会は大変貴重な機会です。

展覧会のHPです。


【2017/03/04 19:28】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性」 白金台 東京都庭園美術館
目黒・白金台
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白金台の東京都庭園美術館では、「並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性」が
開かれています。
会期は4月9日(日)までです。

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並河0


七宝焼きは金属の地の上に釉薬を置き、高温で焼き付ける技法で、日本では明治時代に
高度な技術による作品が制作され、盛んに輸出されています。
展覧会では当時の七宝を代表する並河靖之(1845-1927)の作品、約90点や下図が展示されています。

並河靖之は川越藩松平家家臣の子で京都に生まれ、明治になって七宝制作を始めます。

「鳳凰紋食籠」 明治6年 並河靖之七宝記念館
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並河靖之の七宝の初作です。
泥七宝と呼ばれる、濁りのある釉薬を使う古来の技法に拠っています。

やがて、技量を高め、作品は海外の万国博覧会でも評判となり、海外に盛んに輸出され、
京都の自宅には多くの外国人観光客が訪れるようになります。
工房では多くの職人を雇って、分業で作品を制作しています。
当時輸出品の乏しかった日本では工芸品輸出は貴重な外貨獲得手段の一つで、
宮川香山の真葛焼とも事情が似ています。

並河靖之の技法は色の境目に金属線を置く有線七宝で、くっきりとした輪郭線が特徴です。

「鳳凰草花図飾壺」 明治中期 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
「花蝶文飾壺(一対)」 明治中期 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

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釉薬に茶金石を使う技法による作品で、茶色の部分は光を受けてきらめいています。
並河靖之の作品の9割は輸出されたので、現在も国内にはあまり残っていません。

「菊紋付蝶松唐草模様花瓶(一対)」 明治中期 総本山泉涌寺
並河4

漆黒の地にびっしりと松唐草や蝶を並べています。
並河靖之は漆黒で艶やかな黒色透明釉を生み出し、作品の特徴となっています。

並河靖之は工芸作家となる前に一時、久邇宮朝彦親王に仕えていたこともあり、
作品はよく皇室に買い上げられ、外国の賓客への贈答品や国内の下賜品として
使われています。
展覧会の開かれている庭園美術館も朝彦親王の八男、朝香宮鳩彦王の邸宅だった所です。
泉涌寺は江戸時代の歴代天皇の陵墓があり、皇室と関係の深い寺院なので
この花瓶を下賜されたのでしょうか。

「花鳥図飾壺」 明治後期 清水三年坂記念館
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やがて、様式的な図柄だったのが、地の空間を活かした絵画的なものに変わります。
この作品も後ろの方はかなり空間を開け、景色に余情を持たせています。

右「菊唐草文細首小花瓶」 明治中期 並河靖之七宝記念館
左「桜牡丹菊蝶文細首小花瓶」 明治後期 並河靖之七宝記念館

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高さ10㎝ほどの小さな瓶です。
右の様式的な模様にくらべ、左が絵画的になっているのが分かります。

「藤草花文花瓶」 明治後期 並河靖之七宝記念館
並河1

紫がかった黒の地に紫と白の藤の花が長く垂れた、装飾的な図柄です。

並河2

拡大すると、仕切りの線がはっきり見えます。

「菊御紋章藤文大花瓶」 明治後期-大正時代 並河靖之七宝記念館
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深く鮮やかな紺色の地に真っ直ぐ垂れた藤の花を描いています。
「藤草花文花瓶」に比べ、より絵画的で、葉の色の濃淡まで描き分け、
菊の御紋も月のように見えます。

晩年になると、絵画化はさらに進み、近江八景を題材にした作品などは風景画のようで、
仕切りの線も見えなくなっています。
従来の過度な装飾性が飽きられてきたことが、作風を変化させたと思われます。
宮川香山の真葛焼が細密な高浮彫からすっきりとした釉下彩へ技法を変えたのとも、
事情は似ています。

作風を変化させて対応しますが、高価な七宝焼きの需要はやがて衰えてきたので、
大正12年(1923)に工房の閉鎖を決めています。
その後は山科に自宅を構え、庭に大きな池を作り、たくさんの鯉を飼って、
晩年を過ごしたそうです。

一代で栄え、幕を閉じた並河靖之の七宝の技を存分に味わえる展覧会です。

展覧会のHPです。


【2017/03/02 19:40】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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Author:chariot
東京のビルの多い街で暮らしています。

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